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和田行男の「婆さんとともに」

死考

 グループホームや特養など24時間型入居施設の良さのひとつに「見護られた死」があるように思う。

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 先日、グループホームの自室で婆さんが死んだ。
 その婆さんとの出会いから死までを思い返すと、グループホームに入居できて良かったのではないかと思えた。
 その婆さんに会ったのは6年前。
 独居で身寄りがなく、認知症だけでなく、うつの状態になり、心も身体も弱りきっていた。
 関わっていた行政関係者の手配でグループホームを申し込んできたのだが、本人の願いは「このまま自宅にいたい」だった。
 強引な形で自宅から剥ぎ取るようにグループホームへ転居させたが(まさに「させた」)、居室に引きこもりがちで、動きたがらず、まさに飯と排泄だけ居室から出る程度だった。
 グループホームの職員たちが一生懸命あの手この手で働きかけをした結果、買い物に出るようになるまでに社会生活を取り戻し、笑ったり起こったりと表情も豊かになり、共同生活者とともに六年間を過ごしてきた。
 八十歳代も後半に入り、病から状態が悪化。
 もう長くはないという診断だったが、グループホームにて職員、医師、訪問看護師、行政関係者、他者の家族がチームで支えることになった。
 やがて、もうあとわずかかもしれないという状態になり、関係者が集まって、亡くなったあとのことについて話し合いをしていた最中に、婆さんは息をひきとった。
 あんなに「自宅がいい」と言っていた人だが、あのまま自宅にいたら、ひょっとしたら孤独死、少なくとも病院のベッドで死んでいっただろうに、最期は「寝慣れたベッド」の上で、関係した者を引き寄せて、まるでご挨拶をするかのように亡くなった。
 婆さんにとって「何がいいか」なんて、いくら考えても僕には結論は出せない。
 あのとき無理くり自宅から引き剥がしてしまったことが良かったのかどうかなんて、今でもわからない。
 でも、何となく関係する人々に囲まれて死んでいった婆さんを想うと、関係する人たちに囲まれ生まれてきた人間の最期の姿・死としては「良かったのではないか」と思う。
 グループホーム入居者の最期の姿を見届ける機会がなくなっている僕だが、たまたまタイミングよく、ちょっとした隙間の時間があったから最期の姿に会いに行くことができた。
 それも引き寄せられた気がしてならない。
 きっと「自宅から引き剥がした和田」に何かを伝えたかったのかもしれない。
 息を引き取り横たわった婆さんの顔を見つめていると、「ここも悪くはなかったけど、住み慣れた自宅で住み続けることができ、住み慣れた自宅で死ねる。そんな社会にするために力を尽くしなさい」と言われたような気がした。
 人の死から考えるべきことがたくさんある。
 合掌

[ご案内]
地域社会の中で生き生きと暮らせるように
~グループホームの未来に向けて~

日時■3月10日 11時30分受付 12時30分~16:00
場所■星陵会館(東京都千代田区永田町2-16-2 地下鉄「永田町」駅下車)
定員■400名 
参加費■1500円

■プログラム
○グループホーム「こうありたい像」の提起~実態調査より~
○地域で認知症の人を支えるために~三道県の実践に学ぶ~
・北海道(人材育成の新たな試み)
・群馬(地域社会にサポーターを増やす)
・福岡(生き生きとした姿を取り戻す)
○シンポジウム
~グループホームの未来に向けて~
・シンポジスト
 社団法人「認知症の人と家族の会」代表理事 高見国生氏
 NHKアナウンサー 町永俊雄氏
 厚生労働省認知症・虐待防止対策推進室 室長補佐 田仲教泰氏
 全国グループホーム団体連合会代表世話人 和田行男氏
・コーディネーター   
地域ケア研究所所長 蓬田隆子氏

■申し込み方法
FAX・メールにてお申し込み下さい
参加費の支払いは当日会場にて

全国グループホーム団体連合会事務局
 担当 中村・坂本
電話
 0297-63-0572
ファックス
  0297-63-0573
メール
  info@zenkokughren.com

【FAX・メールに記載する内容】
☆氏名
*複数の場合は全員の名前をお願いします
☆住所
*複数の場合は代表者のみでOK
☆連絡先
*複数の場合は代表者のみでOK
☆事業所名ならびに所属団体名
*個人の方は不要です


コメント


 現在、グループホームでの看取り支援を行なっていますが、本人の思い(現在は会話が出来ませんが)家族の思い、職員の思い、Drの思い、Nsの思いがあり、何が正しいのかなんてきっと誰にも分からないが、関わる者達が同じ考え方(方向性)でチームで支えることは困難なことなのでしょうか?どうチームを作っていったらよいのか?と苦戦しています。


投稿者: iku | 2010年03月02日 21:54

ikuさんへ

 ikuさん、チームの導き手はだれになっていますか。きっとグループホームの側がイニシアチブをとらないとまとめられないと思いますよ。なぜならグループホームで暮らしている方だからです。
 そのときは、何が正しいかではなく、「どうしたいか」と「どうできるか」です。
 本人の願いはわからないでしょう。わかったとして「自宅で」と願っても、自宅がなければ叶わないし、自宅があっても家族が了解しなければ叶いません。
 つまり、「どうしたいか」に対して障害があれば、それを崩し、崩しきれなければ次の「どうしたいか」にそって進めるだけのことです。
 文面だけではわかりませんが、堂々巡りになっていませんか? あるいはグループホームの覚悟が足りていないか、本人への思いに傾きすぎているか…。


投稿者: わだ ゆきお | 2010年03月03日 08:21

 ikuさんのおっしゃる様に、人が亡くなるという事に、何が正しいのかなんて、きっと誰にも分からないと思いますが、ikuさんの様な方々が、そのことに第一線で苦戦しておられる事には、エールを送りたいです。


投稿者: ザキ | 2010年03月03日 21:17

 その人の最期のときが、その人にとってどうだったんだろうと、誰かの死に向き合うときいつも考えます。そして、家族や自分たちのかかわりを通してこうだったんじゃないか、最期はその人らしかった、などと自分なりにその人の死について納得してしまうことがあります。
 でも、本当のところはどう思って亡くなっていったのかなんて、誰にもわからないし、その人らしい、というのは、私たちから見たらしさでしかないのでしょうね。
 私の祖母は、誰の世話にもならん、と、とても気丈に一人暮らしを続けていましたが、ある日いつも座っている籐の椅子の上で安らかな顔で亡くなっていました。
 その日の朝は畑の水やりをした跡があり、近くに住む叔母が通りがかりに畑の土が濡れているのを確認していました。
 一人暮らしで、亡くなった後発見されているので一般的には「孤独死」と言われるのかもしれませんが、私は一人で亡くなったけれど、孤独ではなかったような気がしてならないんです。
 多分、叔母たちが少し遠くからきちんと見ていたり、気にしていたりすることで祖母の望む暮らしに近づけたのでは、とそんな気がしています。
 また自分なりの解釈になってしまいますが。
 きっと、そのように近くで見守る事ができない家族もいますし、身内がいないお年寄りもいます。誰かがそういう役目ができるといいと思います。ご近所や、地域、行政など、何かできることがもっとあるような気がしています。
 地域のボランティアが高齢者のお宅に声がけ運動のようなことをやっていますが、とても大切なことと思い、何かの形になればいいなと思います。


投稿者: sakura | 2010年03月04日 00:31

 僕は最近4年間で、母・義父母と3人の親の死に関わった。

 母(87歳)は高血圧なのに熱い風呂が好きで、いつも長風呂だった。ある夜、あまりに遅いので同居の兄が声をかけたら、入浴したまま死んでいた。親類や隣近所の知人一同からは「うらやましい死に方」と言われた。死に目に会えなかった子としては「最期に一声かけたかった」と今も思うが…

 義母(78歳)は、何十年も糖尿病の治療を受け、病院で亡くなった。以前から本人は覚悟しており、周囲も落ち着いて見送ることができた。ただ、直前の様子を振り返ると「自宅で見送れたのでは」という思いが残る…

 義父(87歳)は、内臓が弱って入退院を繰り返すうち、認知症で暴言がひどくなった。病院でも対応に困るし、本人が「家に帰りたい」というので退院。しかし実家で娘(私の妻)が介護を始めたら、「家に帰る」と騒いで困らせた…彼の思う「家」は、もはや存在しない田舎の生家だったのだ…結局義父は娘を困らせ続け、肺炎が悪化して自宅で亡くなった。

 本当に、人の最期の迎え方としてどこがいいか、なんてわからない。自宅に帰ったのに、そこを「自宅」と認知できない場合もあるんだから…

 和田さんが関わったケースでは、ホームの部屋をどう認識しておられたのだろう。6年過ごして「居場所」として馴染みができていたのではなかろうか。そこで関わりのあった人たちに見送られたのは「良かったのではないか」と僕も思う。


投稿者: あが | 2010年03月04日 21:09

 私の祖母は、うつ病で引きこもりがちになり、最後は、自宅で一人、自ら首を括ってしました。私が、3歳の時にそれを目にし、小学3年頃にフラッシュバック、以来、目を閉じると今もその姿が浮かびます。
 現在グループホームに働き始めて2年、新しくこられた時は笑顔だった利用者様、他の利用者との交流がうまくいかずにいじめられてしまいました。今は、いじめられることはないようですが、笑顔は減り「こなければよかった」と言われてしまいました。
 私もいじめを受けた経験があり不登校気味の時期もあったので、何とか笑顔を取り戻して欲しいです。


投稿者: kyouka | 2010年03月04日 23:31

sakuraさんへ

 ひとり=孤独ではないと僕も思います。たくさんの人の中にいても孤独を感じるときが、僕にはしょっちゅうあります。


投稿者: わだ ゆきお | 2010年03月05日 06:17

和田さん、皆さん、こんばんは。
 
 私の伯父は胃癌で入院し胃癌は治ったものの入院中に呼吸ができなくなり、人工呼吸器を付けた後、嚥下困難との診断により、鼻腔マーゲンチューブを入れられ、口から物を食べたいと…長生きをしたいと願いながら、両手を縛られてたまま亡くなりました。
 後妻の息子の子供という立場の私は、前妻の長男である伯父の病院にいくことにも規制がかかり、たまに病院にいき、伯父の縛られた手を解き、背中や足腰をマッサージしたりしました。
 背中が痛いらしく背中をマッサージすると気持ちが良いと凄く喜んでいました。話す言葉も力なく、なんとか祖父が話した願いをかなえるべく、口腔リハビリを行っているところを探しました。
 私の勤務施設の経営する老健にて口腔リハビリを行うことが決まり、あちこちの施設を回されて嫌な思いをした祖父の思いを汲み看取りまで行ってくれると決まった矢先に伯父は亡くなりました。
 そんな時に前々からボランティアをさせていただきたいとお願いしていた大好きなおばあさんも亡くなりました。やっと、支援ボランティアの日程を決めた矢先、おばあさんは施設で亡くなりました。最後に見た、おばあさんの顔・・いつもは上がらない手を精一杯持ち上げて手を振ってくれていたこと、今でも目に焼きついています。
 その時は、そんなことが立て続けにあり・・立ち直れませんでした。
 それからというもの人に生き死にに関して、少し敏感になってしまったように感じます。いつ終わりが来ても後悔しないよう精一杯させていただこうと思っています。

PS☆ 和田さんへ 和田さんにも沢山の人の中で孤独を感じることがあるんですね…。ちょっと意外でしたが、なんだか、ほっとしました。


投稿者: 寺内 美枝子 | 2010年03月05日 21:43

 人が生き、死を迎えるまでのプロセスで、そこに自分がかかわったなら、精一杯を尽くすしかないです。望む暮らしではなかったかもしれないですが、亡くなるまでのその人の人生に自分がいたという事実があり、自分の人生のプロセスにその人がいたという、お互いの関係性を感じ合えることに深い意味があるように思います。
 改めて和田さんの文章を読み返しました。
 人の生き様、死は、メッセージを伝えようとアクションを起こし、私たちに多くの意味を残してくれているように思います。
 これが最善、なんてことは何もなく、その時々でかかわった私はどうだったんだろう、と考えることに意味があるのだと思います。
 コメント、ありがとうございます。
 ひとりでいる孤独感より、たくさんいる中での孤独感って結構きついなって、少し共感です。和田さんは立場のせいもありますでしょうね。
 また、一日を大切に過ごそうと思い返すきっかけをいただきました。
 誰とのかかわりも大事に思います。
 ありがとうございます。


投稿者: sakura | 2010年03月06日 17:49

 引力ではないでしょうか?
 私もグループホームに勤めて10年、婆さんとの出会いは、「 見えない力 」で引きつけ合っている気がします。
 「縁=えにし」という言い方もあるし、偶然ではなく必然だと最近思います。


投稿者: 大きな和 太陽と海 | 2010年03月26日 08:34

和田さんのikuさんへの言葉は私にも当てはまります。
堂々巡りって気付くまでは苦しかった…。

チームケアって何だろう?

もし火事になったら…急変が出たら…事故が起きたら…考えてシミュレーションしてました。

何の為に介護職に就いているのか、自分に問いかけます。

覚悟が足りない…。この言葉が深く深く残ります。


投稿者: わたる | 2012年07月29日 06:52

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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