介護事件と審判
昨年七月岐阜県関市で起こった、介護者による母親の殺害事件に判決が下された。裁判員裁判により懲役四年の判決。
今日はこの問題を考えてみたい。
この事件は、左半身の障害を抱えながら母親を介護する61歳の息子が、自身の介護負担からの解放と、母親をリウマチ苦から楽にしてあげたいという動機で殺してしまった事件である。
他人の手による介護を嫌がる母親の反対を押し切れず、息子さんが介護サービス等の利用を拒み続けてきた結果でもあった。
介護に絡む殺人事件の裁判員裁判による判決ということで注目していたが、それはとりもなおさず、裁判員になる自分を想定しているからの注目である。
新聞報道によると、脳出血で倒れた経験をもつ女性裁判員は、介護者が自分自身に障害をもって親を介護することの厳しさに同情する気持ちと、殺害という結果の重大性に挟まれ、「本当に難しかった」と記者会見でのべていたそうだ。
またある裁判員は被告人質問で、「施設で介護されるのとあなたに殺されるのと、母親はどちらを望んでいたと思うか」と質問を被告人に投げかけたそうだ。
僕は家族介護者としての経験も、自分自身が障害をもつ経験もないが、当人だけを責めきれないさまざまな事情を理解してしまう位置にいるだけに、「人を殺すのはもってのほか」と考えはしても、「責任は当事者だけなのだろうか」まで検証しないと納得しないと思う。
それはいつも書いていることだが、施設に入るのを望まない・入れるのを望まない国民に対してこの国は何ができているかを考えると「施設に入らざるを得ない状況しかできていない」現状を感じるだけに、親思いの人間を殺人者にまで追い込んだ社会的責任を考えてしまうからだ。
あわせて「本人の気持ちを大事にしてやりたい」と考えて施設で介護される道をとらず、結果的には「殺してしまう」ということになったが、僕らに求められることのひとつに「本人の気持ち=利用者本意」というものがあり、本人が願ってもないことを押し付けないという介護の社会的流れを読めば、「母親は息子に殺されるようなことになったとしても、施設には入りたくないと思っていた」ということも「有り」であるだけに複雑だ。
逆に言えば、僕は「介護」に情報があり考察があるからそんな疑問がもてるのだが、違う世界のことには僕だって疑問をもたれるような思考しかできないということでもある。
日本の社会は、自分にはまったく想像もつかないようなたくさんの社会の複合体であり、自分が知らない世界だらけである。にもかかわらず、知らない世界を読み取って事件を犯した人間を審判していけというのは酷である。
この世界によくある事例検討会でさえ本人と本人を取り巻く環境の情報が少なすぎて、どうすればよいかを描けない僕である。とてもじゃないが審判する自信なんてもてない。
ただ僕が思うには、少年犯罪でもそうだが「個に帰す」だけでは済まない事件が増えているように感じるし、「社会の映り鏡」としてこうした事件を見ていくことなしに、悪循環を断つことはできないのではないかということだ。
介護保険制度がスタートして10年。
自立生活が低下していくことと必要な支援の在り方について、自宅生活支援策から24時間型入居施設支援策まで順を追って、根本から検証することが必要なのではないだろうか。
高齢化の進展とともに同様の事件が増えているのか、報道が増えたのかはわからないが、実感としては増えているように思う、介護「虐待・殺人事件」。
こうした事件が起こるたびに「要介護者数先進国日本:支援質量未熟国日本」を感じるのは僕だけだろうか。
自費出版
友人が自費出版した。自分の思いをしこたま書き貯め込んでいたようで、それをまとめて出版したので紹介したい。
「新たな創造」
時にはあなたの知識と経験が
新たな創造を邪魔する事もある
「全ての存在」
他人があってこそ
自己を確認できる
全ての存在が大切なのです
「知恵」
あなたの周りには
人生を豊かに生きる
知恵が溢れている
本は「魂からのメッセージ ~今日のインスピレーション~」と題されており、友人の日々湧き上がってきた言葉で全編綴られている。
友人は大学を卒業後、結婚式場や焼き鳥やなどを経て、特養へ転職。その後「認知症の状態にある方々を支援するのが転職」と志し、グループホームや認知症のデイなど介護保険事業を経営するようになった仲間でもある。興味関心のある方は下記まで問い合わせてみてください。
【問い合わせ先】
〒049-5332
北海道虻田郡豊浦町字大岸112番地4
TEL:0142-21-1680
E-mail:owl0907@aioros.ocn.ne.jp
宮崎直人
コメント
一昨日は講演ありがとうございました。
心に響きました。
要介護状態の方の意思を尊重して、そのすべてを叶えることは不可能であり、今回の件、介護は家族にしかしてもらいたくないとの希望は多くの方に不可能な希望であると思います。
だから、生きていくには妥協して他人の介護を受ける選択肢を聞き入れてもらう必要があり、聞き入れたくなるような介護が必要と思います。
ただ、今の日本では妥協した介護すら受けることができなくなってきている現実があり、やはり現実を踏まえ、根本から検証してもらいたいと考えます。
介護殺人というものは、なかなか無くならないものですね。むしろ介護保険施行後は事件が表面化して、話題の注目度も増しているような気がします。人が他者を支援するときに「何をして欲しいのか」を知ることは、相談者の話を十分に聞いて、相手が何を言いたいのか、を解らなくてはならないと思います。
「会話」や「言葉」はともすれば、そうした面談の場面ですらも当人達の思いとずれて一人歩きをしてしまう可能性があります。福祉の現場で働く支援者の一人として、自分の身の回りの人たちの「思い」を自分は理解できているのか・・・改めて考え込んでしまいます。
中日新聞さんの記事を読んで、うーんとうなっています。自分が要介護状態になったら、家族だったら、親戚だったら、隣人だったら、友人だったら、そして要介護状態の方を支援する仕事に就いている自分なら。どう思うのか、どう動くのか。
これから超高齢化社会を生きる私たち国民。自分も周りもいつかは死ぬ、寿命を終えるのが当たり前。生れる時から寿命が来るまで、五体満足で常に家族や友人に囲まれ、お金にも困らず生きられるか。病気やけが、様々思わぬアクシデントに出会うはず。元通りに回復できないこともある。でも生き抜かなくてはいけないし、生き抜いてほしい。といった話がしたい。
仕事をすればするほど書類に追われ、現場で落ち着いてご本人家族、支援する仲間との時間を削らざるをえない最近です。疲れ気味です。このタイミングで、厚生労働省HPに、介護保険制度での書類や事務手続きについて意見を書き込めるではありませんか。勇気を出して意見を書いてみようかなと思っています。
和田さん
6日はありがとうございました。
きっと、みんなも頑張れる・・・って思います。
また、熱い話・思いを聞かせてください。
つらいことも、きっと解決できると思います。
介護保険は「介護の社会化」を目指したけど、今多くは給付抑制になっている。
本当に婆さんや爺さんを見れているか?って話を聞いて反省です。
もっとあつく、一緒に頑張っていきたいです。
初めて読みました。現在居宅支援事業所で主任ケアマネとして、現在はプラン20件と同グループホームの代表取締社長業を主にしております。本人が、介護サービスを拒否。障害者の介護者がその母の拒否る意向を尊重した~その後結果として、殺人者になってしまった件ですが、介護サービスへの手続きなどに、ケアマネや地域包括職員はかかわっていたのでしょうか。私は、本人の意向意思を大事にしては理解できるのですが、介護者の心情を察してもっと強く介護サービス利用を進めたり、説得する事が大切と感じたのですが。
和田さんの考え方、行動には本当に敬服しています。
私は経営面も含めて施設長として仕事をしていますが、ご入居者本位ではなく、会社本位で考えてしまうことが正直あります。
また、ご入居者、そのご家族の「理不尽」な要求、不満にほとほと嫌気がさしている自分が時折います。和田さんのおっしゃることを見聞し、また自分を成長させたいと思います。
とりとめのない文章、お許しください。
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