歩車分離
愛知県が「歩車分離式信号」の設置をすすめていくと新聞報道(11月22付中日新聞朝刊)されていた。
車の渋滞を引き起こすデメリットよりも歩行者の安全を優先する道を選択したということだが、クルマ大好き人間の僕もこれには大賛成である。
歩車分離式信号ではピンとこなくても、スクランブル交差点と聞くとみんな知っているだろう。
車が動くときは歩行者を止め、歩行者が動くときは車を完全に止めるというものだ。(分離式信号には対角線を横断できるスクランブルなど6種類程度あるとのこと)
現在の、人も車も同時に動かすやり方では、交差点での巻き込み事故が起こったり、車の陰で見えない歩行者を轢いたりする事故発生率をゼロにはできないことを考えると、どっちかしか動かないようにするのは合理的ではある。
ただこれも問題がないわけではないようで、これが原因で直接的に渋滞を起こすということ以外にも、渋滞を避けて裏道に入りこんでいく車が増え、より危険が増すという指摘もあるようだ。
そこで僕はもう一歩突っ込んで、道路の一方通行化もすすめてはどうかと思う。
一方通行化することで車道を狭くすることができるし、その分で歩道を確保するという施策を講じれば良いと考えている。
クルマが行き違いできないようにすると必然的に接触事故は減るだろうしクルマに気をとられることはなくなり、歩行車や自転車利用者とクルマの分離をすすめれば人の安心感は高まる。
また、別の問題が発生することも予測できるが、歩ける環境だけでなく休憩する場所と排せつする場所を整える空間を生み出せるわけで、生身の人間にとっては大事な外出要件を整えやすくなるのと、そのことによって人と人の関係性を築くきっかけを生みやすい。
栃木県の医療法人で事務長をしている友人と共感し合いながら、この話でえらい盛り上がったときのことを思い出したが、偉そうなことを言わせてもらえば、政治家や官僚たちにこれからの国づくりで真面目・真剣に議論してもらいたいことのひとつである。
大阪の町が御堂筋など幹線道路まで含めて一方通行化をしたときに大人たちにとまどいもあったようだが、今ではそれも当たり前になって馴染んでおり、それを前提に行動するから大きな問題もないと地元のタクシー運転手に聞いたことがある。案外に生むが易しなのかもしれない(よそから来ると慣れがないからたいへんなようだが)。
どこの街でも車中心の町づくりになっているため、僕らでさえ歩いていると危険を感じる道に出会うが、高齢者や子供にとっては危険だらけだ。
車が大きくなるにつけ道幅も広がり、交通量が増えることで車線が増え道路が拡幅され、道路を横断するのに時間がかかるようになった現代日本。
僕でもうかうかしていると渡りきれずクラクションを鳴らされるときがあるが、加齢とともに能力の下がった高齢者や障害をもった人ではとうてい渡りきれないだろうと思われる個所はたくさんある。かといって中間地点に安全地帯もないから、怖ろしい。
いくら建物の中をバリア・フリー構造にしてリスク管理しても、町の中がリスクだらけのバリア社会になっていては、バリア・フリーが意味する「障壁のない社会 バリア・フリー・ワールド」を目指しているとは言えない。
歩車分離式信号が導入されたのは1972年で発祥の地は愛知県。その場所は名古屋市市役所北交差点だそうだが、当時の高齢化率は7%超で、誰もが高齢者に目も向けなかった時代であり、住宅の高層化、地下都市化、鉄道の高架化、道路の拡幅化、市場の大型化、移動手段の自動化(自動車)などなど、平面から立面へ、人力から機械化へと社会(街づくり)を転換している真っ最中であり、まさに「活動性の高い日本人」の時代だった。
それが気づけば狭い所にわんさかと人や車が集まりだし、空気や水の汚染、ゴミ、移動を阻む立面社会など、豊かさを求めたはずだったのに、とんでもない社会に突入してしまった。
そこから思い直してひとつひとつのパーツを取り換え改善してきたのだが、やっぱりパッチワーク社会の域を出ていないから、建物はバリア・フリー構造になっても町の中はバリアだらけというありさまで、高齢者の「閉じこもり」が社会的な課題にさえなっている。
70年代では人々の車指向が強すぎて、早すぎた歩車分離の考え方だったかもしれないが、今や高齢化率は22%(国民全体の5人に1人以上が65歳)、介護保険を利用している人が500万人(国民全体の25人に1人が要介護状態)、認知症と診断された人が200万人(国民全体の60人に1人)に達する「活動性が下がってきつつある・下がってきた・下がった日本人」の時代だ。
自分がドライバーの時は、スクランブル交差点や一方通行・歩行者や自転車・モミジマークの高齢者運転などにイライラし、自分が歩行者の時は車優先社会にイライラする身勝手な僕だが、僕が認知症になったことをシミュレーションし婆さんの側から物事を思考するように、自分を戒めてこの社会を考察すると、この国は決して人間を中心にした人間本位の街づくりができていないと思うし、ひとつひとつのパーツは世界で超一流のレベルを誇れても、そのパーツで構成される街全体を組みつける総合力がないためにバラバラの街づくりがされているようで、もったいなく歯がゆく感じている。
自分の意思をさっさと行動に移しやりとげることができる活動性の高い人間中心の街づくりをすすめる時代はもう過去のもので、僕の国鉄時代の大先輩がよく口にしていた「障害者にやさしい街は健常者にもやさしい」という言葉に表わされているように、「自分の意思を行動に移しやり遂げることに時間がかかってもいいじゃないか社会」に転換していくことで、世界ナンバーワン高齢者社会日本が世界に発信していく「先進人間長寿社会学やそれぞれの領域における先進術」(和田が勝手に言っている学や術)があるのではないだろうか。
地元愛知県の試みだけでなく、全国各地の試みに関心をもっていきたいし、もっと言えば、そういう街づくりに自分も関与できたら面白いやろなと夢見ている。
どっかで挑まないかなぁー 誰かチャンスくれないかなぁー
和田行男は面白いと思うけどなぁー(ハハハ )。
コメント
歩車分離や一方通行化には私も大賛成です。
私の地元の話ですが、青信号を横断中の小学生が左折するトラックに巻き込まれて亡くなるという悲しい事故がありました。
その子の遺品のランドセルの中には、自作のなぞなぞカードがあったそうで、そこには「信号はなぜあるの?」の問いに、答え「信号がないと事故にあうから」と書いてあったそうです。
この辺の話、興味のある方は「歩車分離信号普及全国連絡会」や「クルマ社会を問い直す会」などのHPに興味深い話が載っていますので、興味の有る方は是非みて下さい。
和田さん、皆さん、おはようございます。
ブログの内容と違う内容で大変済みませんが、悩んでいることがあります。96歳になる方が8月に脳梗塞になり、私の勤務する施設に入居されたのですが、その人のお孫さんからリハビリをさせないでほしいと苦情が入りました。
私が、その方が頑張っていらっしゃる姿を見せたことにより、そうなりました。もう…年なのだから、ただ、楽に過ごさせてあげたいというものでした。
それは、機能訓練でそうするように看護士からいわれていたもので、そのように行いましたが、それが発端になり何とか歩ける方も骨折させたくないから車椅子にということになり、全て骨折させたくないからとの理由で、なんとかシルバーカーを使い歩ける方も車椅子に変更になりました。
私がその方を見守りし、毎日の生活の中で出来る限りシルバーカーで歩行練習をしたいという望みが断たれ、私自身、支援を戸惑っています。
そして、その人が望むからということで、離床しない。そして、筋力が落ち、転びそうになってヒヤリハットを書くようにいわれる。その上で反省し、次はこのように行おうと反省しています。 今、この矛盾に悩み、私が間違っているのか?本人の好きにしていただくのが一番なのか?支援とは何なのか?悩んでいます。
そのようにしたほうが良いのでは?というのは、私の傲慢な思いないのでしょうか…?
ザキさんへ
カードの内容と巻き込まれ事故。誰が仕掛けたのか…ご冥福をお祈りさせていだきます。
また「歩車分離○○連絡会」や「○○問い直す会」なんていうのがあるんですね。一度見てみます。
ザキさん情報をくださり、ありがとうございました。
自動車中心のまちづくりは、歩行者にとって危険というだけではありません。運転手が高齢化して自動車に乗れなくなったら、大変不便なまちでもあります。
だから、歩車分離や一方通行などの規制に加えて、自動車に代わる交通手段の利用促進が必要です。
バスや路面電車などの公共交通機関と併せて、僕は自転車の活用が最も現実的だと思っています。
脚の弱った高齢者でも使える「介護予防型車両」というのもあり、面白いので紹介しておきます。
↓
http://blog.cycleroad.com/archives/51575867.html
歩車分離式 初めて見聞きする言葉と思ったら、私の住む街にひとつだけあるスクランブル交差点、いつも通っているのに、気が付きませんでした、歩車分離式と表示ありました。
車社会 本当ですね、私の生活範囲、見渡すとどこのスーパーもドラックストアもお店の周りぐるっと駐車場、あれでは歩いて来た人は車が通る駐車場通ってお店まで遠い事。以前は道路に面してお店の建物があり、駐車場は後ろや別にあった気がしますが、今思うと、幼少の頃買い物も通院も銀行、お墓の掃除とよくあんな所まで祖母に連れられ歩いたと、、今歩かなすぎ反省、、。
寺内さんへ
本位と本意で考えてみてはどうですか。
和田さん メッセージ有難うございました。
本位と本意ですね…、「本意=基本となるもの。標準。本意=もとからの心、望み。」ですね。その方にとって一番の望み…、やはり、その方が、この世を去る時に「良かった…」と思ってもらえたら嬉しいです。それには、押し付け支援では出来ない…。その方の一番望むもの・・それが一番大切です。でも、これからも沢山悩むのだと思います。
あっ、それから、御家族から苦情をいただいた御婆さんに「あなたがいてくれてよかった…」と言っていただき、他の御利用者からも必要としていただき、なんとか乗り越え、迷いながらではありますが、なんとか今日があります。
それと、人事異動があり…私が異動するのではなく他の人が異動します。上司も、周りの人も私を可愛がってくれます。和田さんからもメッセージを頂き周りからも愛され…私は、恵まれていると思います。本当に感謝しています。
和田さん、御多忙中のところ、誠に申し訳ございませんが、私自身…全く納得がいかないことがありました。
昨日、外に出たいという御利用者の願いを叶えるべく、リーダーに確認を取り、敷地外に出たら、大騒ぎになり、ヒヤリハットを書くように言われました。どうしてなのか、後から上司に聞くと、以前、桜を見たいという御利用者のために施設外に出たところ、骨折をされたそうです。それで、賠償責任を取らされたそうです。
和田さんは、こういったことに対して、どのように対処されていますか? 私の勉強不足、もっと、勉強をしなえればなりません。私の性格の問題から色々と躓きがあるのか? それでも前に進みたいです。
私の性格の問題なら直したいです。私、頭…悪いですか?計画性が足りないのでしょうか?そうゆうことの勉強をするのは、経営者研修とかですか? どうすれば、改善につながるのでしょう?
御利用者と外に出たい…どうすれば、可能になるのでしょうか?
寺内さんへ
上司に書くように言われたのはヒヤリハット用紙ですか?
ヒヤリハットとは私たちが支援していく中で「ヒヤリ」としたり「ハッと」したりする事例(用紙)を集め、大きな事故につながらないよう皆に周知させる為の大事な研修資料だと思いますよ。
もしも、上司が以前の転倒のような事故が起こらないように、様々な事例を集めて職員に周知しようと思っているのでしたら、喜んでヒヤリハットを書いたらどうですか?しかも具体的に。
記録に残す事は大切な事です。当事業所では「ヒヤリハット」を「気づきシート」と呼び方を変え、多くの職員の気づきを大切にしています。
メゲズに頑張ってください。
和田さん、ブログ・・お借りします。
りょうさん、コメント本当に有難うございます。コメントからりょうさんの実直・前向き感が伝わってきて、とても嬉しかったです。
私の勤務施設も、ヒヤリハットの始まりは・・そのような始まりだったと思われますが、今は、反省の出来ない人たちに罰則のようになっている感があり、大変残念に思っています。
でも、私は、それを利用したいと思いました。外に出たいと思われている御利用者の想い・・をヒヤリハットにしたためました。何年も外に出られずに、亡くなっていった方たちの想いを書きました。改善したい・・絶対に!!!
ローマは一日にして成らず、一歩から・・何事も諦めた時点で終わりです。何事もしなければ何もおきません。チャレンジあるのみ・・。不満を口にするぐらいならば・・その一歩を踏み出す勇気を・・と思っています。
御言葉、本当に有難うございます。
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