質問への応え
グループホームで仕事をしている職員の人から質問がきました。
「私のところでは、フロアで利用者様と一緒に調理をしている職員は私だけです。他の職員は台所にこもって調理をしています。リーダーにフロア調理について聞いてみると、お金をもらっているので、きちんとしたものを出さなくてはいけないという考えだそうです。フロアーで入居者様と野菜を切ったり、火を使うときは台所に行きますが、味付けをしていただいたりするのが、グループホームなのではないでしょうか。自分と他の職員の中で、グループホームに対するイメージがだいぶ違ってきているような感じで」
という内容でした。
こうした婆さん支援の直接的な話は、読売新聞の連載が始まったのを機に、ブログ以外のところでやることにしてきましたが、先日「和田さんのブログ、むずかしすぎて…」なんて声をかけられたこともあって、今週は久しぶりにこれでいきたいと思います。
これはよく受ける質問です。もう一度整理してみましょう。
質問者が言うグループホームとは、正式には介護保険法に規定された地域密着型サービスの「認知症対応型共同生活介護」のことです(そうですよね)。でなければ話は違うのですが、そう思いこんで話をすすめたいと思います(話が違うというのは、法制度上無関係に運営されているものは、提供側と消費者側の単純契約でやっているので何ら言葉をはさめないのですが、介護保険法に基づいて運営しているものは公金が使われているという違いがあるからです)。
介護保険法に定められたグループホームを運営するにあたっては、その法や法の精神を遵守して運営にあたることが社会的に求められます。
この質問に関する直接的なことは、介護保険法地域密着型サービスの運営基準第99条の3で「利用者の食事その他の家事等は、原則として利用者と介護従業者が共同で行うよう努めるものとする」と謳われています。
つまり、質問者の「食事づくりのすすめ方」は正しいということになります。
僕らが国民からお金をもらって提供する支援の基本は、介護保険法の目的に謳われている「有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるようにする」ことであって、決して「きちんとした食事を提供すること」ではありません。
もしも、きちんとした食事を提供するのを第一義と考えるなら、介護職ではなく調理師によって提供すべきでしょうし、グループホームに栄養士や調理師の配置を要望すべきです。
あくまでも暮らしの主人公は婆さんであり、その婆さんの・婆さん達の能力に応じて「自分で・自分たちでできるように支援する」ことが第一義だということで、ここが特養や特定施設とグループホームの大きく違うところです。
もちろんグループホームの利用者には認知症がありますから、好き勝手にやっていただくとどんな料理になるか、できるかできないかもわかりません。また、協働によるトラブルも考えられます。生きてきた経験も違うわけですから、味噌汁ひとつ作るにも、作り方でもめ事になったりすることでしょう。
だから私たち生活支援の専門職が傍にいるわけで、いることによって食すに値するものができあがり、スムーズに協働できることを獲得するということです。
まずはそのことなのですが、それの背景がとても気になっています。
質問者の法人に限らずですが、どうも経営者や管理者、従業者の中で「グループホームとは」「支援の在り方とは」「能力に応じるとは」といったような、グループホーム運営の基本的なことが法人全体で共有されていないところが多いのではないかということです。
これまで認知症という状態にある人々が置かれてきた歴史、その歴史的背景からグループホームというシステムが生まれてきた経緯、いま我が国が目指している支援や支援策の考え方・実践例などについて、支援者である法人職員が共有することが必要で、そのために代表者(開設者)の研修まで制度化されたのでしょうが、そこは形式的になっていて、グループホームと銘打った「収容して提供・保護する従来の施設の小型版」になっているところが多いのではないでしょうか。
この業界は、こうしたことを明確にして議論しているところでも、油断すると「利用者をお客様」にして主体性をおきざりにしてしまったり、四六時中閉じ込めておくなど「婆さんは人に非ず」と思っているではないかと思えるような扱いをしてしまったりと逆行しがちです。
なかなか一般職の人がこうした基本的な事柄に口を挟みにくいものですが、こうした基本的なことが事業者団体のように結集しているところで喧々諤々議論されるようにならないと、こうした課題の解決を促進するのは難しいかもしれません。
事業者団体に所属する僕も、怖がらずにこうしたことを仲間(同業者)に投げかけられるように、また投げかけられたことを真摯に受け止めることができるように尽力していきますね。質問者の方もひとりで実践するのではなく、同僚たちとしっかり話し合えるような関係をつくって、みんなで話し合いながらすすめられるように尽力してください。ひとりではほとんど何にもできないに等しいですからね。
陰ながら応援しています。
コメント
先日「プログが難しい」と言ってしまってすみません。久しく先生の講演を聞いてなかったので、パワーに体中が震えました。テンションあがりっぱなしで、元気一杯頂きました。
当方も小規模多機能型ホームで自前で調理をしていますが、この前などは利用者さんに「今日の昼飯まずい。だれが作ったんかしらんけど」と言われてしまいました。
作った若きスタッフはおろおろしてましたが、「ほんなら次は○○さん作ってね」と言い、「いろんな人が作っていろんな味が楽しめるからいいやん」と。
うちは野菜切りから後片付けまで一緒にします。自宅では取り上げられてしまって、できない方も本当は出来るんですよ。そばで一緒にやれば…それが仕事なんですよね。専門性なんですよね。
プログをお借りしてすみません。昨夜テレビで越智俊二さんのドキュメントを観て…訃報を知りました。知らなかった。ショックです。京都から福岡に講演を聞きに行ったのが私にとって最後だったんだなと。その時和田さんにもお会いしましたが。寂しいですね。
グループホームの存在意義を法令を根拠に認識して誠実に行おうとすると、質問者の方のような問題に必ずぶち当たると思います。依然として大型施設の介護をまねていれば良いという古い考えの管理者も多いと思います。
しかし、介護のプロとしてここは、ねばり強く実践しながら介護の味方を一人でも増やして行くしかないと思います。私自身も全く同じ思いを三年間続けています。少しずつですが、味方らしき人もできてきています。頑張りましょう。
このたび初めて和田さんのブログを見ました。
当方の母親も今年の1月から、大田区にあるグループホームにお世話になっています。グループホームって何か、ということがイマイチ分からず、いくつか関連書籍を見ましたが、どうも無機質的でストンと胸に落ちませんでした。その後、とても分かり易い『生き返る痴呆老人』(宮崎・日沼氏共著)に出会い、そこで紹介されていた和田さんの著書『大逆転の痴呆ケア』に出会いました。
このブログで特に印象的だったのが『あくまでも暮らしの主人公は婆さんであり、その婆さんの・婆さん達の能力に応じて「自分で・自分たちでできるように支援する」ことが第一義だということで、ここが特養や特定施設とグループホームの大きく違うところ』で、この記述により、これまでもやもやとしていた、これらの相違が自分としてすっきりしました。
さらに次の2点『質問者の法人に限らずですが、どうも経営者や管理者、従業者の中で「グループホームとは」「支援の在り方とは」「能力に応じるとは」といったような、グループホーム運営の基本的なことが法人全体で共有されていないところが多いのではないか』及び『グループホームと銘打った「収容して提供・保護する従来の施設の小型版」になっているところが多いのではないでしょうか』です。
グループホームの入居者・職員スタッフ・入居者家族が三位一体を理想に掲げつつ、各々の認知症状の違いや家族サイドのゆとりの相違などを加味して、引続き、家族として、行なうべきことや、むしろ行なってはならないことなどを少しずつ考えていきたいと思っています。
11月17日 22過ぎ nhK
プロフェッショナル …藤○さん…?
半端にみたんじゃけど いいんじゃない?…って仕事ぶり リスペクト少しでもして 明日に繋げようと想うたんですよ (笑)
…
おじさんに負けん様にせねばね
和田さん、皆さん、こんばんは。
グループホームでの食事のこと、私もグループホーム勤務時は沢山の葛藤があり、お気持ち…本当に解かります。
私は、仲間を増やすことを心がけ、理解を求め、チャレンジしていきました。知っていることを行わないのは、怠惰だと自分にいつも言い聞かせて…。そして、ローマは一日にして成らずとも思いながら…。無駄なものは一つもありません、チャレンジあるのみです。
介護保険上では、色々と取り決めがあり、支援しづらいことこの上ないですが、措置制度時代のことを考えれば、良くなった部分もあり(私の勉強不足もあり、御指摘あれば済みません)、これから、もっともっと介護保険を良くしていきたく強く強く願います。
今、私の勤務する特養で、どこまでその人らしい生活に近づけるか、特養での「ぴんぴんコロリ」を目指しています。時には、グループホーム的な…時には老健的な・・限界にチャレンジです。体も限界ですが、たのしいし行わずにはいられません。
そして、御利用者の事を考えると内容の充実(リハビリ・衛生面)で職員間の協力が必要不可欠です。つまり、仲間を増やしていくということですね。一人では、この仕事はできない…。
今、私の一番の夢は御利用者と外に出たいです。あの施設から出れない・・それで、死を迎えられるのか…、もっと、オープンに外に出れないのだろうか・・、時間の制約があり、人数の制約があり(職員も含め)その為に、御利用者と体力づくりを頑張っています。
お久しぶりです。山形県GH協議会のひよこ理事です。
そうなんですよね。
運営基準第99条の3で「利用者の食事その他の家事等は、原則として利用者と介護従業者が共同で行うよう努めるものとする」とされています。さらに、基準第165条3項でも、「良好な人間関係に基づく家庭的な生活環境の中で日常生活が送れるようにするために、食事や清掃、洗濯、買物、園芸、農作業、レクリエーション、行事等を原則として、利用者と介護従業者が共同で行うように努めなければならない。」
とされていますので、食事だけでなく、生活全般にわたって共同で行う事が認知症高齢者グループホームには求められています。
法に則ってということではなく、北欧から発祥となった高齢者グループホームのもともとの形態は、「みんなで楽しく暮らしましょ。」といったグループリビングですからね~。それに、介護と言う出来ないところを補うことで、認知症高齢者に対して、その効果が認められたと言う経過がありますので、その本来あるべき形を大事にすることが、グループホームの存在意義を示す最高の武器かな?と思います。
和田さんへ
やっとお会いすることができました。
正直、のっけから笑いっぱなしでした。
僕もよく、介護とは?認知症とは?と質問します。多くの人は答えられませんけど。笑。
あとは、隣の部下が和田さんと僕を比べて、表現が少し違うのと、喋りが関西弁になっただけで殆どいっしょじゃないですか!って何回も言ってきて、やっぱり爆笑です。声を出さないのに苦労しましたよ~。
理論も大事、実践力も大事。しかし、和田さんのように目の前の人と接しているということを語ってくれる人は少ない。ホント嬉しかったですよ。
マジで近いうち飲まないとですね。
僕は見た目や話だけじゃなくって握手して暖かさとかを覚えたりするんです。昨日は握手するの忘れちゃったんで次回よろしくです。
ブログも久しぶりに拝見しましたが、やっぱり好きな表現です。
僕は今日も笑顔とありがとうの伝染たくさんします。それでは和田さんもたくさん笑ってくださいね。
先日は宇治市で「認知症になるかもしれい…」講演ありがとうございました。「何か質問は?」に発言する勇気がなくて後悔しつつ終了後、一緒に行ったスタッフと外でイップクしていた時に声をかけてくれはってホンマに嬉しかったなあ。
和田さんの「人としての生きる」を支えるために自分達はおるんや!一番つらいのは本人なんやで!がガンガン伝わっていまだ熱中症状態です。
で、自分達が受けた感動を仲間と共有したいと、今夜、事業所内研修で先日のメンバーが喋りました。ちょっと迫力に欠けてたと落ち込んでる者もおりましたが中には「グループホームでの生活ってなんなん?」とするどい突っ込みをしてくれるスタッフや「ハサミ部屋に持って行ったらあかんの?」なんて、ふつーうに疑問に思ったことを言ってくれるスタッフがいたりして、皆で考えたり喋ったり意味のある時間を持てたのではと思っておるのでございます。
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