どう応えられる
2009年10月05日 15:00
この時期は『認知症の人と家族の会』が全国的に取り組んでいるアルツハイマーデーがあります。いつも会の皆さんの何としても『変えていきたい』という熱意とパワーをいただいている取り組みです。あちこちから招いてもらっていますが、ある会場で講演会終了後に、ある相談を受けました。
ご相談に来られた方のイメージはニューファミリー。まだ若いご夫婦で、僕と同い年くらいに思ったので、ご両親の相談ごとかと思ったら手渡されたペーパーにはこう書かれていました。 『私はピック病と診断されました。57歳です。この先どうしたら良いでしょうか』
話を聞かせていただくなかで『怖いんです』と悲痛に訴えらるのです。
ご夫婦には中学生の娘さんがいます(他にも子どもさんがいるかもしれません)。かかりつけの医師は僕が知ってるほど著名な方でした。まだ仕事もされています。
皆さんがボクなら、何と答えますか。応えられますか。
これを読んでくださったみなさんが、相談を受けた当事者として考え、この国の到達点をみつめる機会にしてみませんか。
たくさんの方からのコメントをお待ちしています。
コメント
和田さん、皆さん、こんばんは…。
ピック病に関して出来るだけ調べました。自分がなったとしたら…怖い…本当にその言葉につきます。自分が自分じゃなくなる…。それがピック病…。
私だったら、とにかく出来るだけ話に共感してお聞きすると思います。そして、その人自身が、これから何をしていきたいのかを聞きたいです。どんな風に生きて生きたいか…。
その前に、日記でもいいですが、今の自分を書き留めていくことをおすすめするかもしれません。そして、今のうちに逢いたい人や話しておきたいことは、伝えておいたほうがよいかもしれません。と伝えるかもしれません。
私は、アルツハイマーのクリスティーン・ボーデンさんの本「私は誰になっていくの?」を読んだり、宮崎和加子さんからの本の御紹介で知った、ALSになられた牛久保さんの本「支えられて」を読ませていただいて、牛久保さんのご厚意でメールをさせていただいておりますが、とても、みなさん、頑張られていて・・私も負けられない・・こんなところで弱音を吐けないと毎日過ごしていますが、本を読んだり、お付き合いがあるせいか…、人ごとに感じないんです…。
まずは思いを話してもらえるように、耳を傾けます。そしてその話からもっと深く、ひとつひとつのことに対して一緒に考えていく者としての姿勢を示します。
相談ごとでも、自分にできなことがあれば、どうやったら解決できるかを一緒に考える、他の人の応援やネットワークを使ってみんなで支えていることを理解してもらえるようにと考えます。
手法をどうするとかではないと思いますが、困っている人がいて、自分にできることがあれば助け、できなことは周りに応援を求め、一つでも解決し、解決できないとしても少しでも気持ちが前に向く事ができるようにと考えます。
当たり前のことを書きましたが、どこか他人事と捉える自分も少なからずあることも否定できません。相談されることはとても重たいことと思います。本当にその方に何ができるかは、相談者が自分の力で前に進む事ができるかどうかだと思います。
今日は大変ありがとうございました。当ブログに関しては、明日以降に更新させていただきます。
私ごときの回答で申し訳ありませんが、先生が本日お話をしてくださいました、言葉から引用させていただきますと、
「人は誰でも早かれ遅かれ老いを迎える。呆けない人間なんかいない。」
と言うお話をストレートにされてもよろしいのではないでしょうか? その上で、ピック病に関してのご本人の理解と、周囲の理解と言った点に触れ、愛する家族の助けを借りることの必要性を伝えていただけることがよろしいかと思います。
クリスティーン・ブライデンさんのように、認知症になった自分を客観的に捉え、人に伝えることは出来なくても、『怖い』と言う感情を持ちながらも、自分と家族だけなら病気に関して理解し、支えあうことが出来る関係を構築する事は不可能ではないと思います。
57歳という年齢で認知症、とりわけピック病を発症すると、様々な不安や恐怖があることだと思います。
(↑こんな言葉では表現できないようにも思いますが・・・)
本人の知的能力、生活能力の低下、進行、暴力や万引きなど反社会的と言われる行為、それによる世間体、近所の目、働けないことによる経済的不安、思春期の娘さんがお父さんの病気を理解できるか、親が認知症ということでの娘が差別されないか、もしかしたら、ご両親の介護がこれから必要になるかもしれない…、など。
ピック病に限りませんが、認知症をはじめ、知的・精神的な気を抱えると、「人」として生きていけなくなるかのような恐怖。
身体障害とはまた違った、「社会的」に生きていけなくなる恐怖を感じるのだと思います。
どう生きていってよいか、分からなくなるだろう、と思います。ピック病であればなおさらではないか、と思います。
僕の知り合いで、お父さんが万引きを繰り返す。何度も警察につかまり、裁判にもかけられ、引越しも余儀なくされた方が、5年間ピック病とは診断されなかった、ということがありました。
こんな人、お父さんではない!と憎むまでに至ったそうです。
それでも、自分しか支える人はいない、と、近所の方やお店の人、警察の方に頭を下げ続けながら、次は何をしでかすのか、とビクビクしながらの毎日だったそうです。
それが5年間…。
ようやく診断されて、ケアマネに相談。施設を探したのですが、対応した施設の相談員が「ピック病」って何ですか?と知らなかったことにショックを感じたとのこと。
今はグループホームに住んで落ち着いて生活をしている、とのことですが、落ち着いた今だからこそ、こうして笑って話せると、知り合いは言っていました。
和田さんの言われるように、「認知症」の人、でなく、認知症の「人」、という観点で考えてみると、せめて身体障害と同じくらいの感じ方、つまり、障害(認知症)を負っても、何とか生きていける、というふうに感じられるような世の中にしていきたい、と思っています。
そのためには、知識と気持ちを兼ね備えたサポーターが必要なんだろうと思います。
ケアマネをはじめとする相談援助職。
直接に介助を行う介護職。
療養上の介助を行う看護職、リハビリ職。
必要な医療を提供する医師。
これら職種が働く組織。
組織をマネジメントする経営者。
生活と自立を助ける福祉用具。
各種制度を運用する行政職。
制度のもととなる法律。
法律を作る議員。
そして、同じ地域に暮らす住民。
効率主義、能力主義が第一の現代社会においては、障害を負った方というのは、ある意味生産性のない人、とだけ考えられがちです。その意識は結構根深いように感じています。
その意識や行動を、自らも含めて変えていくことが、今、現場で働く、僕ら介護職の役目かな、と思っています。
和田さんの「大逆転の痴呆ケア」の帯を見て、ハッとしました。
「この本が、早く売れなくなりますように。」
僕も、今の自分の仕事の中で、できることを頑張ります!
PS
10月8日(木)の愛知県の認知症対応型サービス管理者研修を受講します。お話をお聞きできるのを楽しみにしています!
(和田さんのお話を直接お聞きするのは3年ぶりくらいです。)
ここに来るのを毎週楽しみにしています。
私が考えた援助は、「家族に病気の原因・症状など理解してもらう」「その方の行動・嗜好にあわせた対応をし、安心してもらえる環境・生活パターンをケアに組み込む」…です。
大まかにしか記せませんでしたが、その方の毎日の行動、嗜好、特変など生活の様子を書き記し専門医と相談し必要であれば服薬も続けながら、病と向き合って行く。
以前の勤め先でいつも引っ掻いたり蹴ったりするお婆さんがいました。「ばかー」「くるくるぱー」とかいつも言われました。夜勤のトイレ誘導の時、いつも爪を立てて来るのですがガマンしてにこやかに手を差し伸べ続けると、次の誘導の時彼女から手を伸ばして来たのです(次の瞬間には叩かれましたがね…笑)もう亡くなられましたが、私は彼女に安心して過ごしてもらえたのか?と自問自答した事があります。
以前、脳についての番組があり「失われた脳の働きを他の部分が補う様に変化する」症例を特集していました。脳細胞の働き・成長は人間の予想や常識をはるかに超えていると。
お若いので今後どのように脳が変化するかは誰にもわからない事だと思います。よい関わりでよい方向に向かう事を願っています。
ピック病と聞くとどうしてもそのことを先に考えてしまいますが、まずはその方と人として付き合う事から始められればと考えます。一人の人間として関わるというか接するというか、お互いに話しをすることからのスタートでしょうか。一緒にその病のことを知り、病と闘うためには何が必要で、そのためには誰が何をどうしたらいいかを、本人と本人に関わる全員で共有していく事でしょうか?本当の意味で「本人の怖さ」は分からないかもしれないけれど、分かろうとする努力を惜しまないようにしたいと思います。
まず、ご自身で自分がピック病であるとこを認識し、和田さんの講演会を聞きに行き、直接和田さんに会いに行き、お話をされているという行動に対して敬意を表します。
今の段階でご自分で認識できていることは、そうでない方に比べて今後の暮らしに対する希望や現実的な話も考えやすいのではないでしょうか。
かかりつけ医も著明な方であれば、良く相談し、起こりうる状態に随時対応していかれるようご家族共々話し合っていくべきと考えます。
個人的で具体的なサポートは難しいかもしれませんが、もしお話を聞くだけだったり、私の知っている知識や知人で少しでもお力になれればと、名刺をお渡しすると思います。
以上、私が考えた私の応えです。
私は在宅のケアマネをしておりますが…自分であったらどう応えるか考えました。
ご本人やご家族の心情を思えば思うほど、掛ける言葉がみつからないのが正直なところです。計り知れない不安と恐怖はいかばかりかと思います。
現実問題として、これからの生活を考えなければならないと思います。働けているうちは良いのですが、働けなくなる日がきた時、手続きをすれば障害年金が支給されるようになると思われますが、特定疾患の難病指定などにはなっておりませんし、介護サービスも高齢者主体が多いため、若い方は馴染めないと思われます。
子供さんもこれから高校、大学と進学されることを考えますと、ピック病になっても生活が成り立つように、せめて生活費の心配だけでもなくしてあげられる国にしていきたい、仕事が続けられる環境作り、地域の理解、利用できるサービスや施設もほしい。癌保険のような生命保険もあってほしいとも思います。
そして、そういう色々なことを現実にしていくために自分達は何をどうしていけばよいのか…。
あなたならどう応えますか?の答えになっていなくてごめんなさい。
私ならですが、まずはお話を丁重におうかがいし、ひとまずは預からせて頂き、信頼出来る仲間に相談すると思います。そこから導き出した返事を真摯な態度で、それがベストでは無い可能性も含めてお話しさせて頂くと思います。
あまりに重たい話しなので、軽々しくは答えられません(本当は認知症の方は、どなたもあまりに重たい話なのでしょうが、なんとなくお婆さん達の方が明るいところもある気がしてしまいます(真摯ではないですね))。
以前このブログに書かれていた、捨て猫をとりあえず連れて帰り、引き受け先を探した話を思い出しています。自分が出来る事で何か力になりたいという気持ちは通じるものがあるかなと。
今朝、ふわふわと雪虫が飛んでいました。寒い季節の到来を教えてくれる北海道の風物詩です。 認知症になっても季節を感じ、生活を楽しむ、そんな環境を作っていく事が出来ればいいなと思います。余談ですが。
ご本人の不安や苦しみを可能な限り聴き、
「大丈夫! うまくいかない事ばかりだけど、一緒にできる事をできる限りやり続けましょう!!」と告げる。
後は、皆さま方のように、様々な人間関係、社会資源、環境、体調を整え(もちろんその時々の変化に合わせて変えて続けながら)ていきますかねぇ~
過去の生い立ちを尊重しながらも、その時点での「今のできる事」を見極め、創り出しながら、少しでも「有する能力に応じ、自立した日常生活を営む事のできる」姿を追求し続ける。
「自分の事は自分で」「互いに支え合って」「社会と繋がって」生きる姿を追求し続ける。
固定されたものではなく、その時々における、変化し続ける「その人らしさ」を追及し続ける。
その時々における自己実現のために、医療と連携を図りながら、ベースにある、食べる出す寝る等の生理的欲求、体調を満たせるよう関わり、安心して暮らせる環境を整え続け、人間関係を織りなしながら、その人間関係同士の中で認め合う気持ちや、声かけを大切にしていく・・
そんな中から、自分自身でその時々における自分らしさを、自ら発揮できるような支援ができたらいいなぁ・・と思います。(マズローの欲求階層)
そのような姿勢は、相手の安心感、信頼感(少しですが・・)へ繋がっていくのかな・・と。
それを支える、創り出す支援者自身も「自分」を大切にしながら「メンタルヘルス」をコントロールしながら関係していく。
その時々でのできる事と、限界点を見極め、ご本人と一緒に歩んでいく姿勢を追い求め続けれるといいなぁ。。。
公的にできることそれを説明して、できないことは個人的に尽力します(専門職として)本当に必要としている方々に。(国の実情を知って貰いたいから)
後、我々、介護専門職の方々が、専門職として介護に関する「無知は罪」になっていることも私も含め、考えてみたいと…それが、国を変え、家族を変え、本当に介護を必要としている方々の生活を変えていける第一歩だと思っているのですが…?
本当に話がズレテイマスがすみません。
ブログ拝見しました!私はまず、ピック病を知っているようで知らなかったです…アルツハイマー病は進行を遅らせる薬があることは知っていましたが、ピック病は世間であまり知られていません。
特に働き盛りの方が多く、人格障害(本人に自覚がない)を伴います。この病気をもっと知り、自分に何ができるかを課題にします。
ただ、本人にとっても家族にとっても病気との闘いです。私が「もしなったら」と思うと家族の顔が浮かび涙が出ます。
和田さんはどう答えたのでしょう。
未熟な私は、「この病気を回りに言い、誰がなるかわからないこの現実を伝えませんか」と言うと思います。家族だけでなく、地域で守る事を願います!
以前、ピック病の方を小規模多機能型でお世話させて頂きました。
急に怒り出したり、施設から飛び出したり…スタッフはへとへとでした。でもみんな頑張って個別に係わり、寄り添い、色々話し合いながら、今その人に何が必要なのかを考え、どんな気持ちなのかわかろうと努力しました。結局入院されましたが、スタッフそれぞれが色々考える機会を作ってくれたんだと思います。
近所の人は「すっかり人が変わってしまった。以前のAさんのことが忘れられないから出来ることはさせてもらいたい」と、よくお世話されていました。病気のせいで別人格にかわってしまうとしたら、私だったら今のうちにいろんな人宛の手紙を書いておこう、病前の私はこんなこと思ってた…それを書き残しておこう、ちっぽけな自分のプライドを守る為だけかもしれないけれど…そんなことを勧めるかもしれない。
まず家族、周りの人を信じてみよう、そんな世の中が来てほしい…そんな願いも込めて。応えにならずすみません。
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