外は論の外
東京都老人総合研究所から「外出しないと歩行障害4倍 高齢者リスク調査」(2006年)というのが発表されている。
もう3年も前の調査発表だが、改めて取り上げてみたい。
東京都老人総合研究所(現 東京都健康長寿医療センター)が、新潟県のある町と一緒に行った調査研究である。
内容は、2000年に面接をした町民1500人から外出頻度や歩行能力などの健康状態を聞き取り、MMSEというテストで認知機能を調べ、2年後に再度調査した1300人について、健康状態などの分析を行った結果である。
1kmの距離を歩けないか階段を登れない場合を「歩行障害あり」として、そうした状態になるリスクを「1日一回は外出する」人たちと比較したところ、年齢や健康状態が同じになるように調整したうえで比べると、「2~3日に一回」の人は1.8倍、「週一回かそれ以下」の人では4倍のリスクがあるという結果になったそうだ。
また、認知機能が一定以上下がるリスクも「2~3日に一回」の人で1.6倍、「週一回かそれ以下」の人で3.5倍だったそうである。
調査結果の総論としては、「もともとの健康状態とはかかわりなく外出しないこと自体が危険性を高め、歩行障害を抱えても外出する機会が多ければ回復する可能性が高いので、社会活動に参加するなど、外に出る習慣をぜひ保つように」と。
これは東京都の公的な機関と行政との連携調査による結果であることに大きな意味をもっていると僕は思っている。
なぜなら「介護」には、「外に出る」という社会的な生き物といわれている人間にとって最も基本的なことを応援するという視点がなさすぎることに加え、「外に出る」ことを行政が制限を加えることを平気でするし、「介護」に従事している専門職もそれを甘んじている実態があり、合わせて「外に出る」を支援できるシステムになっていないことを課題化しようともしないことに疑問をもっているからである。
日中の時間帯、利用者7名に職員一人くらいの配置しかできない運営基準になっている特別養護老人ホーム、敷地から出てはいけない指導を受けていたリハビリテーションを目指す老人保健施設、閉じこもり防止で通うデイサービスに閉じこもらせる行政、1日のうち一度も利用者が外に出ない施設(特別養護老人ホーム、グループホーム、デイケアなど)は腐るほどあることだろうが、あまりにもこの調査結果とは無縁の「介護」の実態がある。
行政職員だけでなく、「介護」の経営者や従事者専門職にすら「外に出る」という極めて当たり前のことへの追求がなさすぎる。
調査にあるように、「外に出る」ということは非常に専門性の高い支援であるにもかかわらず、あまりにも日常的すぎて、専門職を気取りたい介護従事者には見向きもされない。
それは「自分のことを自分でする」というのも同じで、そんなことよりも「○○療法」とか「○○効果ゲーム」とかといった「こんな効果のあることをやらせている私は専門性が高い」というようなほうに向いているような気がしてならない。それは、全国の「介護等」の実践発表の場になっている「○○全国大会」などを聞きに行くとよくわかるが、「外に出る」「自分のことを自分でする」なんていう当たり前のことへの支援を論じている専門職はほとんどいない。外出の論議や実践はカヤの外なのだ。
でもその向こう側で、施設に閉じ込め・動きを制限して「廃用や不活性」「非人間生活」を専門職がつくりだしていることに気づけていないし、そのことがどれだけ国民にとって不利益なことかが行政職員に気づけていないように感じる。
こうした公的な機関が調査研究した結果をもっと重視して、憲法が掲げる「健康で文化的な最低限の生活」とか社会福祉法や介護保険法が掲げる「自立した日常生活」など「介護」が目指すべき方向(理念)は定まっているのだから、それを具現化することを課題化するべきである。
「施設から出さないように」とか「危ないから動かさないように」など非人間的なことを、人間が生きることを支えるはずの「介護」専門職に課題化させているようでは、この国の到達点が疑われるというものだ。
「外に出る」とか「自分のことを自分でする」といった、人間の生活では極めて基本的なことへの支援がなさすぎるのは、この国の到達点が低すぎるのか、逆に考えればこの国が掲げる理念が高すぎるのか、はたまた理念を具現化するシステムに問題があるのか…。
僕は「外に出る」ということだけではだめで、「自分の足で出る」ということにこだわりをもって「介護」(リハビリテーション)を考えている一人であるが、高い理念を見つめ、それに一歩でも近づきたいと想っているひとりでもある。
(考えるのは大変なエネルギーがいるけど、想うのは容易いからね)
コメント
和田さん、皆さん、こんにちは。
私は、私を和田さんのブログを通して励ましてくださった沢山の皆さんの御蔭でこんにちも特養で頑張れています。本当に有難うございます。
思い起こせば・・グループホームでは御利用者と外に出たいとリーダーを始め先輩方と何度も話し合いました。そして、何度も外に出かけました。レクレーションも沢山行いました。和田さんを始め・・皆さんの御蔭で沢山のことにチャレンジできました。知っていることを行わないのは怠惰・・だと今でも思っていますし、
その後、私の仲間が後任で行き、グループホームで沢山のことにチャレンジしていると聞き及んでいます。
今の勤務先の特養では上司の応援もあり頑張っています。三日前、先輩から仕事中に歌を歌うなといわれ、先輩から「寺内さんはどんな風に考えているの?」と聞かれ「御利用者の方々が人間らしい生活を送れるようにしたいです」と伝えました。先輩から「私達も、そうしたい・・でも、出来ないんだよ・・」と言われ・・了承しました。その後、自分の中で納得がいかずに落ち込んだり、イライラしたりとありましたが、心の中で「ひょっとしたら急がば回れかも?」とも思っていました。その後、その先輩と一致団結して仕事に望んでいました。昨日、結果が出ました。先輩から「私もレクを行いたい・・、今は人数がいないから出来ない・・」と言われ「将来的にレクを行えるよう前向きに・・・」と伝えました。その後、過去に行ったレクの道具を見せていただきました。」午後は、上司からの手伝いもあり、御利用者と10月のカレンダーの絵を塗りました。これから、すぐには実現は不可能かもしれないけれど、毎日が御利用者にとって楽しい・・、明るい未来を信じて前向きにチャレンジしていきたいと思っています。そのレクの後、勤務人数の少なさを補うために私に協力してくださった先輩方にとても感謝しています。
閉じこもり防止で通うデイサービスに閉じこもらせる行政・・・不思議ですよね。
同一法人内のGHに認知症DSの利用者が交流に来たら、その時間は利用時間に入らないからいけない、年間計画に入れてあるのならOK…一体どうなっているのだろうと思ったのは、4年前でした。
閉じこもり予防でDS利用といっても、事業所までは車の中出し、景色もゆっくり見ることができないし。
今日はちょうど会議だし、和田さんの今日のブログを資料にして考えてみましょうか…。
「外に出る」って本当大事だし 本能だと思います。私のグループホームでも 年間行事にとらわれず 日々外出をしています。歩ける方が だいぶ減ってしまいましたが それでも 時には皆さんで 時には 少人数で 外の景色や風 人に出会いに 出掛けます。上司の支え 職員の気持が 「皆さんに 少しでも楽しく 最期まで人間らしく 閉じ込めるのでなく 過ごしてほしい」と…。
先日、徘徊されていた方の家族さんに「何で歩かせているのか?」と聞かれました。 ご本人の気持を行動制限はしていないこと。転倒の危険があるため、見守りをしながら 寄り添っていることなど伝えましたが、今ひとつ納得していただけてないようでした。
多少のリスクは承知の上で、ターミナルに近い方も ドライブや近隣の散歩に出掛けます。家族さんに寄っては 止めて欲しいと言われる方もあり 理解してもらえるように…日々の課題でもあります。
和田さんが来月 滋賀県 大津に来られるとの事で、20数年ぶりですがお会いできるのを今から楽しみにしています。
施設に入所するご利用者と近所に借りた「家」に行き、「今日は何を食べるか?」「どこに買い物に行くか?」等と話し合い、各々ができることを寄せ合い、笑いあう時間を過ごした「逆デイサービス」なるものを始めたのは7年前の事になります。昼間だけでしたが「生きること」を共に楽しめた時間を、今でも自分の支援の指針に持っています。
その後、法人内の通所サービスに移り、そこでもご利用者を「閉じ込めない」ことに尽力してきたことに自負があります。
その動機のひとつに、やはり自分が(人間として)「閉じ込められることが嫌だ!」という思いがあったからです。共感してくれる同僚もいましたし、何よりもご利用者に支持していただけたと思っています。
その「思い」は今でも同じです。でも、私は今、その法人にはいません。その理由は私自身の問題もありますが、和田さんが仰るように、この国の高齢者福祉を具体化する方法(の1つ)である制度が、あまりにも高齢者を「護民」として人間の生活の「蚊帳の外」に想定しているように感じるのです。そのような中で、真っ当に「人間が生きる」ための支援を行おうとすれば、色々な問題が生じても不思議はないと思いますし、事業所や介護職も差し迫るだろうトラブルを回避してしまうのも当然だと思うのです。
当然、「できない支援」があっても仕方ないのだと思います。しかし、制度の基本的な理念において「人間が真っ当に生を全うすることとは?」に深めずして、その制度で運営利用する事業者や職員がご利用者の「人間らしい生活」を担保することには無理があるのではないでしょうか?そのような状況でも、尽力しておられる事業者や介護職が多くいらっしゃることも存じていますが、あまりにも一事業所や個人の資質に頼りすぎているように思います。
「外に出ること」の大切さは、「出ること」自体にもあります。が、それ以前に「閉じ込められていない」ことをご利用者も職員も周知することから「生活」や「支援」の幅が広がることに現状においては大きな意味があると思うのです。
私自身は、自分の支援の具体化に尽力したいと思って、今、必死にもがいています。できることは微々たる事なのはわかっているのですが、まだまだ、諦めきれないのです。
私ごとですが、ようやくPC環境が整い投稿できるようになりました。
今日は知人から次のような相談がありました。知人も介護職です。
知人のばあちゃんは施設入所中です。その施設の方から何度も連絡があり、ばあちゃんをばあちゃんの自宅に連れていってあげたいとのこと。
が、ばあちゃんの家は今は他の人が住んでいるので、その旨伝えたら、施設で今住んでいる人に交渉するとおっしゃったとのこと。諸事情で、知人家族は現在住んでいる人たちに相談できない関係で、大変困ってしまったとのこと。
知人は、「施設の若い職員さん達の熱意も分かるし世話になっているし。いいことだけどうちにも都合があるし。何といってもばあちゃんの気持ちが抜け落ちているような気がして仕方ない。もし出かけるにしても、まずは車で出かけることにハードルがあるんだけれど。。。」
施設の現場の職員さんにその都度話しても、どうもこちらの事情が伝わらないので、責任のある方に再度話してみる、本当にばあちゃんに必要なら介護計画書にきちんと盛り込んで進めることを伝えてみるとのこと。
外に出ることは当たり前のことで素敵なこと。私も知人も外出支援もしてきた。
現場の職員さん方の熱意はよく分かるけれど、自宅訪問することだけが目的にならないようにと思いながら、今日は帰宅しました。
こんにちわ。
私は一昨年前、和田さんの講義を初めて拝聴し、あまりのショックに涙が止まらず休憩時間に『ムリですっ!私には和田さんの講義を最後まで聞くのはムリですっ!!』と、泣きながら会社に電話したのを今でも鮮明に覚えています(苦笑)。
朝食を終え当たり前のようにフラッと外に出て行くお婆さん、もう一人のお婆さんは靴を履き替えやっぱり外へ、もう一人のお婆さんは杖をつき別の方向へ…。
その時間のグループホーム、勤務者は私ひとり。
皆さん、何かしらの用事があるようでその目的を果たしに行こうとされるのですが、『ちょっとーーーっ職員さーん!!』と中からは私を呼ぶ声が・・・。
『おーーーーーいぃぃぃ。ひとまずココのベンチで井戸端会議しませんかぁぁぁ?』と、四方に歩き出すお婆さんに懇願したりして。
見学の家族や同業の見学者から『鍵をかけていないのですか?』『出て行っちゃわないですか?』と驚かれることが時々あります。
『ええ、出て行っちゃいますよ、フツーに』
『ええーっ?危なくないですか?』
危なっかしいけど、転ぶかもだけど、ひとりで戻ってこられないかもだけど、でも何より当たり前のコトが当たり前でなくなっちゃわないように、していきたいなって想いました。
塩田えり子さんへ
20年ぶりの年下ではありますが先輩との再会を超楽しみにしています。
取り急ぎ。
先日あるデイサービスに担当者会議でお邪魔しました。
玄関の戸は外からは開くのですが、中からは操作をしないと開かない仕組みになっていす。開いたとたん、私の別の利用者さんが怒って、入り口に座ってみえました。
「ここは私を鍵を掛けて閉じ込めている。誰も信用できん。どうしてここは私を閉じ込めるのか?」と。
その方は2か所のデイを利用しています。もう一方でも鍵を掛けて対応しています。そちらの施設では、一度も鍵を掛けられて閉じ込められているとは、感じていません。何処に差があるのかと、これからまたみんなで担当者会議をしなくてはと思っています。
外の論の外とはちょっと視点が違うかもしれませんが。
介護保険と医療保険を同時に使ってはいけないと言われて、病院併設のデイには一日に二度通わないとならない矛盾があって、通所利用者にはサービス提供時間に外の社会と触れ合うことが禁止され、施設内での行動抑制が当り前のように起きている。
施設の前にあるコンビニに買い物に行くのはいけないこと?
施設の隣の図書館があっても利用者は利用できないの?
通所利用者にも市民権を・・・と願います。
・・・さんのご意見、納得です。できることを少しでもしたいと思った時のパワーはすこぶる上々なのですが、いざ制度と照らし合わせると、不可能になる。むずかしいですね。
今はそれに加え、インフルエンザが障害になっていて、また閉鎖的な雰囲気に囲まれています。
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