誇り
和田さんはなぜ国鉄(日本国有鉄道「JNR」)がJRになっときに辞めてしまったんですか。鉄道が好きで国鉄に入ったのなら、JRになったって鉄道に従事することに変わりはないと思うのですが…。
こういった質問を、行政の人や研修会後の懇親会でよく受けるのだが、僕にとっては国鉄で鉄道に従事するのと、JRで鉄道に従事するのでは意味合いがまったく違う。
それは誰にもわからない、誰もがもつ「自分の中の誇り」なのだ。
僕はブログでも書かせてもらったが、子どもの頃から鉄道が大好きで、小学生の頃から国鉄マンになりたいと思い始め、高校進学は勉強がしたいからではなく国鉄に入るためであった。
でも鉄道が大好きだから、どこでもよいから鉄道関係に従事したいと思ったのではなく、日本国有鉄道で鉄道の仕事がしたかったのである。
生意気な言い方だが、民間会社の鉄道業が限られた地域に限定されているのに対し、国鉄は当時、沖縄を除く日本全国に鉄路を張り巡らし、一本のレールで結ばれていた、まさに国民の財産であり、国民のためにあると思っていたからだ。
カッコよく言えば、会社のためではなく、国民のために仕事をして国民から給料をもらう鉄道従事者になりたかったのだ。
だから国鉄以外の鉄道屋に行く気はさらさらなかったし、落っこちても落っこちても国鉄に入ることを目指そうと思っていたほど、ぼくにとって国民のための鉄道屋「国鉄」で仕事をすることは「誇り」だったのだ(憧れではありません)。
国鉄に入ってからは日常に流されて、そんな思いもどっかに吹っ飛び漫然と過ごしていたが、国鉄が民営化されると知ってからは、最後までそれに抵抗していこう! と本気で思った。
でも抵抗しきれずに民営化されたら退職すると決めたのは、そんな「自分の誇り」を捨ててまで残ろうとは思えなかったし、その誇りに匹敵するような残ることへの意味を見出せなかったからだ。
霞が関で仕事をする国家公務員の人に同じ質問を受けたときに、逆に聞いてみた「どこでも公務員なら良かったんですか?」って。
やっぱり僕と同じように「国全体のことを考える国家公務員になりたかった」って言ってた。さらに「誇りはありますか?」って聞いたら、照れながらも「あります」って答えてくれた(嬉しいねェ)。
仕事がないからお金をもらえるなら何でもいいから「介護」に入ってきた人と、何が何でも「介護」にきた人とでは、おのずと違うだろう。
それは芸能芸術としてストリッパーに挑んできた人と稼ぎとして踊りにきた人の違いに通じるかもしれない。
でも入口はどうあれ、どんな人であれ、誇りをかけて取りかかりだしたら結果は違ってくるはずだ(映画で見た花魁もそうだった)。
逆に入口に「誇り」をもっても、僕が国鉄に「誇り」を感じきれなかったように、誇りを感じられるような環境や実務(仕事)がなければ、誇りに埃がつもり、輝きを失うだけである。
誇り…誇りとは何か。
学生の頃国鉄で働くことを誇りに思ったこと=国民の鉄道屋の意味は。その意味がなぜ自分にとって誇りになったのか。いったい誇りとは何か。
誇りの寿命…国鉄が国民の鉄道屋だなんて嘘っぱちだったことを知ることになるが、それでめげて誇りを失うのではなく、だからこそ国民の鉄道屋にせなあかんと闘志が湧き、その闘志こそが最初に思い描いた「誇り」であったわけだが、誇りは再構築できるし再生可能だということか。
僕はいま、自分の仕事に誇りを感じているし、「誇りをもっている」と人様に誇れるが、それは本質的に誇れる仕事なのに誇りを感じられない状況にあったとしても、だからこそ誇れるように変えていこうと思えるほどに誇りがもてているということでもある。
いままた、みんなからの質問を受けて「誇り」を時間かけて探ってみようと思った。
追伸
先週のブログに対して、携帯電話にメールをたくさんいただきましたし、お電話もいただきました。心配、共感、助言などなど、ありがとうございます。
あがさんにコメントで助言をいただきましたが、すでに「整理」させていただいており、残された最長約70年の時間配分をこれまでとは変えていきたいと思っています。
コメント
志望動機はどうであれ、その道には入り魅力を感じたら、人間はどうにでも変わってゆけると思います。私自身が、この道に入ったきっかけもニーズの多さと「お金」でしたから…。
この道25年になりましたが、対人援助の仕事は毎日が発見で、わくわくしたり、戸惑ったり、悲しくなったり、頭をひねったり、とどまるところを知りません。知らないこと、気付かないこともまだまだありますし、定年まであと10年この道にいるのかな~と、半分ため息混じりに笑っています。
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