寛容
ある雑誌にこんな人が紹介されていたので紹介したい。
雑誌名は『WEDGE』August2008、紹介されていた人は、鳥羽市立神島診療所所長奥野正孝さん。医師である。
奥野さんは、三重県沖の離島「神島」という周囲4キロ・人口500人の小さな島で、そこにある診療所に16年間勤めている(2008年当時)。
この方が雑誌の取材で応えているのだが、ステキなことを話している。興味のある人は、いや興味のない人でもバックナンバーを取り寄せてぜひ読んでみて欲しい。ページ136の「TOP RUNNER」という記事である。
雑誌の中身をこと細かくは書けないが、ひとつだけ紹介したい。
「今の世の中は寛容さを失ってきているから、ものを覚えるのに時間がかかることや、ドジすることが許されない。医者だけではありません。誰でも、最初から一人前でなければあかんと言われてしまう。それで、本来時間がかかることを、短い時間でできるようにしようとするから、マニュアル社会になるんでしょう」(本人談)
奥野さんの放つひとことひとことにうなずくばかりだ。
手前みそながら、僕もそう思ってきたし、今でもそう思っている。この部分だけを抜き取っているので上滑りになってしまうかもしれないが、人と人の関係性を非常に重んじている人なのだ。だから、時間をかけることが許される神島で長きにわたって、ひとり医師という重責を担ってこれたのだろう。
この雑誌で奥野さんが語っていることからこの業界に目を向けると、人が生きることを支える介護という専門性にとってとても大事な「時間」や「寛容」といったことが置き去りにされてきているように思うのは僕だけだろうか。
支援する人から一番大事なことを失わせて、支援される人にとって一番大事なことを支援する人に求めても、ロボットが人間の支援をしているようなものであり、ロボットに人間の器の広さを求めるのは筋違いである。
正確に機械によって形成された器はどれも同じものであるが、人の手によってつくられた歪みのある器は一つひとつ違っている。でも、その違いにこそ安堵感を覚えるのは僕だけだろうか。
コメント
できないことだらけです。税金を使っているのだから、なんとか制度上にある事務手続き的な部分をこなさなくてはと思う自分がいました。
事務手続きは増え、一人の仕事量ばかり増えます。すると、利用者と向き合う目・時間が減り、記入用紙へ向かう時間が増えた。本来は利用者と向き合うことでこの自分の成長を感じていたのに。書くことで振り返り、後輩に教える事で自分の成長を確認できる環境がある。経験も踏まえ、まずは人(自分も含む)と向き合うこと、知るには時間が必要だ。何かを成し遂げる、できるようになるにも時間が必要だ。それをよしとする寛容さはもっと必要。限りはある。
有意義な時間にするには何が必要なのでしょう。「人として」とシステム、どうしたらいいのか、考えています。
和田さん、皆さん、おはようございます。
人間らしさ…私…これが大好きなのかもしれません…。
私は、幸か不幸かドジはするし、最初から一人前の仕事は出来ないし…短い時間でも出来ないし、マニュアル通りに出来ない…使えない人間だといわれたこともありました。でも、出来ないものは出来ない…。マニュアル通りに出来る人が出来る人で、出来ない人が駄目な人という見方が理解できません。
人と接しているのにどうしてマニュアルが必要なのか解らない…、人間はロボットではないから、一人ひとり違うから…マニュアルは参考であってその通りできることに意味を見出すことが出来ません。
こんな私だから…腰を壊したときにある人の秘書になりたくて事務職にて働いてみたけれど、雇われ先から断られる…こと度々でした。
そんな私も、今は、福祉の世界で伸び伸びと生きています。この私の性格も、福祉の世界では御爺さん御婆さんの笑いの種になることが出来る。
私でも働ける福祉の仕事があってよかったと本当に思います。失敗しては反省の繰り返しですが…(苦笑い)。
自分ならどう生きたいか、と考えたときに、システムやマニュアルに乗りたいなんて思う人はきっといないでしょうね。
間違っても、やり直しても、何度でも自分と向き合ってくれる人にかかわっていてほしいと自分なら思います。
ハードとして在ることは必要かも知れませんが、それを使う人の意識がどうであるかが大切だと思います。
小さな細かいかかわりが、遠回りのようで、ほんとうは近道だったりに気付くことも多いです。
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