自宅
引越しの影響でご迷惑をかけた。しかも、引っ越し先が電波の弱い地域とあってアタフタ。僕は何度も引っ越しをしてきたが、この世界に入って以降、そのたんびに自宅とは何をもって自宅といえるのか考えてきたので、少し触れてみたい。
高知県の山奥、大川村で産まれた。徳島県にそそぐ吉野川の上流に位置した平家落人の山村だが、僕の意思とは無関係の地であり住居である。
小学校に入る前に高知市内に転居。市内で3か所移り住んでいるが、これも僕の意思とは無関係に移り住まされた場所であり住宅だ。
小学校4年生のときに大阪市へ。これも親の事情で連れて来られた。大阪では、東住吉区→阿部野区→東住吉区と移り住んだ。阿部野区に移り住んだのは、僕が中学入学と同時に坊主頭になるのが嫌で、母親に頼みこんで坊主にしないで良かった中学校の傍に移ってもらった。だから僕の意思に基づいた住居地ではあったが、その建物を選んだのは僕ではない。
高校を卒業する頃になると、親と同居をするのがいやという自分の意思で親元を離れ、東住吉区内にあった祖母の経営するアパートで独り暮らしを始めた。
その後は社会人となり、東住吉区、松原市、向日市、大垣市、京都市、杉並区、土浦市、白井町、市川市、足立区、荒川区、中央区と移り住んだが、すべて自分の意思にもとづいてのことで、誰かに強要された地でもなければ住居でもない。
こうして考えると、自分の意思に基づいて住居を決めることができるまでは、自分以外の人の意思に基づいて決められた地や住居に身を置いていたということになるが、そのどちらも自宅であることは間違いないことがわかる。
子どもの頃は、自分の意思とは無関係ではあってもその地に住居に「連れて来られた」とはならず、親と一緒に住まうことを「ふつう」のこととして考えていたからだ。もちろん、その住居が好きか嫌いかは別問題だが。
やがて高校生とはいえ収入を得て自活できる状況になると、自分の意思で自分が生活する場(地と住居)を決めることができたということだ。
読者の中には、社会人になっても自分の意思で実家に住まい続けている人もいれば、住まい続けさせられている人もいるだろう。
いずれにしても自宅であることに違いはないが、大きく考えれば「意思に基づいた住居」か「意思に反した住居」ということになる。でもそれも深めていくと、住まい続けさせられている人の多くは、そうは言っても「それもよし」という選択を自分の意思で決めたということで、強制的に収容させられているわけではないだろう。
つまり、外からの力によって有無を言わせないなかで住まわされるもの以外は「意思に基づいた住居」といえ、それが僕らが一般的に語る「自宅」というものではないか。
24時間型施設に入っている婆さんは、自分の意思に基づいた選択権の行使結果として転居したわけではない場合が多く、決して「自宅」とはいえないところに住まわさせられている。24時間型施設はまさに不本意からスタートと考えるほうが自然である。
でもスタートはそうであったとしても、意思に基づいてそこにいると思ってもらえたら、それはその人にとって施設も自宅ということになるし、スタート時点から自分の意思で施設に入ったのなら、それは自宅を移し替えたのと同じことだ。
何が言いたかったかというと、施設が自宅(住居)を選ぶ際の選択肢としてあって、自分の意思に基づいて転居するということならば、それはまぎれもなく施設という括りの中に「その人の自宅」が存在するということであり、同じ施設の同じフロアの隣の人が自分の意思とは無関係に連れてこられた人だとしたら、「その人にとっては自宅とはいえない」ということだ。
僕は、住まう場所は大きくはふたつあると思っている。
ひとつは「自分の意思に基づいた住居」であり、ひとつは「自分の意思とは無関係な住居」だ。前者を「自宅」と考えると、後者は「自宅以外」ということになる。
ある婆さんが退院してグループホームに入れられることになった。もちろん彼女にしてみれば元の住居に戻りたい。でも回りは一人暮らしには戻せないと判断し、戻さないと決意し、グループホームを申し込んだ。だから僕は、家族・医師・看護師・ワーカー・ケアマネ・うちの職員ぐるみで婆さんを騙した。
今度行くところは「元気になるところ」「元気になれば帰れる」という甘味を押し出し、「期限付き」という殺し文句を駆使して、「不本意ながら仕方ない」と思わせてグループホーム入居に結び付けた。
この婆さんが入居して8か月後、自宅生活を復帰させることを目指して、自宅での宿泊を家族とともに試みたところ、婆さんのほうから「あっち(グループホーム)のほうが楽しいから帰る」と言いだして戻ってきたのだ。まさに「自宅化」できた典型例である。
僕は、たとえ自宅以外の住居に住まわされたとしても、専門職たちの力で「その人にとっての自宅化」は可能だと考えており、それに向けてひたすら追求していくことが「生活支援専門性」への限りなき挑戦であり、その醍醐味はこの仕事をしている者にしか味わえない特権だとさえ思っている。
講演会等で「最期まで自宅で生活をしたいひと?」って聞くとまだまだ圧倒的な人が手を上げるが、その自宅とは「自分の意思に基づいた住居」ではないか。また、手を上げない人の多くも、自分の意思に基づいて自宅以外の住居を選択しているのだ。
自宅とは何か。
自らが選んで住まう住居であり、そこにいることを在宅というのではないだろうか。多くの施設が自宅と呼んでもらえるように・思ってもらえるように、施設にいても在宅生活と呼べるようにしていきたいものである。
ご案内
認知症講座 「夢の架け橋」
□第一部「レビー小体型認知症を知っていますか?」
ナビゲーター
橋 幸夫 (宇宙人からの贈り物 著者)
宮田真由美(レビー小体型認知症家族を支える会会長)
講演者
小阪憲司 (横浜市立大学名誉教授 精神科医)
岩田 誠 (東京女子医科大学名誉教授 脳神経内科医)
羽田野政治(横浜福祉研究所認知症高齢者研究室主幹)
グスタフ・ストランデル(元スウェーデン福祉研究所主幹)
特別ゲスト
渡邉美樹 (ワタミ株式会社代表取締役会長)
□第二部「母を恋うる歌」
橋 幸男(歌手)
○主催 「レビー小体型認知症家族を支える会」
○開催
神奈川県民ホール 9月9日18時開演
○今後の予定
名古屋市公会堂 11月26日
福岡市民会館 1月19日
○問い合わせ 「夢の架け橋」事務局
03-5821-0369(平日 10時~18時)
○チケット料金
一般:5000円 会員:3000円
○チケット取扱い
神奈川県民ホールチケットセンター
音楽堂チケットセンター
チケットぴあ
ローソンチケット
イープラス
コメント
和田さん、皆さん、おはようございます。
ブログ内容と異なり大変すみませんが、東京都檜原村で崖から転落し2日後に遺体で見つかった認知症の御婆さん(83歳)の記事を知りました。
孤独なまま死ぬということの辛さ…考えさせられました。この御婆さんはごみだしに出かけた際に、あやまって崖から転落したようです。近所の人も気になり探し回っていたようですが、見つかったのは二日後でした。
その時の状況を考えてしまいました…。
崖から落ちて直ぐに死ねればまだ良いのかもしれません。死ねなかった場合…物凄く痛かったかもしれない、寂しかったかもしれない、誰かに逢いたかったのかも知れない…どんな気持ちで最後を迎えられたのでしょうか???
私は、以前、和田さんが空き家が増えていく現状をブログで御話された時、そこを買い取ってグループホームにしたいなどと悠長な事を言ってしまった自分を反省しています。
そこの村では、年々、過疎化が進み…個人情報法がネックになり情報の共有化が進まないとの事でした。
自分に何ができるのか…、直接的には…この村に移り住むことはできません。せめて、お伝えしたかったのです。この御婆さんの死を無駄にしたくなかったのです。
私は、日々、反省し…色々な事にチャレンジしています。初めから諦めるよりも挑戦を選びたいからです。それを教えてくださったのは和田さんです。
自分がどんな場所で生きて死にたいのか、望むことも、人それぞれ本当に違う。
檜原村で、一人暮らしていて亡くなったお婆さんのこと、「孤独」とか「辛さ」という寺内さんの受け止め方もわかるけど…
自分でゴミ出しに出るほど、ギリギリまで一人で自由に暮らせた…誰かに気の毒がられたり、専門職に干渉されずに生きられたことを、僕はむしろ羨ましいと感じる。
そうして迎えた最期は、誰かに感傷的に語られなくとも、決して「無駄」ではないと思う。
生き抜いたのではないでしょうか? 自分らしく住み慣れた場所で…。
認知症でなくても、転落死等の事故死は少なくない。近所の人達がさがしてくれた…今それすらされず、一週間以上見つからないまま孤独にしかも自宅で亡くなっている人も…。
だから、気がついてさがしてくれたということは、地域があったかいなぁって思いました。
私は、今年の4月に人口200万近い都市から人口10万の市へと転居致しました。事情はどうあれ、選択したのは私自身なんですね。街並みや人、道路の広さ、私から見える景色などすべてが違うのです。言葉も然りです。
気がつけば、意識しながら又意識せずに順応しようとしている自分がいるんですね。
以前は「ゴミ出しの日」は、透明であればどのビニール袋を使ってもよかった、今はそのゴミ袋はお金を出して購入しなくてはなりません。そのゴミ袋が切れていたのを忘れて、購入のためにコンビニにまで車を走らせたことがありました。その時の私は、規則だからとかの思いはなかったですね。
現在のこの土地のみなさんも、規則というよりは「そいうもの」の「生活の流れ」の一部として自然な姿になっているのでしょう。
一つの場所に生涯住み続けるも良いでしょうし、そうでないならそれ相応にと思います。私は転居できたことが嬉しいんですね、もしかしたら生涯逢えなかったかもしれない人と接することができるのですから。
最期も愛する人の傍にいれたなら幸せですね、例え「その家」が私の意思とは異なり「住まわされた家」であったとしても。心がその家にあるならば幸せかもしれませんね。
私は、両親や兄弟を亡くしております。
あがさんが仰るように、最期を「私が判断」できるものではないと最近は思えるようになりました。
身内である私であっても、ドラマのような筋書きは書けません。他界した兄の想いを妹である私ですら代弁するには無理があります。
人の最期に「無駄」はありますか?
尊厳ある命に「無駄」という審判は遺憾ですね。
私個人の感想ですが、寺内様はご自身のブログを作られてみては如何でしょう?
和田さん、済みませんが…ブログをお借りいたします。
あがさん、コメント…本当に有難うございます。とても参考になりました。
確かに、そうかもしれないですね…。そんな風に自由に生きれるって…とても幸せな事ですものね…。
今…グループホームリーダーとよくく…そういった事を話し合います。自分に置き換えると、職員の干渉がたまらなく嫌になります。ほっといてほしいと思うと思います。そういった意味での精神的拘束は自分も嫌だし、その方も嫌だと本当に思います。
和田さんが、以前、ブログでお話ししたことがありましたが、施設から御自宅を目指して帰られた御婆さんの御話で「それを職員は知ってか知らずしてか見て見ないふりをしたのか…とも考えられる。」とそういった御話がありましたが、私は、あえて…知らないふりをするほうを選びます。いえ、選びたいです。見て見ないふりをします。
事故は、もちろん嫌ですが、閉じ込める事だけが全てではないし、その方の気持ちも解るからです。その方の気持ちを一番に考えた上での最善策を考えるのが私たちの力だと思います。
今…そういった意味でうちのリーダーが変わり始めています。とても素敵です。ホームの雰囲気も変わり始めています。私、反省の日々ですが、前に進みたいです。
和田さん、済みません…、失礼します。
あが様 かゆし様 mako様 コメント本当に有難うございます。
今回の事、ブログ内容と違うのでどうなのかと思いながらのコメントでしたが、こちらに載せさせて頂いて本当に良かったと思っております。
そうですね、皆さんの言われている通り、人の死をその人以外の人が…何か言う事は大変おこがましく感じました。 そして、皆さんからの…コメント、とても温かく…真摯で、本当に嬉しい限りです。
かゆし様のコメント「気がついてさがしてくれたということは、地域があったかいなぁって思いました。」確かに、その通りですよね…。みなさん、一生懸命探してくださったんですものね…。
mako様のコメント「最期も愛する人の傍にいれたなら幸せですね、例え「その家」が私の意思とは異なり「住まわされた家」であったとしても。心がその家にあるならば幸せかもしれませんね。」
私も同感です。最期…愛する人の傍らにいられることが出来たら、どんなにか幸せでしょうか…言い表せないくらい幸せでしょう…。
そして、「人の最期に「無駄」はありますか?尊厳ある命に「無駄」という審判は遺憾ですね。」無駄という表現、大変に失礼しました。人の人生に無駄がないように・・最期にも無駄はないと思います。
そして、ブログ作成の件ですが…、以前、作ろうとしましたが、途中で止めています。考えてみます。
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