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和田行男の「婆さんとともに」

本位と本意

 和田の事情で今週の原稿が書けない状況です。みなさんに大変申し訳ないのですが、中央法規発刊『りんくる』という雑誌(現休刊)に載せてもらった『本位と本意』(2007年vol.14・15)という記事をブログにアップしてもらうことにしました。
 ちなみにこの文章は、携帯電話メールでブログ担当の編集者に送っています。こないだの記事にたくさんコメントをもらったので、『本位と本意』について改めて考える素材にしていただければ幸いです。

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 うちのグループホームに入居の相談がきた。退院後、独居生活は困難と判断した家族が申し込みをしてきたのだ。どこにでもよくある話である。
 その婆さんは、ご多分にもれずこれまでどおり独りで暮らしていくことを望んでいたが、医師も病院の相談員も僕らも、どう考えても独居は困難と判断した。そこで周囲が口車を合わせ、婆さんには、「また1人で生活できるように、いったん訓練施設に入ってから自宅に戻ることにしましょう」と言って、入居を強行した。本人は疑心暗鬼ではあったが、あきらめも手伝って、不本意ながら入居となった。
 それから8か月後。家族からこんなうれしい相談を受けた。「入居後、驚くほどよくなってきたようです。これなら同居するのも可能に思えるので、自宅へ連れて帰りたいのですが……」。そこで、お正月に外泊を試みることになった。
 ところが、帰ったその日の夜。あれほど帰りたがっていた自宅だったのに、婆さんは「向こう(グループホーム)のほうが楽しい」と言って戻ってきてしまったのである。これには、家族もスタッフも大笑い(苦笑い?)。つまり、婆さんは不本意で入居してきたものの、自分の本意で戻ってきたのだ。8か月間を経ての大きな変化である。
 「本意」といえば、この業界で最近よく使われるのは、“利用者本位”だ。
 「本位」は、広辞苑によると「もとの位。基本とする標準。中心になるもの」という意味をもつ。学生時代に習って憶えているのは「貨幣本位」。ときおり選挙用ポスターに、“国民本位の政治”なんて書かれているのを見かけたりもするが、日常生活の中ではほとんど使わない言葉である。
 それに対して「本意」は、「もとからの心。本来の意思。まことの意味。本来あるべきさま」。こっちは、“不本意な転勤”や“本意じゃない結婚”など、生活の中で日常的によく使われる。まさに自分の意思を表す言葉である。
 「ほんい」には、こうした2つの異なる意味がある。にもかかわらず、多くの人は、“利用者ほんい”と聞くと、無意識のうちに(あまりなじみのない)「本位」ではなく、(日常的に使われる)「本意」のほうで理解してしまう。これは決して不思議なことではない。
 もし仮にこの国が本当に、要介護状態になっても認知症になっても、一人ひとりが自分の願っているように生きることを応援するシステム(考え方と施策)をもっているなら、堂々と“利用者本意”を語っていい。
 でも、どう考えても今のこの国の状況で、認知症の人それぞれの気持ちや意思に沿って支援するなんていうシステムを構築することは、コスト的にも人員的にも適うはずがない。せいぜい“利用者本位”で支援するのがせいいっぱいで、とうてい“利用者本意”に至れるものではない。そのことをしっかりと押さえた上で「ほんい」を語ってもらわらないと、婆さんたちを支援している現場の人たちは混乱するばかりである。
 行政マンや学者、研究者、第三者評価の評価員といった人たちは“利用者本位”を現場に求める。一方、マジメな現場の人たちは、“利用者本意”で一生懸命やろうとする。互いが「本位」と「本意」の“ほんい違い”に気づいていない。そして、婆さんの意思や気持ちに応えるのはムリだらけの現状で、“利用者本意”を必死に追いかけさせられる。そこに残るのは、無力感とあきらめだけだ。
 そんな僕ら専門職にできることは、婆さんにとっての「不本意」なスタートかもしれないが、僕らがかかわることによって、いつの間にか「本意」に変わったのではないかと思える言葉や動きを引き出すことぐらい。
 ただこれまでは、それさえも追求しない専門職が多すぎたから、“利用者本位”が強調されてきたのも事実である。そのことをもう一度肝に銘じ、「本意」に応じられない限界を理解した上で、「本位」を「本意」に帰ることを追求してみてはどうだろうか。

【初出:『りんくる』Vol.14】

 自宅でひとり暮らしをしていたAさんは、甘いものや間食が大好き。誰からもとがめれることなく、自分流の生活を送っていた。そのAさんが、糖尿病を患って入院となった。病院での治療によって、間もなくAさんの状態は改善。退院の運びとなったが、医師や関係者の勧めもあり、自宅に戻ることなくグループホームに入居することになった。
 Aさんは、車いすでしか移動できず、運動量は少ない。しかも、本人は動きたがらず依存心が強い。干渉されるのがイヤでマイペース。他者と関係をもとうとせず、居室で1人で過ごしたがる。食事は偏食の上、甘いものや間食もやめられない。訴える力は人の3倍強く、言い出したら聞かない。ただ、「どうせ1人なんだから、いつ死んでもいいのよ」なんて強がりを言いつつも、将来への不安は隠せない様子……。
 さて、この婆さんへの支援について考えてみよう。利用者本意(本人の意思や気持ちを尊重すること)から考えてみるとこうなる。「Aさんが望むように好きなものを食べさせてあげればいい」「動くのを嫌がるのだから、無理をせず好きにさせてあげよう」「他者とかかわりたくないって言っているのだから、居室で1人マイペースで過ごすのもいい」「ひとり暮らしなら好きにできるのに、グループホームに入ったら好きにならないというのは理屈が通らない」「生活の継続性が大切」……。
 職員にしてみれば、婆さんが好きにしたいことをわがままだと言わない気持ちよさがある。優しさも発揮できる。一方、婆さんは、自分の意思や気持ちをくんでもらえる心地よさを感じる。(『りんくる』Vol.14に寄せられた)読者の声にも「本意を実践したい」「本意でかかわれるからグループホームの仕事がいい」など、婆さんの気持ちや意思に添ったり応えたりすることを重視したものが多数あった。
 Aさんが入居したグループホームの職員たちも、“優しい福祉の心をもった人たち”である。だから、Aさんの好きなように望むように支援した。中にはこの先のAさんのことを心配した職員もいたが、本人の強い訴えに負けてしまい、ズルズルと“優しい人”の仲間になっていった。そして、利用者本意を大切にしてくれる職員に囲まれ、Aさんはひとり暮らしをしていたときと変わらない生活を謳歌した。その結果どうなったか? 再び病院送りとなったのだ――。

 さて、これをどう考えるかである。Aさんのそばにいた“優しい人”は、グループホームという場でどんな仕事がしたのか? おそらく、食事を居室に運んであげたり、「○○が食べたい」と言えば買ってきたりしたのであろう。僕には、Aさんの望むことを実現するために一生懸命働いている職員の姿が目に浮かぶ。Aさんの満足度は高く、職員の仕事の実現度も高い。両者にとって納得のいく毎日だったことだろう。
 でも、よく考えてみてほしい。婆さんの意思や気持ちに添うことだけが仕事だというなら、誰でもよいということになりはしないか。誰かがそばにいることに意味があったとしても、利用者本意だけを追いかける“優しい人”なら専門性は不要である。小難しい理屈も学びもいらない。その人が望むことを淡々と実現するだけである。それは、単に“お手伝い”でしかない。子どもが望むことに応じるだけなら、「養いはあっても育みがない」のと同じだ。
 僕らに求められることは、最期まで人として自立的に生きることを支援するための専門性のはずだ。本人の意思や気持ちを確認することは支援する上で欠かせないが、意思や気持ちを受け入れる(聞き入れる)だけではなく、それに利用者本位の視点をミックスすることが大事だということ。つまり、僕らの専門性は、Aさんの「食べたい」「動きたくない」「もうどうなったっていい」という“本意”を理解した上で、「病気にはなりたくない」「動けない体にはなりたくない」という人としての“本位”でとらえ、支援策を立てて実行していくということだ。そのためには、Aさんやその家族と闘うことだってある。
 なぜなら、僕らはお金をもらって本意にだけ応える“お女中さん”でも“優しい人”でもなく、本意と本位を使いこなし、その人のこの先まで予測して支援するプロの専門職だからである。それは、婆さんに最大寿命まで「人の生きる姿」で生きてもらって、コロッと死んでもらうことに挑むことなのである。

【初出:『りんくる』Vol.15】

ご案内
■認知症講座 「夢の架け橋」
□第一部「レビー小体型認知症を知っていますか?」
 ナビゲーター 
  橋 幸夫 (宇宙人からの贈り物 著者)
  宮田真由美(レビー小体型認知症家族を支える会会長)
 講演者
  小阪憲司 (横浜市立大学名誉教授 精神科医)
  岩田 誠 (東京女子医科大学名誉教授 脳神経内科医)
  羽田野政治(横浜福祉研究所認知症高齢者研究室主幹)
  グスタフ・ストランデル(元スウェーデン福祉研究所主幹)
 特別ゲスト
  渡邉美樹 (ワタミ株式会社代表取締役会長)
□第二部「母を恋うる歌」
  橋 幸男(歌手)
○主催 「レビー小体型認知症家族を支える会」
○開催
 神奈川県民ホール 9月9日18時開演
○今後の予定
 名古屋市公会堂 11月26日
 福岡市民会館  1月19日
○問い合わせ 「夢の架け橋」事務局
 03-5821-0369(平日10時~18時)
○チケット料金
 一般:5000円 会員:3000円
○チケット取扱い
 神奈川県民ホールチケットセンター
 音楽堂チケットセンター
 チケットぴあ
 ローソンチケット
 イープラス


コメント


 和田さん、皆さん、こんにちは。

 あなたは友人にどんな人を選びますか?ただただ、優しい人ですか?それとも、自分自身の悪いところを悪いといってくれる人ですか?
 若輩者の私ではありますが、私が、この人生で選んだ人たちは…私の悪いところをしっかりと教えてくれて、愛教をしてくれる人です。
 愛教というのは、私が作り出した言葉で…本当の愛を教えてくれる人です。支援も少し似てはいませんか?
 その人の本意を考えながら支援する。その人の大切な事は大切にしながら、その人にとって何が一番大切なのかを考え支援していく事ではないのでしょうか?
 その場限りで言えば、なんでも言う事を聞いてくれる人は良い人でしょう。でも、先の未来を考えてみると・・本当に良い人でしょうか?
 私も、ときに考えます。その人が、そこまでの人生を望んでいないのならば…ここまでする必要はないのではないだろうかと…、好きなようにさせて人生を終わらせたほうが良いのではないだろうかと…。ここが支援の難しさですね…。毎日、色々と考えます。答えのない支援だからこそ、夢中になるのかもしれません。


投稿者: 寺内 美枝子 | 2009年07月21日 13:52

 いつも拝見しております。
 まさに今考えています。
 在宅であれば、家に居る姿が本位であり、デイサービスなどに行くと妙に本意を尊重してくれる場合が多いと思います。「家に還す」が基本ならきっと本位が大切なんでしょうね。でも、一時的な関わりのときは本意に走りがちなのはわかる気がします。
 グループホームや特養など、その人の営みに関わると、本位・本意が直接生命や身体状況に大きく影響することもありますが、「この方のケア方法をこのように」とスタッフ間で統一を図っても、当の本人の気持ちや身体、関わるスタッフも毎日変化して、よく見ていると、関わるスタッフによって本位・本意を入居者自身が上手に使い分けている場面も見かけたりします。
 もしかして、あまり難しくなく自分に置き換えてみると、やりたい・やりたくない自分と、やらなきゃならない自分がいて、誰かとの関係性や巡り会わせの中でやらなきゃならない自分がやりたい自分に変わることもあるのかな、なんて思うこともあります。
 いつまでも本位でいられることは本意であり、できるだけ近いところにお互いがいられるのがいいです。その人と関わる今の自分が本位・本意なのかにたたかう日々です。
 出来るだけ一緒に笑える瞬間が多いといいと思います。その時を見極める目や力がたくさんほしいと思います。
 何より、良い関係があることで解決しそうに思います。
 すみません、まとまりないですがそのように思います。
 「りんくる」に掲載された当時、スタッフと会議で議題を持ちましたが結論は出ず、でした。でも、そのように考える時間が大切と思います。
 また考える機会をいただき、ありがとうございました。


投稿者: sakura | 2009年07月21日 20:20

 施設やホームの利用者のほとんどは、生活を始める時点で、その場所をみずから選んだわけではありません。基本の選択がそもそも「不本意」なのです。和田さんが『婆さんにとっての「不本意」なスタートかもしれない』と言うとおりです。
 放置すれば「特に欲しいものはない」「どっちでもいいよ」となるでしょう。それはその時点の「本音」ですが、実は心の底にある「本意」を願っても叶えられない、というあきらめの思いから出てくる言葉なのです。
 そういう人に本当の「本意」を語ってもらい、その人なりの「本位」とする生活に近づくには、支援者が簡単には「あきらめない」ことが必要だと思います。いや、何がその人の本意かがわからない時点では、安易に「見限らない」「決めつけない」ことがまず大事なのかも知れません。
 さらに突き詰めると、一番の基本は粘り強く関わろうとする姿勢かも知れませんね。


投稿者: あが | 2009年07月24日 21:58

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち97年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。東京都地域密着型サービス事業者連絡協議会代表としても活躍。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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著者:和田行男
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発行:中央法規
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