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和田行男の「婆さんとともに」

利用者「ほんい」の罪

 グループホームを訪ねるとお昼時だった。「どんなものを食べているのかな」とちらりと見ると、婆さんの目の前に丼ひとつ。どんなものかもう一度ちらりと見ると「素うどん=かけうどん」で、しかも食卓にはそれしかないのだ。
 職員さんに聞くと、昼食の献立を決めるにあたり本人に聞くと「素うどんがいいと言われたんです」とケロリとしてる。
 これはきっと和田行男が書いた『大逆転の痴呆ケア』(中央法規出版)の罪にちがいないと思った。

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 僕は著書の中で、「利用者本意=つまり自分の気持ちや意思」を食に反映させることはそう難しいことでもないため、婆さんと一緒に「何を食べるか決め合う」ことを毎日、昼夕食時にやっていたことを書いた。
 自分の意思とは無関係な食べ物「えさ」しか食べられない・食べさせてもらえない社会福祉の現状はおかしいと思い、「一週間うどんで何か文句あるか」というようなフレーズを使ってでも、本意を実現することの大切さを強調した。
 ところが、そこだけを抜き取って実践すると「素うどんを食べたいと本人が言ったから、素うどんしか用意しないし出さない」となり、その言い分は本人の意思だからとなり、「個別ケア」「利用者本位」「自分らしく」といった先端的な言い回しと近くなり、なんとなく説得力のある話になる。だからそれを実践している支援者にとっても、間違っているとは気づきにくいだろう。

 僕はグループホームで様々な試みを同僚たちとさせてもらい書かせてもらったが、僕の基本は「意思+支援=本意+本位=放置~管理」である。
 この場合で言えば、本人の意思を確認すると「素うどんが食べたい」というのだから当然素うどんは一緒につくるが、いざ婆さんが食べる段になると、その食卓には素うどん(本意)だけでなく、支援者が考え抜いた様々な食材を使った料理が並んでいるという環境をつくり(本位)、重ねるように支援者である僕らは「美味しそうですね」という支援の言葉を投げかけ、様々なものを「食す」ことに結び付けられるように手だてをとっていた。
 結果は素うどんしか食べないというようなことはなく、必要な栄養素を取り込むことができていたので栄養失調にはならず、逆にカロリー過多にもならなかったということだ。
 著書の中では「ジャングルでもサファリパークでもなく国立公園型を目指そう」と投げかけているが、大きくは護らなければならないということであって、素うどんしか獲得できないジャングル状態では、婆さんは滅びてしまいかねないのだ。
 そんなこんな「利用者本意」と「利用者本位」を重ね持った専門性を「大逆転の痴呆ケア」で投げかけたが、どうも「ほんい」を職員都合に合わせて隠れ蓑にしているところが見受けられる。
 その人の意思に基づくということが、職員にとって「手をかけなくて済む」というときは「利用者本意」で語り、その人の意思を考慮すると厄介・面倒な時には「利用者本位」で語る自分本位な専門職がいるのだ。
 僕は「本意と本位」について、雑誌でもブログでも研修会でも何度となく語ってきたが、もし「ほんい」に翻弄されているのなら、もう一度『大逆転の痴呆ケア』を読んでみて欲しい。そこには「本意」と「本位」がいっぱい散りばめられているから。
*自画自賛ですみません。でも自業自得を取り返さないといけないものですから。

私的追伸
 先日、東京駅で新幹線に乗り込むためホームを歩いていたら、後方からつっつかれたので振り向くと、どことなく見たことのある人が僕を見て笑っている。僕はメガネをはずしていたので見えず一瞬わからなかったのですが、かの有名な高口光子さん。同じ列車に乗りかけて僕のことを見かけて追いかけて声をかけてくれました。
 彼女とは同じステージに何度か上がらせてもらって愉しませてもらいましたが、さすがにステキな方です。口は悪いですが…ハハハ、人のことは言えませんがね。
 高口さん、わざわざありがとね。名古屋駅のホームで勝手に手を振り見送らせていただきました。

※和田行男さんのブログ「婆さんとともに」は、原則月曜日更新です。


コメント


 この春、介護福祉科を卒業した学生が学校に遊びに来るようになった。仕事に慣れたせいもあるのか…。
 しかし、この仕事になれてきたが問題。すでに一人前になったかのように話をする。聞けば、自分の部署には介護福祉士の国家資格がある者が上司一人だけしかいないとか…。指導者がいないという環境が悪い? 業務の話を聞いても何も疑問を感じてない。そんなにすばらしい施設で働いているの? 最後には人が足りなくて大変というだけである。
 極めつけは「あまりにコールを鳴らしてうるさい利用者のコールはきりますよ。人がいなくて対応できないから」と当たり前のように語る。人が少ないと「利用者の思い」を無視していいの?そんな話をしていたとき以前、授業で和田さんのこのブログの「平気は兵器」を学生に伝えたことを思い出した。
 僕は(私は)そんな職員になりたくないと言っていたのに…。やはり「学ぶ」と「働く」では違ってしまうのかな。私自身、教える側の人間として反省しなくてはいけない。
 学校は「理想」しか教えない、現状ではそんなことは人が足りなくてできないという。でも「理想」がなければ何も変わらない。少しずつでもいいから国家資格を得た君たちには、現実を受け入れつつも理想を描きそれにむけて頑張って欲しい。私も日々、勉強です。
 だらだら、ながながとブログ内容と関係ないコメントいれさせてもらいました。まとまりなくすみません。


投稿者: モン太 | 2009年06月22日 17:55

 和田さん、皆さん、こんばんは。

 「ほんい」考えてしまいます。ご利用者にとっての本意・本位…本意を大切にする。しかし、それが本当に良いのかを考える。でも、本意は大切にしたい…。では、本意を大切にした支援を行いながら…その人のために動く事とは…。
 直ぐに答えが出る単純な事ならよいのですが…答えが出ない事は…悩みますね…。

 
 和田さん、すみませんが、モン太さんにコメントさせてほしいです。
 私は、学校の教科書が全て正しいとは思っていません。しかし、じいちゃん、ばあちゃんにとっての明るい未来を考えています。人がいない事はいい訳だと思います。人がいなくても出来る事を探します。限られた環境で…出来る事を模索します。
 そして、最大限に御利用者にとっての最善を探します。限られた環境で出来る最大限の事…、それに納得がいかなければ…その施設を移動するときかもしれません。
 モン太さんのコメントの中に出てきた人に伝えたいです。限られた環境でも、愛を注ぐ事って出来ませんか? 私が愛を注げているとは思っていませんが、せめて笑っていようと思います。愉しく出来るように笑ってもらえるように努力しています。それだったら出来るから…。
 その中で、仲間を愛し…想い…改革にチャレンジします。いつかは見える…明るい未来を信じています。


投稿者: 寺内 美枝子 | 2009年06月23日 22:03

モン太さんへ
 ちょうど今「理想と現実」について考えていました。色々と考えた結果、私がたどり着いたのは、「ベストを尽くす」です。
 理想(目指すところ)はやはりブレてはいけない。でも、現場においては、そこそこの環境があり、出来る事・出来ない事もある。ただ、“出来ない”“大変だ”と嘆くのは簡単だが、嘆く前に理想を実現するためにやれる事全て行なったか、本気で支援策を探ったかどうかの振り返りが大事だと。
 理想をしっかり持ち、そして、今ある環境でベストを尽くすことが大切だと感じています。
 和田さんのブログを読み、いつも自分の支援の方法を振り返り、「ベストは尽くしたか」と自問自答しています。


投稿者: ぽっぽ | 2009年06月23日 23:02

 おいらも初めてこの本を読んだ時(まだGHに勤める前)は、訳の分からない例えや言い回しに頭の中が『???』でいっぱいでした。
 でも実際にばあちゃん達と暮らしていろんな経験をする中で、「ああ、この事を言っていたのかな?」と少しずつ自分なりの考え方が出来てきたような…。
 職場でも同じ様に、いま起きている事の『裏を読んで』『考えて』『試行錯誤』しています。


投稿者: toto | 2009年06月24日 00:57

こんばんは。
 すみません。寺内様のコメントの『じいちゃんばあちゃんにとっての明るい未来』という所に、少し違和感(?)を覚えました。
 『未来』…一日一日、一時間一時間、一分一秒でも先の事は未来かもしれません。しかし、全じいちゃんばあちゃんが『明るい未来』を望んでいるわけではないのです。今一秒という短い時間を必死に生き重ねていると思うのです。『無事に』『穏やかに』『和やかに』…。
 だから、その人の思い(想い)に寄り添うのでは…。
 うまく伝えられなくてコメントがまとまらなくて申し訳ありません。


投稿者: かゆし | 2009年06月24日 01:14

 本意(本当の気持ち)を本位にする(基準に置く・大切にする)ことは、実際とても難しいと思う。
 とりあえず認知症の手前にいる僕だって、自分の本意が何なのか、迷うことが多い。何か一つを本位と定めることは、他を切り捨てることになるからだ。
 その結果、後になってから僕の本意が「あっちの方が美味しそうだった」と後悔することもある。食事メニューの選択に限らない問題だ。
 ましてや、本意が揺れ動きやすい認知症では、なおさらの事だろう。そんな時の迷いや後悔をフォローできるように手立てを考えるのが、利用者「本位」に近づく道ではないかと思う。
 つまり「何を選ぶのが利用者本位か」をあらかじめ支援者側が論じて決める問題ではない。「本人が、選んだ後で迷っても大丈夫な用意とは何か」を考えておくことが大事ではないか。
 


投稿者: あが | 2009年06月24日 07:15

 和田さん、ブログ…失礼します。

 かゆし様
 人それぞれ…望む未来は違うと思います。それが、どんな未来でも…その人が死ぬ間際に幸せだったと思えれば…それで良いのではないかと思います。だからこそ、支援は難しいのだと思います。本意を考えた上での支援…。
 そして、私が介護業界に変わってほしいのは、職員のための介護、自己満足の介護です。でもこれは、絶対にしてないかといえば言い切れないのが難しいところです。そうしなければ、どうにもならないときもあるからです。それが、限られた時間の中で支援する難しさだと思います。だからこそ、私たちはいつも悩むのではないでしょうか…?
 その人に、寄り添う…今の私は出来ているでしょうか?心がけていますが、出来ているとは言えません。寄り添う事を心がけたい…したいです。でも、出来ていない…やはり、難しいです。努力が足りません。出来るだけ寄り添って生きたいです。


投稿者: 寺内 美枝子 | 2009年06月24日 22:02

 お久しぶりです。今回の和田さんのブログ5回読み返しました。
 素うどんが利用者さんの本意、それでは物足りなさそうだから作ったお稲荷さんと酢の物が本位、「素うどんだけでは寂しいからお稲荷さんも作ってみたけど食べてみませんか」の言葉かけが支援? 
 これは、私が普段の生活の中でやってきた事のような気がするのです。実際、支援とか共有とか深く深く考えると難しくなってきてしまっています。利用者さん達と毎日楽しく暮らしていけるだけでもいいのかなと思うのです。
 利用者さんとプランターに植えていたきゅうり、3本収穫しました。ミニトマトもそろそろ色づきます。今年の夏は花もたくさん眺められそうです。楽しみです。  


投稿者: みっちゃん | 2009年06月25日 18:25

 最善を尽くしたつもりでも、結果的に利用者にとってどうだったのか、こちらの勝手な思いではなかったか…迷いや後悔がつきまとう。
 自宅では毎日仏壇にお線香をあげていた方が、GHに入居されて、必要なときにお渡しすることをお伝えして、マッチ、ライターをお預かりしましたが、こっそり隠し持っているマッチがあり…信頼されていなかったようです(それも力ですよね)。
 リスクは伴いましたが、数日見守っていくことに。。。放置ではなく「できること」を見守り(管理)しています。
 明るい未来…それはデザートが一品つき、みんなに内緒に(悟られてるけど)、こっそり食べる饅頭かもしれない(私も…きっと皆さんも)。


投稿者: なんくる | 2009年06月25日 18:54

寺内様
 確かに。介護業界の未来は、明るいものにしていきたいですね。
 私が働いているホームの九八才のAさん。毎朝、『おはようございます。また一日が始まりますよ。』と声をかけます。
 すると、『今日も目覚めました。ありがたい。』と返事があります。目標は『110才』まで生きること。目標達成のために、『老いるのも楽しい』というAさんに寄り添っていければと(^_^)。


投稿者: かゆし | 2009年06月25日 20:49

 人は生まれて死ぬ時まで、自分と外界との関わりの中で、影響を与えたり受けたりする。そして手応えを感じたり、凹んだり。寿命まで、自分の感覚や機能を使い、感動したり喜んだり、泣いたり怒ったりできたら。それに付き合ってくれる人がそばにいたら。とても素敵。
 そばにいて、その人が寿命がくるその時まで支援し、給料もらえる仕事は魅力的と思う。
 怖さもあるけど。
 朝はサザン、帰りは聖子ちゃんを聞きながら泣けてしまった。ガソリンがなくなる。。。明日になればガソリン特売日。明日まで車さん頑張ってちょうだい。


投稿者: まんまる | 2009年06月25日 22:25

 みっちゃんさん

〉素うどんだけじゃ物足りなさそうだから作ったお稲荷さんと酢の物が本位

 仮に「素うどんだけでも充分だ」ったとしても、「うどんだけじゃ野菜が足りないだろう…」と考えて野菜の具を乗っけたり、野菜のおかずを一品付け加えたり、って事じゃないでしょうか?


投稿者: toto | 2009年06月26日 15:36

 そういえば、いつだったかの研修にて『人は生まれたときからターミナルだ』と言っている講師の方がいました。
 どんな死に方かではなく、どんな生き方をしたのかが大事なんだと知りました。
 今日出勤したら、九八才のおばぁちゃんが『目標は120才にしました。それまで時々お手伝い下さいね(笑顔)』と言ってました。あの笑顔にはノックアウトです!


投稿者: かゆし | 2009年06月26日 17:44

 和田さん、皆さん、こんばんは。

 皆さんのコメントを読ませていただき、皆さん…とても素敵に支援をされていて羨ましい限りです。今の自分に疑問を感じました…。
 やっぱり、違う…何かが…。
 皆さんの支援されている方がとてもしあわせそうです。
 皆さんで集まって…色々な事を話したら…さぞかし愉しいのではないかと思います。
 私…臆病になっているかもしれません。挑戦していない…挑んでいない…。これは、ある意味、怠惰ではないかと思います。知っているのにやらないのは怠惰だと思います。現状を打破したいです。でも、仲間は大切です。
 和田さんを初め…皆さんの中で、もし…私に対して何かお気づきの点がありましたら、御指導…アドバイスをいただけると大変有難いです。
 皆さんに求めるだけではなく、自分自身も色々と反省し学びたいと思います。


投稿者: 寺内 美枝子 | 2009年06月26日 21:31

寺内さまへ
 私がこの人だったらどう言うだろう…と、相手と立ち位置を替えてみることで見えるものがあるのでしょう。
 「私がこの人なら」同じことを言うかもしれませんね。
 例えば、私は「困難事例」という表現を好まないんですね、何故ならその対象の人はご自身を困難とは思っていないように思うからです。
 まずは、審判をしないことから始めてみては如何でしょう。
 一つの意見としてお聞きください。私が将来介護を受ける立場となったなら、「ばぁちゃん」とは呼ばれたくないですね。私には名前がありますから。


投稿者: mako | 2009年06月27日 22:36

 支援の方法はきっと数限りなくあり 、正解なのか不正解なのかでなく その時のばあちゃん達の顔が 何かを伝えてくれるのかと…。
 私のいるグループホームは食事は厨房で作って頂きますが 「うどんが食べたい」と言われたら 職員が個別に作ります。ネギや蒲鉾や天カスを載せたりして…。もちろん、厨房からのお食事も一緒に…。
 メニューが寂しい時には 職員が他に作ったり 「お刺身が食べたい」と言われたら 買い物に行き 皆さんにお出ししたり…。
 皆さん食欲旺盛で 職員がビックリします。食べ終わった後の満面の笑みは職員も幸せな気持になります。
 外出するときなどは職員の手作り弁当をしますが、 先日はお米二升のおにぎりが18名の利用者さんで、ペロリとなくなりました。
 (おかずも)外で食べると美味しいからでしょうか。体重増加が気になる方もおられるのですが 「食べたい」気持は大事だと思いますし 日々の中で調整したり レクリエーションで楽しんで頂いたり…。
 今のところ 糖尿の方などもおらず 高齢化の平均年齢ですが 皆さんお元気です。職員の自己満足で終わらないように 、いつも職員間で意見交換する事で お互いの目線で見えた事を共有したりできるように…。まだまだこれからのグループホーム。


投稿者: りー | 2009年06月28日 00:43

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち97年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。東京都地域密着型サービス事業者連絡協議会代表としても活躍。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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和田行男さんのブログ「婆さんとともに」をまとめた書籍が刊行されました。
タイトル:『認知症になる僕たちへ』
著者:和田行男
定価:¥1,470(税込)
発行:中央法規
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