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和田行男の「婆さんとともに」

滞留

 久しぶりにテレビ番組に招いてもらった。NHK広島局の番組『いっちゃん 広島』という25分番組。
 いっちゃんとは、僕ら関西人「いっちゃんえ・ええ」というような使い方をするのだが、いちばんという意味である。また、NHK総合が1チャンネルなので、かけ合わせて題名にしているようだ。すでに放送・再放送されたのだが、残念ながら広島県だけの放送だった。

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 番組内容は「地域で支える認知症」をテーマに広島県内の取り組み事例をふたつ紹介しながら、それにコメントするというもので、そのコメンターとして出演させてもらったのだ。
 取り組みのひとつは、呉市に住む89歳一人暮らしの婆さんを支えている自発的なチームの話である。
 婆さんは「うちにいたい。うちで死にたい。どこにもいかない」と。そんな婆さんの思いを支えているのは、夜間は息子さん。息子さんは仕事をしており、日中はどうにもならない。その日中を支えているのは、隣人、近所の人、幼馴染み、民生委員など10名ほどであるが、その人たちもそれぞれ自分の事情に合わせて婆さんを支えている。
 隣人は毎日のように訪ねて来てくれ、身の回りのことをしてくれる。幼馴染みは、来ては若い頃の話をし、外に連れてってくれたりする。民生委員は夕方訪ねて来て、配食サービスの弁当を食べ終わるまで一緒にいてくれるといった具合だ。
 深夜に何度も電話されることもあったそうだが、「本人は不安なのだから」と受け止めて顔を出すなど、認知症をきちんと受け止めているのだ。
 でも、24時間365日を通して「誰かがいる」ということではない。逆に言えば、24時間365日いなくても支えられる状態ということでもある。
 僕がとっても印象的だったのは、85歳の幼馴染みの方が婆さんを連れて表に出て、そこから見える景色(街並み)を婆さんに見せているシーン。
 婆さんにとって自分を支えてくれている人は「見慣れた顔、聞き慣れた声」、過ごすところも「見慣れた住居(自宅)、見慣れた・使い慣れた道具」、目にする外の景色も「若い頃から変わらぬ海と山に囲まれた瓦屋根の街並見=慣れた景色」なのである。
 スポット支援策で大丈夫な状態、慣れに囲まれた生活、この婆さんのことをよく知り・認知症のことをよく受け止めている支援者たちによって今の生活が成立しているというわかりやすさがこの話にはあった。
 これは誰にでも、どこでもできることではないが、宝物のような話である。ここから学ぶべきことはたくさんある。

 もうひとつは、僕がよく行かせてもらっている庄原市の医療法人の「デイサービス施設に閉じこもらない・町の中でできる利用者自身が行う社会活動」と「認知症を市民に広げる小さな市民講座の取り組みと、そのことによる住民の変化」について紹介している。
 これはいつもブログの中で(所在まで明らかにしないが)折につけ伝えていることであり、これからも伝えていくことだから改めては紹介しないが、大事なことはこうした取り組みから何を学び取り、社会化していくかである。
 ともすると、「この婆さんだからできるのよ」「この人たちだからできるのよ」「この町だから」「この経営者だから」「この条件が成立させているのよ」と、自分たちがそこまで行きつけないことの理由を探しがちで、そばにとてもいい学びの材料があるのに、そこから学んでいこうという専門職としてのプライドがなければ「いい取り組みだね。でも、うちでは無理」で終わってしまうだろう。
 僕もグループホームに取りかかったころ、見学者たちに「認知症が軽いからできるのよ」「和田さんだからできるのよ」「この行政区だからできるのよ」と言われたが、そういう人たちと話を深めると、そうなりたいから学びに来ているのではなく、単に「見てみたいという興味」とか「私も言ったわよ・知ってるわよという自分の価値づくり」のために来たということがわかった。
 本当に学びのために来た人は、その後の自分たちの実践に変化を生みだし「和田さん、婆さんの姿が変わってきました。家族が変わってきました。町の人が変わってきました」という変化、すなわち自分たちの仕事の成果を必ず伝えてくれる。また「うまくいきません」「わからないのでもう一度行きます」など結果を伝えてくれる。きっと挑んだ人は伝えたくなるはずである。
 でもそうでない人は「和田さん、陰であれこれ聞くわよ」という風の便りに代表されるように、批評家気分に浸っているだけなのだ。それでは、とても残念なことである。
 全国各地のこうした取り組みから学びとって、ひとつでもふたつでも全国各地で専門職としての実践をし、婆さんにとって「いっちゃん深めてる国・にっぽん」を目指してこそ、婆さん専門職といえるのではないか。
 その意気込みも力ももっている人たちはいっぱいいるのだから、もったいない!批評に明けくれないで、誰かの責任にしないで、わかったことから・できることから仲間と始めようではないか。
 せっかくメディアが僕らにはできない多数の国民に広めてくれているのに、それを専門職が滞留させては「何をか言わん」である。
 鉄腕アトムで夢見た21世紀も10年を迎えようとしているのに、いまだに建物の中に身体を封じ込められ・脳(意思)を封じ込められている婆さんだらけなのだから。

追伸
 収録には初めて襟付きシャツにジャケットというきちんとした服装で行ったのですが、これも緊張の要因だということがあとでわかりました。
 その番組が放送された直後に福岡県志摩町にお招きされていたので、その番組を皆さんに見ていただこうと考え、それならいっそのことテレビに出ている和田行男と目の前で喋っている和田行男が同じほうが“カッコいい”とスケベ根性を出し、講演会に収録時と同じ服装で出たんです。
 ところが放送番組を録画したソフトは調子が悪く映すことができず、服装だけが「いつもとは違う格好」となってしまったのです。こうなるとすべてがいつもとは違う状況になってしまい、頭の中はパニックに(僕はとっても緊張症なんです)。
 やはり気慣れた服装、喋りなれた言葉が「いっちゃんいい」ということですね。
 志摩町の皆さん! いつもの和田行男のようにやれなくてすいませんでした。これからは、ジーパンにTシャツで行きまっせ。いっちゃん、僕が僕でいられるスタイルやから。


コメント


研修とか和田さんの話等を受けて意識が変わるのは受講者、その受講者が現場で支援し変わるのは利用者、その利用者に面会に来る家族も職員も変わる。本人、家族から要望を聞く、できることをみんなで考え要望に応える。できないときはごめんなさいと現状を伝える。相互に意見を交わす事で、利用者・家族が変わる。毎日毎日それを繰り返し、ほんの少しずつみんなが変わってくる。1日1日の歩みはゆっくりだけど、利用者がそこに居ることで一番安心だって思ってもらえることがやりがいに繋がる。


投稿者: がん | 2009年06月08日 20:35

初めて投稿します。
今回の番組のように、TVで紹介されると、なにげなくやっているように観えることでも、そこに到達するまでは、並大抵の努力ではないこと。
自分も日々葛藤しながら、ばあさんたちに向かっているので、痛いほど良くわかります。
認知症のことが公に言われ始め、良いお手本が、身近に出始めた昨今。
和田さんのような人に、ばあさんたちの日常を、
皆に、もっと広めていって欲しいです。
そして自分も、もっと頑張ります。


投稿者: けっこう仮面 | 2009年06月09日 02:13

介護保険やサービスで囲い込み、抱え込むのではなく、
これまでの暮らしの続きを住み慣れた家や見慣れた町の中で、さりげなく支えていけたらいいな!

本人の持っている力を充分に発揮して、その人らしく生きられるように。

そのためには、家族や地域に認知症を理解していただくことが大切。

そのための活動も怠れませんね。



投稿者: ゆいゆい | 2009年06月09日 08:23

 和田さん、皆さん、こんにちは。

 私は、新しい場所にて支援を行っています。しかし、物言えずの6か月間は辛いです。辛くても自分の足りない部分を、出来なかった部分を、間違った部分を直していこうと思います。幸い、リーダーには色々と相談できるので、それだけで大変助かります。
 皆さんのコメントを読み…私は、前を向いているのだろうか…と思います。
 それでも、絶えず…笑顔を忘れずに…学ぶ心でいようと思います。


投稿者: 寺内 美枝子 | 2009年06月09日 10:54

 新しいこと始めるには本当に時間がかかります。自分達でも、今やっていることが決して良いことだと思っていないのに、いざ「こうしたら?」「じゃあ、止めちゃえば」と言うと、様々な理由から、
 変化させる大変さと今の大変さを比べて、「だって…。でも…。」となってしまうことが多いのかな。「婆さんにとってどうなの?」と、考える大切さが解っているはずなのに、チョット残念に思います。
 制度やシステムの問題もあるのは十分解っていますが、やっぱり自分たちで今出来ることを、自分たちから始めるしかないんだと思います。
 「桃栗3年、柿8年、枇杷のバカ芽は18年」と教えてくれた婆さんがいましたが、支援の二葉は出来るだけ早く成長して、花を咲かせたいものです。うちの二葉は少しずつ葉っぱが増えているのかな?


投稿者: 特養ホーム・ICHI | 2009年06月09日 17:32

 今日は素敵な宝ができました。
 デイサービスのばあちゃまじいちゃま、自分達で行事企画していました。家族からの情報で職員知りました。認知症の方もそうでない方も一緒に企画していました。
 正直職員さん、おお慌て。でも家族との話で、いつも準備されたものを言われた様にやることが多いのに、よくぞばあちゃま軍団企画てくれました。嬉しいです。
 それを聞いた職員さんも、それ、皆で準備してやりますって。
ばあちゃまじいちゃま、家族の方、職員さんとその上司さん、みんなかっこいいです。みんな宝物。


投稿者: まんまる | 2009年06月09日 22:07

 「滞留」という言葉は…自分の現状だと受け止めていたけれど、、これはばあ様達の環境の事なのでしょうか?馴染んだ景色から引越さなければいけない現状がせまり、、、せっかくこれからと思っていたのに…スタッフが環境の変化を予想して不穏になっています。予想しないばあ様たちの笑顔にこころ休まります。私が拝んだ和田さんのファッションは、私の中の「滞留」とは程遠い蛍光色だった気がしますが…。


投稿者: かめまま | 2009年06月10日 18:33

 初めて投稿させていただきます。
 先月のグループホーム大会で、会場内の喫茶店で名刺交換させていただいた若者(30代男性)です。和田さんはもう記憶にないですよね^^;
 僕は広島なので、ばっちりテレビを観させていただきました。
 夜勤中であったので婆さん達と♪
 婆さん達と『認知症』について語らいました。
 僕にとってとても有意義な時間でした(^O^)
 明日も婆さん達の心へ語ります♪

PS,服装…かなり吹き出しました(笑)和田さんらしくないなぁ…と思いながら。いつもありがとうございます♪


投稿者: 心に語る専門職 | 2009年06月11日 00:11

久しぶりに、ブログ拝見しました。
和田さんのタッチが変わったように感じます。
私も…笑いながら読みました。
組織は、なかなか変えられないけど、意識は変えていけると信じて。
仲間がいることがうれしいです。


投稿者: なんくる | 2009年06月16日 12:34

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち97年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。東京都地域密着型サービス事業者連絡協議会代表としても活躍。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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和田行男さんのブログ「婆さんとともに」をまとめた書籍が刊行されました。
タイトル:『認知症になる僕たちへ』
著者:和田行男
定価:¥1,470(税込)
発行:中央法規
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