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和田行男の「婆さんとともに」

闘論

 自分の中にいったい何人の自分がいるだろう。
 数えたことはないが、一度に数人の自分がディベートしていることがある。あれかこれかのどちらを買うかといった身近なことから、会議などで他者とディベートをしながら自身の中でも数人の自分とディベートしていることもある。
 僕は自分の中にいる何人もの自分と会うのが好きなのだが、何人もの自分を相手にするのは疲れるし、嫌気もさしてくる。いい加減、一人の自分になってくれよ! と思う時もあるが、ひとりっきりになると寂しくて苦しむのかもしれない。

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 この僕の性格は面倒なのだが、婆さん支援には確実に活きている。
 例えば、職員が気づかない間に施設から外出してしまい行方不明になった婆さんのことを自分自身に問いかけると、ひとりの僕は「職員が気づけないこと」を課題にし「どうしたら気づける職員になれるか」という思考を始める。
 もうひとりの自分は、「職員に気づかれないように抜け出した婆さんの能力」について語り始め、「気づけなかった職員の能力の低さを課題とするだけでなく、気づかれないように抜け出た婆さんの能力の高さを認めることが大事ではないか」と語り出す。
 またもうひとりの自分は、「職員は気づいていたのだが、わざと見逃したのではないか」と言い始め、憲法には「何人も、奴隷的拘束を受けないと書いてあるしな」とまた違う自分が語り出すといった具合である。
 この例は、ひとつの答えを出す必要がないからまだいい。ひとつの答えを出さなければならないこととなると、かなり面倒なことが起こる。
 どういうことかというと、瞬間的に頭の中で多数の自分がディベートを起こし、それに審判を下す自分がいて、その答えを決める=結論を出すのだが、決めた答に対して決めた後もディベートする奴らがいるからである。
 すでにその出した答えに向かって自分が動き出しているにもかかわらず、それを邪魔するかのように「ほんまにそれでいいのか」と脅す奴や「君の決めた答はここに問題がある」と冷徹に論ずる奴もいる。行動を始めた身体とそれに指示を出している脳ちゃん、その脳に逆らうかのようにディベートをふっかけてくるこれまた同じ脳ちゃんが同居しているのだから、疲れるのも当たり前。いや僕の場合の「疲れる」は「憑かれる」なのだ。
 こんな風に言うと「多方面から物事を考えていくことができる人」と思われるかもしれないが、いろんな角度からひとりの自分が考えているのではなく、何人もの自分が自分の中にいるから当たり前のように見方・考え方の違いが自分自身の中に生まれてくるのだ。
 つまり、多方面から思考できる優秀なひとりの自分がいるわけではなく、まさに寄らば文殊の知恵というやつであり、「寄らば文殊の知恵だと思考する自分」がいる限りは人様の前で語らせてもらっても良いかなと思っている。
 やっぱり「脳を寄せ合うこと」が大事であり、しかも集めるだけではダメで、語り合うことであり、論(脳)を闘わせる(響き合わせる)ことである。

月曜日のディベート

 書けない
 何かが僕の脳みそを支配している
 真っ白なページに書けることは「描けないこと」
 何が邪魔しているのか
 わからないふりをしているだけで
 自分が知らないわけがない
 知っているが解決できない、できないように思える
 しようとしていない
 いやいや
 もういいや!と薙げている
 こうしているうちにズレていくのかも


コメント


 そうですね、仕事上、自分の中でのディベートが確かにあります。
 言葉には出さないけれど、自分の中でやり取りが絶えず行われています。
 結構、これがつらく、興味深くもあります。


投稿者: ゆいゆい | 2009年06月02日 10:14

そういう事あります!私もいつも利用者になったり介護者になっています!
 だけど、基本的に人間が自分らしく生きていけるかを常に考えています。自分の価値は人が知らせてくれます! 生きているから自分のできる事やりましょう。そう願います!


投稿者: なみ | 2009年06月02日 21:58

 自分は、血液型少数派のAB(日本人の9.4%だそうな)で、よく一般的に二重人格なんていわれているが、以外に他の民族では少数派でなかったりする(参考URL)。http://www10.ocn.ne.jp/~kanam/distribution_of_a_blood_type.html
 でも、少数派ってカッコ良い、二重人格なら相手の気持にもすんなり入っていける。ディベートする中で何人もの自分と対話しながら、周りとの意見交換も加わり、訳わかんなくなる…もう考えるのをやめよう…、ただ寄り添って、その人のもてる力を十分に発揮させて…ロウソクの炎が消える直前に勢いを増すように、その炎を出来るだけ大きく燃やしてあげよう(←あげようは驕り、自己満足です…)。


投稿者: やっさん | 2009年06月03日 15:15

 私の中にいくつかの脳が有る事が時々悲しくなります。意地悪する脳は、チョット壊れるともう少しやさしくなれるかな? 今日は、いいお話し有り難うございました。


投稿者: トキドキ | 2009年06月03日 18:47

 私の中の何人かの私。
 ああでもない、こうでもない。結論でないことも。
 そんな時は、仕方ない、やってみなきゃ分からない。とりあえずやってみる。
 うまくいけば、さすがまんまると誉める。
 うまくいかなければ、残念と言うまんまると慰めるまんまる。愛想よく謝るまんまるに分析するまんまる。最後は、まああんた達、みんなまんまるだから、みんな私が面倒みるわと頭の中でやっている私。
 たまに頭がパンクする。
 パンクした時は、好きなケーキと綺麗な景色や美術品で、落ちつく。
 リフレッシュの時間は、何がなんでも作る事にしてから、潰れなくなった。
 まんまる、成長したね。
 ひとりごとです。


投稿者: まんまる | 2009年06月04日 12:41

まんまるさんへ
 おもわず笑ってしまいました。ステキですね。情景が描け、まんまるが理解できました。すいません。取り急ぎひとことだけ。


投稿者: わだゆきお | 2009年06月05日 06:42

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち97年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。東京都地域密着型サービス事業者連絡協議会代表としても活躍。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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