見えているのに見えていない
携帯電話(スマートフォン)でメールをした後「そういえば今何時だったかな」という経験をしたことがありませんか? そして私は、再度時間を確認することがあります。二度手間ですが、これに近い経験を誰もがしたことがあるのではないでしょうか。
携帯電話の画面に日時を映している人は多いでしょう。ですから、確かに視界に入っているはずです。どうして、見えているのに見えていないのでしょうか。
恐らくメールを打つことなどに集中していて、日時が見えているけれど見ていないのだと思います。すなわち、意識を向けていないのです。
突き詰めて考えてみると、私たちの周りには、見えていても見えていないことが多いように感じます。興味のあるものや集中しているものしか見えていないのです。
たとえば、和食の店に行こうと考えて歩いていると、和食の看板に気づくことが多く、逆に、コンビニの看板には気づきにくいものです。バイク好きの人は、ハレーダビッドソンが走っていると、年式まで見えています。スポーツカーが好きな人はその車種、ホイールまで見えます。
このように、見えていることは同じですが、興味や関心によって気づくかどうかです。
自分の交友や仕事関、家族関係も同じでしょう。自分の尺度や視点、基準で見てしまうことで、見逃していることが多くありませんか。良い部分が見えていないともったいないですね。
交友関係や家族関係、職場関係などで悩んでいる人もいるでしょう。時に違った視点で見てみると、何か気づくことがあるのではないでしょうか。
当社では、悩んでいるスタッフに、通勤の道順を変える、利き手とは逆の手で食事をするなど、視点を変えるための方法をアドバイスすることがあります。私も仕事の手順を変えるなど違う視点をもち、広い視野がもてるように心がけています。難しいことですが、気づいたときの収穫は大きいものです。
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