「1000日目」に訪れた帰宅困難区域
あの東日本大震災から1000日が経過する数日前、私は、福島県浪江町、双葉町、大熊町を訪れました。それができたのも、12月1日(日)、福島県介護支援専門員協議会田村支部の10周年の会で基調講演をするために前日入りしたからでした。
これまで岩手県や宮城県には数回訪れているのですが、福島県はまだでした。津波被害を受けるだけでなく、原発被害まで受けた福島県民のみなさんの様子は、テレビを通してしか知ることがありませんでした。
今回、浪江町出身の立川さんと双葉町出身の山田さんに同行して「帰宅困難区域」を視察することができました。
三春町から走ること30分、帰宅困難区域のエリアに入っていきました。2回の検問がありました。全員のメンバーの氏名を書かされ、メディアでよく見る放射能防護服が配布されました。
走りながら、車内で防護服を着ました。服の上から白い防護服を羽織り、帽子とマスクをつけました。足元には2重のシートを履きます。
やがて線量計が上昇を始め、「4ミリシーベルト」あたりから、車内に不気味な「ピー、ピー」という大音量が線量計から鳴り響きます。
そこからは、線量計は鳴りっぱなしです。
目の前に広がるのは、震災の時に崩れたままの家屋と、被害はないけれど誰も住まなくなった家、家、家です。田んぼはすっかりススキとセイダカアワダチソウに占拠されて、田んぼであったことさえわかりません。誰も収穫することのない柿の実がたわわになっています。
「原発事故の日から、カラスたちは柿の実を食べなくなりました。彼らには危険な物だというのがわかるのでしょうね」
浪江町の立川さんが呟きました。
「あ、もうすぐ私がもともといたJAの居宅の事務所です」
訪れると、なかは震災の時のままでした。
「私、あの日以来、ここに来るんです。なかのパソコンとかは運び出したと聞いていました。(中を覗き込みながら)本当になくなっていますね…」
その間、ずっと線量計は鳴り続けていました。
「さっき、15ミリシーベルトになっていましたよ。恐いですねぇ」
と、一緒に同行した助川さんがやりきれないようにつぶやきました。
原発にはさまざまな意見があります。推進派の人の言い分はあるでしょうが、この惨状を前にしたら認識は変わるでしょう。原発はなくさなければならない。これほど恐ろしくコストがかかるものはない…そう実感をしました。
その後、飯館村の特別養護老人ホーム「いいたてホーム」の三瓶政実施設長に、原発事故発生から今に至る話を伺うことができました。
今週のメールマガジン「元気いっぱい」第391号(無料)は「ムロさんの指南~情報の目利き力~」(第1・3木曜日に配信)です。メルマガは随時登録受付中です。
ケアタウンの公式HPではバックナンバーまで見ることができます。
研修の様子はケアタウン総合研究所の公式Facebookをご覧ください。
【研修会場・写メ日記】
福島県田村市介護支援専門員協会10周年総会
新潟県新発田市 地域ケア会議 第2回研修会
新潟県社会福祉協議会 施設職員研究発表会
神奈川県相模原市「地域ケア会議の開き方・進め方」研修会
山口県介護支援専門員協議会研修 「自分育てと自分磨き~ワンランクアップをめざして~」
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。