「プロ」とはなにか?
専門職の一部の方たちが、「私たちはプロだから」と話されるのを聴く機会があります。ここ10数年、この言葉を聞く時に、どこか居心地の悪い気持ち、やり場のない苛立ちを感じる時があります。
それは、それを言った人に対し(「あなたが、それを言う?」という人もいますが)、「わざわざ、どうしてこの場で、それを言わなければいけないのかな?」という思いがあったりするのです。
「プロ」という言葉を言った瞬間、いろんな苦労話も愚痴に聞こえたり、自らの力のなさの言い訳に聞こえたり。「プロだったらそれくらい当たり前じゃないかな?」と思ったり…
私たちは蕎麦屋さんのオヤジさんに、「あなたはプロですか?」と尋ねるでしょうか?
商売でされているのですから、プロであるのは当たり前。
でも一方で、オヤジさんが、「おれだってプロだからよ、これでも(笑)」と言えば、なぜかニュアンスとして、「職業人としてのプロ意識」を感じたりしますね。
ではそこで…
わざわざ言葉にしなければいけない背景について考えてみました。こういうことでしょうかね…?
・アマチュア気分の人ばかりだから
・自分は(自分たちを)プロと認めてもらいたいから
・プロであるとメッセージを送りたいから
・バカにしないでよ!プロとして一目置きなさい
・私たちはプロにならなければいけないから
どうでしょう、みなさんは、どのように感じられますか?
4番目の例は反感を買いそうですが(^_^;)、いかがでしょう? いらっしゃいませんか、この手の人は…。
プロってなんでしょう? つくづく考え込んでしまいます。
・給料をもらっているから…
・専門職だから…
ここで、Webのウィキペディア(ネット版百科事典のようなもの)を紐解くと、次のように書かれていました。
「本来の意味は『職業上の』で、その分野で生計を立てていることを言い、『公言する、標榜する』が語源である」
なるほど、生計を立てているということ。ならば多くの人はプロですね。
「対義語はアマチュア。類義語にエキスパート (熟練していること)、スペシャリスト(特化していること)などがある」
だから、専門職として働き始めれば誰もがプロであり、そこからエキスパートやスペシャリストを自称できるかどうかが問われるということですね。
では、私たちは「プロ」という人に何を求めるのでしょうか?
プロスポーツの世界がわかりやすいですよね。アマチュアよりかなり秀でているのは当然のことです。
が、もう1つ…これが肝心。
それは、自分の競技に対して厳しい姿勢でのぞみ、第三者がそれを認めるレベルを実行している人という「生き方、スタイル」を私たちは求めがちなのです…いかがですか?
だから「さすがプロだよねぇ、考えているねぇ」「やっぱりプロフェッショナルはそこまでやるんだ」と、影の努力や精進に感嘆し、納得するわけです。いや、納得したいのです。
私がよく感心するのは、料理番組に登場するレストランのシェフや和食の料理人、ラーメンの達人たちの「こだわり」と「細やかな技」です。これは実に感心します。
あとは、庭師、大工、左官職人などなど。プロならではの「配慮」は、感動を覚えるものがあります。
そして、そこにあるのは「自分」がないことです。
あるのは、「お客さま目線」ですね。どうやったら「おいしい」と感動してもらえるか。どうやったらホッとくつろげる空間や壁や庭を作れるか…
自分のやれる範囲で「こなす仕事」ではなく、顧客のイメージの先を行く仕事を描けて、それを形にできるかどうかで苦闘する…
私は、その姿勢に、「プロフェッショナル」としての感動を覚えます。
おもしろいことに、多くのプロたちが書いた本を読むと、若い頃や修業時代は、その業界の先人や先輩から徹底的に学びますが、ある段階からは「お客さまから学ぶ」ほうに軸足を移すことです。
そして「形あるもの」にするために、今まで培った自分の殻を自ら破っていくという「たゆみない精進の道」を歩き始めることになります。
その結果、誰もが認めるその人なりの「持ち味」あふれる仕事ができるようになっていくことになります。
プロとは何か…
いま一度、考えてみたいテーマです。
【ムロさんの写メ日記】
連休中に訪れた京都国際マンガミュージアムで描いてもらった似顔絵です。いかがでしょうか?(^_^;)
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