「私たち、萎えそうです……」
先週、信越地方の新潟県柏崎刈羽介護事業者協議会に招かれて、講演をしてきました。
テーマは「ケアマネジャーの質と価値」。
昨年の10月、新潟県介護支援専門員協会発足の会で、「1割負担に耐えられるケアマネジャーになろう」という話をしたときに、そこに来ていたK市のケアマネさんが、「ぜひ、この話を私たちの地域のケアマネのみんなに聴かせたい」と今年の3月にお電話をいただいて実現したものです。
いやぁ、なかなかの盛況ぶりでした。
前回の講演は2時間だったのですが、今回は4時間と、たっぷり話すことができました。
講演が終わった後で、主催者の皆さん8人ほどが、控室に来られました。そして、その中のおひとりが、「先生の話を聞いて、とても癒されました」と話し始めました。
そんなに癒し系の話?をしたつもりはないのですが……と思いつつ、よくよく聞いてみると、思わぬ本音を聞くことができました。
「最近のケアマネジャーの研修会で、講師の方が、いま国はケアマネジャーについて厳しいことを言ってきていると始まり、その理由を一つひとつ話されました。それがとても厳しい意見なのです。でも、そればっかりだと、私たちの気持ちが萎えてしまって……。会場を出る時には、『ケアマネ辞めようかな』と思っちゃうんです」
講師の方に悪気はないのでしょうが、叱咤激励のつもりが、ただの叱咤だけだったり、説教だけになっているからでしょうか。
現状が厳しい分、つい口調もそうなりがちになるのはよくあること。
しかし、それを聞いたケアマネさんたちの、やる気を削いでいるとしたなら残念なことです。
そこで今回のブログでは、「気持ちが萎える」ということについて考えてみます。
気持ちが萎えるのは、やる気がないからではなく、思い通りにいかない、思いをわかってもらえない、思いを踏みにじられたような時に気持ちは萎えがちとなります。
一方、怒りは「反発」であり、時には「批判」にもなります。
そこにあるのは、客観的な事実が明白であり、「それは違う」「そんな言い方はない」などと反論できるほどの論理性や根拠があるものです。
ですから、怒る元気があるくらいなら、まだまだいいんですね。
ところが、気が滅入って気持ちが萎えるというのは、「そういう言い方をされると私たちの立つ瀬がない」という、いわば本音をわかってもらいたい、受け止めてほしいという切実な願いが底にあります。
もちろん、このような考え方を、「プロとして甘い」と一蹴するのは簡単です。
しかし、ケアマネになってわずか1年~3年の人たちに、「今のケアマネは〇〇だ」とこき下ろしても、聞いているほうはピンとくるわけがありません。
むしろ、8~12年選手のケアマネさんならば受け止めることはできるかもしれませんが、「私たちにそう言われても困る」というのが、新人ケアマネさんの本音なのでしょう。
私もけっこうキツイ言い方をする時があります。
真に迫ったきびしいことを求める時もあります。
しかし、私が心掛けているのは、誰のことを最も大切に考えているかということ。
その意味で、「〇〇ができていない」からといって、ケアマネの皆さんを説教するようなことは、私は極力控えています。
むしろ、「〇〇ができるようになると、利用者(家族)との関係、サービス事業所の仕事の質、そして皆さん自身の人間性の成長や仕事の質が向上することになりますよ」というメッセージを込めてお話ししています。
ケアマネの皆さんがどうしたら元気に仕事に向かえるか。
そして成長している自分を実感できるか。
それが私のモチベーションの原動力の1つです。
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コメント
先日の講演会に参加させていただきました。午後1時から5時までの講演。受講するまでは「長いな」と思っていましたが、随所にユーモアや鋭い指摘を織り交ぜ、気が付くとあっという間の4時間でした。居宅支援事業所の管理者と施設の現場管理者をしていますが、施設サービス計画の評価は利用者の反応や状況でダイレクトにわかるのですが、ケアマネは場合は計画の評価が難しいと感じていました。今回の講義で何かヒントが見えた感じです。是非ともまた柏崎においでいただご講演いただければと思います。ありがとうございました。
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