「やっている」と「できている」
今朝の日本列島は「金環日食」でメディア含めて沸きに沸いています。私は日食グラスを購入するタイミングを逃したために、裸眼で見るわけにもいかず、テレビの報道を見るしかありませんでした。
こんなに晴れわたるなら…と、あの興奮の輪の中にいない自分がちょっとさみしい気持ちになりました(^_^;)。
私たちは言葉でやりとりをしています。
もちろん、このブログのように文字でのやりとりも。
対面しているなら、表情や身振りも使うでしょう。
これらを「コミュニケーション」という外来語で総称します。
日本語的には「意思の疎通」となるのでしょうか。
ところが、ちょっとした「使い方」の違いでニュアンスも変われば、意味も違ってくることが往々にしてあります。
その例がこれですね!
「やっている」と「できている」はかなりの距離感がある、というお話です。
「〇〇さん、歯磨き、やっていますか?」
と尋ねられると、みなさん、「ええ、やっています」と回答するはず。だって歯磨きという行為はやっていますからね。
では…
「○○さん、歯磨きはできていますか?」
と尋ねられと、みなさんは「えっ?」と戸惑いませんか?。
「そりゃ、歯磨きはやっているけれど、できていますかとなると…どうだっけ?そういえば、ひと月前に歯科で歯垢除去をやってもらったときに、歯科衛生士さんから、歯磨きがちゃんとできていませんね、と注意されたもんなぁ」
挙句の果てに…
「できていませんというわけではありませんが、歯磨きとしては不十分かもしれません」
と理屈っぽい妙ちきりんな回答をすることになります。
やっているからといって「できている」とは限らない。
これは家族介護でも同じことが言えるはずです。
「介護やっていますか?でなく、介護ができていますか?」と質問してみる。でも、これってとても抽象的ですよね。
せめて「排泄介護やっていますか?」でなく「排泄介護できていますか?」と質問してみましょう。
でも「できる・できない」の基準を相手に求めるのも酷です。なにせ基準そのものがあいまいですから。ならば「排泄介護でなにか困っていることはありますか?」の質問フレーズはいかがでしょう?
多少は相手の身になっていないでしょうか?
これって「わかっている」と「できる」ことは違うことにも通じる話ですね。新人育成などで「わかった?」と尋ねて「わかりました!」と答えが返ってきても、決して安心してはいけません。
「では、やってみてくれますか?」と、とりあえず実践してもらうか、
「では、復唱してみてくれますか?」とプロセスを復唱してもらうか。
いずれか、必ず行うことが大切です。
「金環日食、見た?」でなく「金環日食、見えた?」が正しい?質問なんですね。
ああ…「奇跡のショーだったね!」と言えない自分が悔しい(>_<)
ムロさんの写メ日記
愛媛県久万高原町地域包括支援センター主催の研修会です。1日目は「相談面接に活かす質問力」の研修会です。参加者全員でパチリですね!(^^)!
いつもにない珍しいコノ字型のテーブルでグループワークしました
1対1で質問のワークショップです。「子どもの頃、うれしかったことは?」を質問力で引き出します
午後は「子どもの頃、悲しかったことは?」を質問します
2日目は「会議に活かすファシリテーション技術」の研修会
レジュメに書きこみます!(^^)!
その横に、なんと虫眼鏡が…拡大鏡でしょうか?
今週のメールマガジン「元気いっぱい」第321号(無料)は「セレブだった人生に寄り添う」(木曜日配信)です。メルマガは随時登録受付中です。
ケアタウンの公式HPではバックナンバーまで見ることができます。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。