ブログ版「いるはず・いたはず」
『ブログ版』と書くと、他に何があるの? と思われる方もいるかと思います。今回のテーマは、先週号のケアタウン総合研究所のメルマガ「元気いっぱい」(240号)で「100歳以上高齢者の行方不明」事件について取り上げたからです。
なぜ取り上げたか? その理由は、私が地域のネットワークづくりについて講演や研修を行っているから。
今年の夏の暑さには驚きますが、この行方不明高齢者の話題には圧倒されるような現実があぶりだされたように思うのは私だけでしょうか。いわば、まさに福祉版「都市伝説」なわけです。
詳細はかなりメディアで報道されています。東京都足立区の白骨化死体から始まった、行方不明の高齢者探し。この間、小生が知り合いの地域包括支援センターに電話をして「○○市ではどうですか?」と探りをいれてみると、「うちの市では大丈夫でした(笑)」と明るい返事が返ってきてホッとしたり。東北を中心に聞いていたせいでしょうか…。
なんと、出るわ出るわ……昨日(8月15日)の読売新聞には「不明100歳以上242人」~住民登録「家族と同居」42人~の文字が踊りました。各県の不明者ランキングがあり、兵庫108人、大阪66人、京都20人、東京8人と続きますが、東北はひとつの県もありませんでした。
今回の事件は、高齢者福祉の視点から見た時の「死角」をまざまざと浮き彫りにしたように思います。
まず第1は「タテ割り行政」のあまりの陳腐さです。自治体で高齢者情報が共有されていない弊害がここまできているのか。16日の某TVで、大阪市の行方不明に関する説明です。つまりは高齢者福祉課のもつ「不在情報」と住民課の住民登録の「付け合わせ」をしてこなかったことの結果です。なんと「1日」あれば済む確認作業というではありませんか。わかっていながら、おそらく20数年はやらずにきたわけです。個人情報保護法を理由にしてますが、それは最近の話。
第2は、同居の家族の言い分をタテに「そう言われると行政には立ち入れない」という行政側の言い分です。たしかに「今は○○にいます」「今は眠っていて起こせません」などと家族がいうと、なかなか「一歩踏み込めない」むずかしさはあるでしょう。しかし、扉一枚の向こう側で不慮の死を遂げたり、虐待的な状況に陥っているかもしれないなら、それを見過ごしてもよいというのでしょうか?
いみじくも9月15日には「敬老の日」として祝い金を届けることが全国で行われてきています。いまやちょっとしたイベントになっています。いまでは100歳は珍しくないようですが、それだって110歳や120歳? になれば、これはとてもめでたいことで、市町村にとっては「地域の宝」のはず。
なのに、なのに、今回の52市町村では、そのままにしてきた。問題視すべきは、実は所在不明を知りながら問題を放置なのか無視してきた、担当行政職のその感覚です。それも現職員の方々だけでなく、ここ10数年の高齢福祉課や住民課の課長職の方々もメディアは取材すべきなのでしょう。
つまり、都会のつながりがなくなったことの証左だけでなく、行政の怠慢な仕事ぶりが生んだことです。なにより呆れるのは「わずか1日の仕事」で終わるのにそのままにしてきたという事実です。
家族と「同居」が盲点…本当にそうでしょうか?
極端な「拒否」の裏に「虐待の匂い」あり…と知人のベテラン社会福祉士が語ってくれました。
「いるはず」なのに「いない」ようなので、家族に事情をよくよく聞いたら「いたはず」ということがわかり。あげくに「帰ってくるはず」とずっと思っているという…。
この「都市伝説」…どこまで根が深いのでしょうか。
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