限界集落への支援!
3年ほど前から、急激に人口が減少した市町村で研修に呼ばれた際に「限界集落はありませんか?」と尋ねるようにしています。「限界集落だらけですよ、うちのマチは」と、時には自虐的な返事が返ってくることもあります。
この限界集落に本格的に興味をもちだしたのは4年前です。いま、口蹄疫で全国から注視されている宮崎の、県社協の山崎事務局長との会話からでした。
「いま、宮崎の地域福祉のテーマは、いかに限界集落の高齢者を支えることができるか、なんですよ」
私も京都市の北のはずれの町の出身ですから、限界集落や廃村というものがリアルにわかります。しかし、その増加の勢いが平成の合併以降、さらに拍車がかかっていると印象をもっていたので、「山崎さん、県社協がフィールドワークで入っている限界集落を案内してくれませんか?」とお願いして、3年前に、宮崎市から車で約3時間の西米良村と東米良村の地を訪れることができました。
それ以降、長崎県五島列島の福江市、北海道函館市、島根県益田市、の限界集落を訪れ、そして今回は岩手県宮古市です。
旧川井村は、盛岡市と宮古市を結ぶ丁度中間点で分水嶺となる尾根のあたりになります。昨年、宮古市に合併し、旧役場に地域包括支援センターが1か所あり、そちらの主任介護支援専門員さんと保健師さんに案内をしてもらいました。
「先生、すっごい山ん中だけどびっくりしないでね。家が川から上の方に立っているんですよ、これが。車は一台分しか通れないような道路を行きますから」(ちょっと岩手訛りで)
空き家も点在しています
集落とは「人が集まって住んでいる場所」をいい、数戸以上の住居がまとまっていて、住民の社会生活の「基本的な単位」になっていれば、これが一つの集落と考えられてきました。つまり祭事や葬式ができる単位といえばわかりやすいでしょうか。
この集落に「限界」の用語をくっつけたのが長野大学の大野晃教授で、1991年のことです。高齢化率50%を超えた集落は、人口が少ない過疎地域より深刻であり、人口減だけでなく、山林が荒れ、休耕田が雑草で生い茂るという、「10数年以内の消滅」が予測される地域といえます。
今回、訪れた地域は川井村のもっとも奥深い場所で、渓谷の川から20mほど上にあがった場所に家屋が建っていました。上っていくと、民家があり、そのさらに上には斜め傾斜の畑と数枚の棚田がありました。
日に焼けた顔をほころばせた83歳のAさんは、田んぼ仕事の手を休めて、岩手訛りで話して下さいました。
「若いころはここから冬は出稼ぎに出たもんだぁ。子どもは3人で、2人は東京で1人は大分に嫁いでいます。いま? いまは母ちゃんと2人。のん気に気楽にやってますョ」
案内してくれた地域包括支援センターのお2人とAさん
15分ほど立ち話をしていると、下からお母さんが移動車?を片手で運転して、ゴトゴトと下から上がってきました。80歳くらいでしょうか。その手さばきは見事です。
「まあ、○○さん!(笑)」と保健師さんの名を呼び、私たち3人を家に招き入れてくれました。
中にはいまも使っている年季の入ったクドがありました。大豆などを煮るようです。
昔懐かしいラジカセです。これで音楽を山にこだませながらの仕事なんですね
かつてのNHK番組『新日本紀行』が蘇ったかのような暮らしがそこにありました。
この高齢者のご夫婦の暮らしを支えること…
集落といっても一軒一軒が遠く離れています。
まさに集落支援だけでなく、山間地を流れる川を軸にした「流域共同支援」(前述:大野晃教授提唱)という視点が、高齢者支援でも必要になってきていると思いました。
今週のメールマガジン「元気いっぱい」第233号は「わかったつもり」です。ケアタウンの公式HPではバックナンバーまで見ることができます。
コメント
限界集落の話は、秋田の私の近辺でも切実です。
昨年、自分の住む集落の人口統計を村の協力でとってみたのですが、このまま10年後の村の推計をしてみたところ空き家になるであろう家が12軒で実際に人が住んでいる家が、現在の60軒から48軒に減ってしまう。
なにより、労働人口の予測では現在より40%減の推測。
今でさえ、耕作放棄地が多くなって、村人総出で草刈りをしたりしているが、いずれ力尽きて荒れ果てて、そして集落の跡だけが残るのではとちょっと恐ろしい想像をしてしまいます。
写真を拝見して、あらためて文明とは何だったんろう。
生きることを頑張っている方々の純粋さをまぶしく感じます。
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