無縁社会と居場所づくり
「おひとりさま」という言葉が昨年流行し、今年1月末にNHKスペシャル『無縁社会』が放映されました。現代社会が「縁なき社会」に様変わりしてしまったのはどうしてか。高齢社会に生まれた「落とし穴」の深さに戦慄してしまいます。
「縁」といえば血縁が身近ですが、地縁(地域のつながり)があり、社縁(会社、仕事のつながり)があり。同好の士が集まる趣味の仲間なら「趣縁」があってもよいでしょう。これが飲み仲間なら「酒縁」となるのでしょうか。
NHKでは、無縁社会の姿を、都会で孤独に死んでいく「無縁死」に焦点をあててあぶり出しました。なんと、その数が3万2000人というから衝撃的です。
都会はまさに「無縁社会」転落の危機だらけです。
仕事を求めてやってきた都会でも、定年や失職で職場をなくせば、「職場仲間」を失います。飲んだり、話したり、相談する相手もいなくなる、「究極の孤独」がそこに待っていることになります。
とくに男性は仕事のつきあいが多いうえに、水平的なつきあいは苦手ときていますから、中年になって、高齢者になって、いまさら「縁づくり」も面倒になりがちです。
遺品整理会社という仕事が増えているといいます。故人の遺品を主に整理するのが仕事です。かつてなら身内がやったことを、まったくの「無縁」であるために、お骨さえ引きとる人もいないわけです。当然、遺品は家の中にそのままに。借家やアパートなら大家さんは困りますから、その時に登場するのがこの仕事です。
『週刊ダイヤモンド』の取材に答えた某会社のY社長は言います。
「携帯電話も固定電話も持たない、都会の無人島とでもいうべき環境で生活していた故人がたくさんいます」
この無縁死予備軍といえるのが「一人暮らし高齢者」です。
老老介護の夫婦・親子も、要介護の方が亡くなるか、入院したり、施設に入ったりすれば、すぐに「高齢おひとりさま」になります。
一方で、仲間と住むことを始める人たちもいます。若者のルームシェアならぬ、高齢者たちの「共同の住まい」です。一人暮らしの孤独に耐えるのでなく、多少の人間関係のストレスがあっても「暮らし縁」を選択する人たち…。
「ゆるやかな暮らし方」…ルールでなく気づかいが「基本」の住まい方の一つに北欧発の「コレクティブハウス」があります。10~15人が一つ屋根の下で暮らすスタイルです。週に3回程度は希望者が一緒になって食事をすることも。調理も持ち回りです。孤独でありたいという意思も尊重しながらも「孤立はさせない」という、人づきあいの知恵があふれています。
人は人で癒される…癒される居場所があるか?
「居場所づくり」という名の「縁づくり」。
これからの大切なキーワードではないでしょうか?
ムロさんの写メ日記
函館朝市の様子…にぎやかです!(^^)!
この蟹の美味しそうなこと!!!
函館のレンガ館前での記念撮影です。この今井倉庫群のなかはおしゃれなお店がたくさんあって、とてもステキでした。
今週のメールマガジン「元気いっぱい」第225号は「つけいる手口」です。ケアタウンの公式HPではバックナンバーまで見ることができます。
コメント
転勤族だった私がいつも言っていた言葉。
居場所探し。。
新しいコニュニティーに入って行かなければならない緊張と不安、そんな時、サラッと笑顔で声掛けして貰った時、雛のような刷り込み?状態で(^^)
きっと人は人で癒されると思って毎日元気いっぱい楽しく明日からまたお仕事↑(^v^)↑
縁あって先生のお話を聴く事が出来て、沢山勇気と元気を頂きました^^
また6月に「伝える力」楽しみにしています♪
ゆうぐれ☆さんへ
お父さんが転勤族だったのでしょうか?するとゆうぐれ☆さんは、さしづめ転校生だったのかな?私は京都の中山間地の田舎の学校でしたから、転校生にはほのかな憧れを抱いたものです。(^_^;)
知らない街のできあがったコミュニティに入っていくのは、とても勇気がいることと思います。おたがい興味津々で、わずかな素振りもすぐに噂になったりして。
自分の居場所を見つけるまで、とても苦労されたことと思います。同様の思いは、私が東京にやってきたときにもありました。名古屋市もデカイと思いましたが、東京つまり関東のでかさと人の多さにはびっくりで。知らない人がこれだけたくさんいるなんて、初めての体験でした。人に酔うというのがしばらく続いたように思います。
「京都弁も通じない東京で、おれはやっていけるのだろうか」と、20代は結構不安に思っていたものです。
街を好きになるコツは、その街に住んでいる人を好きになることだと、若い頃に言われたことがあります。
多分、「ここにいていいんだよ」と言ってくれる人がいると、そこが居場所になるのかもしれませんね。
平成18年度の主任ケアマネ研修以来、高室さんのファンの一人です。その時ガダルカナル・タカに似ていると言われたので、そう名乗ります。
最近、近所の一つ年上の先輩(50歳代前半)が自宅で一人なくなっていたことがありました。一人暮らしで仕事もなくなり、誰も彼を訪ねる人もなく、死後2週間はたっていたそうです。
小さなころは一緒に釣りをしたり遊んだことも多かったのに、いつから付き合いが無くなったのか。
小さな秋田の村でさえそんな現実が出始めてきています。社会の変化や流れの中で、人と人のつながりが薄くなっていく。人間が自ら生きにくくしているのか、文明文化が進む中でそれが自然だというのか。
彼の死後、じわじわと世の中に何か大切な物を失いかけ始めている気分になり、自分は何なんだろうと自問自答しています。人の縁はしっかりとつかんで死ぬまでいきたいなあ。
秋田のタカさんへ
秋田のガダルカナル・タカだ!と言ったのを覚えています。なぜか異様に似ていたんですよね。全国で研修をしていると、結構、顔面相似の人っているんですよねぇ。
ちなみに先日のヒット作は、このサイトの運営主幹である中央法規出版の「おはよう21」編集部のKさんのことです。だれかに似ていると、ずーと思っていて、ハタとひらめいたのです。「沖雅也だ!」と。本当に髪型といい振る舞いといい似ているんですよねぇ(笑)。思わず「涅槃で待つ」というフレーズまで速攻で思い出しました。
さて、今回の先輩の孤独死の話題には、とても胸が痛くなりました。小生も京都の中山間地の田舎の出身ですが、田舎といってもどの地域も人間関係が濃いわけではありません。むしろ田舎は関係が濃いからこそ、いざこざがあり、それが長く澱のように溜まっていることもあります。だからこそ踏み込むことにも遠慮が生まれがちで、助けてといいたいのに、近所の目をつい気にしてしまうようなことはしょっちゅうではないでしょうか。
死後2週間ですか・・・
生きていてつらいのは背負った重荷ではなく、それをわかちあう友人がいないことだ、となにかで読んだことがあります。
とくに男はつらさや悲しみを話さないものだと教育されてきた(躾けられてきた)背景がありますから、なおさらかもしれません。
気軽に弱音が吐ける、そしてみんなで話しているうちにつらさも笑いになり、なんかがんばっていけそうな気分になれる、そのような「地域のしゃべり場」づくりが、これからの地域福祉のテーマかもしれませんね。
つらい話題をありがとうございました。
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