「レッテル」と決めつけ意識
新幹線の移動中に書いています。ビジネスマンには好む席があります。想像できますか?それは車両の最前列です。比較的大きいテーブルが使えるからと、コンセントがあるからです。要はノートパソコン(正式にはモバイルパソコン)でサクサクと移動中も仕事ができるからです。でも今日はやっぱり埋まっていました(笑)。
では旅行者は?最後尾の列なんですね。背もたれの下の空間にスーツケースを倒せる空間があるからです。旅行気分の話題でひとつ。
成田空港(東京国際空港)行きのJR成田エキスプレスや中部国際空港の名鉄特急など「空港直結便」には大型のスーツケースを格納できるスペースが必ずありますね。なぜかあれが目に入るだけで、プチ海外旅行気分になれます、私は。どこに行くんだろうと想像するだけでウキウキしたり、正直、うらやましかったり(^_^;)。
さて今回は「レッテル」にかかわる話題です。
人にレッテル(タイトル?)をつけて呼ぶことを私たちは日常的に行っていますね。それが思わぬ波紋を呼ぶことが一年前にありましたね。政権が代わって廃止になる?のでしょうか、あの「後期高齢者医療制度」です。「高齢者に前期も後期もない!」「後期と名づけることで私たちを役立たずの老人と言うのか!」「保険料の天引きだけでなく、この線引きに怒りましょう!」などなど。
介護保険などにかかわる専門職の間では当たり前に使っているこの名称がこれほどの「怒り」をもたらすという事実。
みなさんはどう受けとめられましたか?
正直、私は「前後」ではあまりに「後」のほうが長すぎる印象なので、「中」を入れたらどうでしょう。「前期」は65~74歳、「中期」は75歳~84歳、後期は85歳以降(以上)で、85~∞(無限大)歳となるのが、リアリティを感じますが、いかがでしょうか?
2年前のメルマガ元気いっぱいに「レッテルと決めつけ意識」をテーマに次のようなコラムを書きました。
さて私たちがレッテルを貼るのは、実は整理するのに「楽」だからです。個性の異なる人を、所属や出身地、性差、年齢、世代、病状、要介護度などで「ひと括り」にすることで、傾向や属性を分析したり、あるいは認識を共有化することがカンタンにできます。しかし、そのことがどれほど個々人の個別性や感情をないがしろにしているかを私たちは知らなければなりません。
たとえば・・・1970年代は学園紛争が花盛りでその中心は団塊の世代で~というもの。団塊の世代の多くが大学卒だったか?それは真っ赤な誤解です。大学への進学率はわずか10数%です。それに学園紛争が激しかったのは東京6大学などの一部です。要するに8割が高卒だったのですね。これなどは近頃最も使われながら誤解されがちのレッテルです。
相手を知るために都合のよいレッテルを探し、それでわかったつもりになり「安心」してしまう。これなどは典型的な「浅はかな決めつけ」と言われても仕方ないでしょう。
もうひとつレッテルの注意点は関係を「固定化」させることです。
教師と生徒、社長と部下など「立ち位置」を固定化させると、自由な発想を妨げます。例をあげます。学校での上下の関係は「生徒は○○であるべき」という上から目線の固定観念を生むことになります。たとえば、医師の前で「患者」となると急に委縮して患者を演じてしまう専門職がいます。同様に「要介護高齢者」とレッテルを貼られることに気分を害する元民生委員さんがいます。普段はケアマネとしてがんばっていても、介護者家族の嫁の立場になると自分の専門性を封印し、ただの「身内気分」になってしまうといいます。
レッテルはその人の行動や意識さえも、それらしく振舞うように「強制する効果」があることに注意を払うべきです(例:~らしくしろ)。
レッテルが「決めつけ」の意識を生むと、その向こうにある80数年の個性的な人生は無視されます。「その人らしさ」や「人生に寄り添う」なる言葉をわざわざ使わなくてはいけないのは、とかく高齢者、利用者、入居者と決めつけてしまい、個別性を見えなくしてしまっているからかもしれません。
専門性という視点が「個」を見えなくしてしまう「危うさ」をつねに意識すること・・・相手との関係に「KY」になってしまってはいけません。
あなたの中に「○○だから」「○○のくせに」と相手や周囲を決めつけてしまっている自分はいませんか?
たとえば「所詮、私なんか・・・」なんてね。
ムロさんの写メ日記
長崎県主任介護支援専門員(佐世保教室)のみなさんです
佐世保研修のスタート前に佐世保湾が一望できる場所へ車で案内してもらいました。この島々の向こうに五島列島が見えるそうです。江戸時代、50歳で日本列島の測量の旅に出た伊能忠敬もこの佐世保の地に訪れました。その時すでに64歳?だったそうです
長崎市内の商店街の八百屋にあった「赤ダイコン」のサラダバージョンです。皮が赤色で、中の白とのバランスがとてもきれいでした
滋賀県瀬田駅に向かうために京都駅のホームで見つけたキオスクの売店。なんと液晶モニターの上部にレジのお金が表示されるだけでなく、常に広告が流れているんです。「CMディスプレー」といえばいいんでしょうか。
関西人の商売へのこだわりを感じました(^_^;)
今週のメールマガジン「元気いっぱい」第214号は「もったいない!」です。ケアタウンの公式HPではバックナンバーまで見ることができます。
コメント
先日の先生の講習を受けて、ちょっとケアマネやってみようかと思いました。
実はもう止めようかと思っていたのですが、先生のCADLの話を聞き、利用者様の「夢請負人」のような仕事をしてみたら楽しそうと思えてきました。
そのための維持・向上のお手伝いをしていけたら。利用者様の達成した時の笑顔と自分の達成感を想像すると気持ちもUkiukiしてきました。
勉強もしなおして、頑張ってみようと思います。挫けそうになったら、また、先生の本なども読んでみます。現在修理中のパソコンが直ってきたら、このページもゆっくりと読んでみたいと思っています。(これは会社のパソコンで書いています。)ありがとうございました。またどこかでお会いできる事を楽しみにしています。
たなかさんへ・・・
私の研修を受けて、またケアマネに復帰しようと思っていただいたとのこと。とてもうれしく思います。利用者の方の「夢請負人」とは、言い得て妙ですね!(^^)!
読者の方で「CADL」とは?と疑問に思われた方に簡単にご説明。従来、ADLやIADL中心のケアプランがありましたが、私はCADLの視点で作成するととても利用者本位のプランが作れるよと話しています。さてこの「C」は「カルチャー(Culture)」つまり文化という意味なんですね。文化って、なにも音楽鑑賞や文章書きとは違いますからね。それは文芸だったりアートだったり。
私がみなさんに説明している文化とは「京文化」のように「暮らしのスタイル」をいいます。
だれにもあるこれまで生きてきた暮らしのスタイルを尊重したケアプランを作りましょうということです。CADLのケアプラン作成の視点からはADLやIADLは手段です。そのあたりは「ケアマネジャーの質問力」をお読みください。いろいろと詳しく展開していますので・・・
パソコンが修理オーケーになれば、気軽にこのサイトをご覧ください。
またコメントをお待ちしています。
ひとつ(愚痴?)を聞いて下さい。
一人ケアマネを始めて3ヶ月目です。利用者さん一人からの出発でまず地域包括の「支援」のお仕事を貰い始めました。手探り状態で【市役所】や【地域包括】に毎日のように出向きノウハウを教えて貰い色々勉強してぼちぼちお仕事をもらえるようになってきました。
先輩?ケアマネさんは支援の利用者さんの受け入れをあまり好まれないようで支援の利用者さんのお仕事が私の方にもらえるようになったのは嬉しいのですが「8件」という壁に当たりました。どうして8件しか受け入れ出来ないのか、県の福祉課にも問い合わせましたが「きまりだから」という回答のみでです。要介護の利用者さんをほとんど受け入れていない(事実お仕事がありません)私のようなケアマネはどうすれば良いのかと途方にくれてます。
柴田 弘美さんへ
一人ケアマネ事業所を始められたようですが、以前はどちらの事業所にいらっしゃったのですか?ケアマネ歴は何年で持ち件数の経験はどれくらいおありですか?
一人ケアマネでは相談する同僚ケアマネさんもいないため、ケアマネ業務だけでなく管理業務などかなり大変のことと思います。
介護予防や要支援高齢者への支援は地域包括支援センターの専任業務ですので、市町村によっては居宅介護支援事業所への「委託」をさせていない自治体もあります。その意味での8件とお考えいただくといいと思います。
ご自分でも愚痴とおっしゃっているように、本音は、要介護の利用者さんがすぐには増えないために、まずは要支援利用者からスタートされているわけですね。8件に不満があるようですが、むしろ要介護の利用者が増えないことにジレンマを感じていらっしゃるのではないですか?
まずは紹介をしてもらえるために「顔の見える関係づくり」として、包括センターだけでなく病院など医療機関や老健などとの関係づくりをされてはどうでしょうか?
ネットワークを広げるだけでなく、先方の専門機関に「信頼される力量」をつけることもしっかりと進めて下さい。
期待しています。
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