援助職を支える
今回のブログを「援助職を支える」というタイトルにしたのは、メルマガ読者の方にはおわかりのように、先々週横浜を会場に行われた「第8回ケアマネジメント学会」での小澤竹俊医師(めぐみ在宅クリニック院長)の基調講演が印象に残ったからです。
在宅医療をテーマにされている小澤医師の講演の中で、終末期に近づいた患者の苦しみには4つあるという話をされました。
1つ…肉体的苦しみ
2つ…精神的苦しみ
3つ…社会的苦しみ
4つ…スピリチュアルな苦しみ
この4つ目の「スピリチュアルな苦しみ」に関する話を、とてもていねいにされました。それは、医療ではけっして緩和することができない痛みであり苦しみだからと私は思いました。
「みなさん、ドラマ『ビューティフル・ライフ』を覚えてらっしゃいますか?」
あらすじが簡単に説明され、やがてスクリーンに新進の美容師役の木村拓哉と終末期をむかえた彼女(常盤貴子)とのやりとりが映し出されます。
「ねぇ、生きていたい気持ち、どうしたらいい?」
この深い問いかけを、小澤医師は会場の人に問いかけます。
「このように、答えることができない問いかけをされた時、みなさんはどのような答えをしますか?」
これこそがスピリチュアルな問いであり、苦しみであると話されました。
そして柔らかい口調で「支えがあるとき、苦しみの中に人は穏やかさを取り戻すことができる」とも。
「痛くて痛くて、もう死にたい」と終末期をむかえた当人が言う時、家族は「どうしてそんなことを言うの」「がんばって生きて」と言いがちです。
人を支えるのは「関係性」であり、その太さにあると。終末期の患者さんにとっては、逃げないで聴いてくれる「存在」が援助職に求められているのではないかと話されました。
援助者は、相手にいかようにも合わすことができる「水」のようであることが理想であり、相手のつらい気持ちの言葉に合わせ、そして「そうなんですか」というフレーズが自然と出てくるようになることが大切とも語られました。
その援助職を支えるためには、支える人が必要です。
「誰かの支えになろうとする人こそ、一番に支えを必要としているのではないでしょうか」
このひと言に800人の場内が一体化するのを感じました。
相談援助職のケアマネジャーのみなさんは、いわば「支えを必要としている人」のところへ日夜訪問しています。利用者(家族)の人生への後悔や無念さ、そして次第に身体が弱り動かなくなっていくことへのふがいなさや不安……。寄り添えば寄り添うほどに、その感情は肌身を通してケアマネジャーの心を疲れさせます。
アメリカの社会学者A・R・ホックシールドが提唱した「感情労働」の視点から分析すればするほどに、ケアマネジャーを「スピリチュアルに支えるインフラ」も必要だとつくづくと感じています。
支え・支えられ・支え合い…。
支えも1本では不安定です。4本、5本と支えをふやし、自分もだれかの支えになる。
若木に添え木があるように、人にも「添え木」が必要なのかもしれません。
ムロさんの写メ日記
小澤医師のパワーポイント映像です
世田谷のケアマネ・M下さんが、訪問先で利用者の方から見せていただいた「宝物」です。「いつも過ごしている6畳の部屋には、大きな箱が2つ置いてありました。『ははは…前話した通り、昔、Victorの歌手だったから』と照れながら話すMさん。『弾いてみてもいいですよ』と言われ、Tryしましたが、持ち上がりませんでした」。これは値打ちものですよ!
そして送られてきたテンコ盛りの紫陽花の写メール。梅雨時の雨もいいものだなと思わせてくれるのが紫陽花たちです
今週のメールマガジン「元気いっぱい」第183号は「支えを太くする」です。ケアタウン総合研究所の公式HPではバックナンバーまで見ることができます。
コメント
私は友人を癌で亡くしました。それまでずっと戦っている彼女を見ていたのに、つい、臨終のまぎわに「がんばって」と声をかけてしまい、彼女は怒りの表情で「これ以上頑張れるもんね。」と言い捨てました。
それが、私が彼女と交わした最後の言葉になり、あの時のことが悔やまれて仕方がありません。
言い訳ではありませんが、とっさになんと声をかけてよいか何も出てこなかったのが現実でした。
いまだに、末期がんの方に対しても、そのご家族に対しても、その重い現実に戸惑い言葉を捜して言葉少なくなってしまっています。
中高年さんへ
私もいきなり質問されて答えられなかったり、とっさに言葉がでなくて、不用意にも「がんばって」としか言えなかった経験はあります。
慌てていたり、緊張していると誰しもそうなりやすいのかもしれません。
がんを患った友人への言葉も、世の中的に「がんと闘う」というイメージが先行してしまっているからでしょう、励ましの言葉しかでてこないことはあるかもしれませんね。
別れることがつらいと、避けているわけではないけれど、本音で素直な言葉が語れなかったりします。
ターミナルに苦しむ患者さんに「私もあとで逝きますから」と伝えると、ホッとされた笑みを返し、やがて静かに逝かれたと、先々週、ある医師の方の講演を聞きました。
人はこの世を去る時、生まれた意味と生きてきた意味を振り返るといいます。
「〇〇と会えてよかった。ありがとう」
こんな簡単な言葉でも、本人にとっては「素敵な贈る言葉」になるのではないでしょうか。
スピリチュアルな痛みと苦しみは医師にもとれないと聞きます。
その特効薬は、近しい人々の飾らない「愛ある言葉」「愛ある表情」「愛ある態度」なのかもしれません。
支え・支えられ・支えあい…
深い言葉ですよね。
先日、元気が取り柄の私が、体調を崩し救急外来へ…
過労なのは明らか。
すごくしんどくて仕事どうしよう、家族の世話は…なんて頭の中でぐるぐる考えている時に、お見舞いに来てくれた同僚の慈愛のこもった「眼・まなざし」には本当に支えられました。
言葉がスッと出てこない時でも「愛ある表情」「愛ある態度」は伝わると思いました。
(ただし、日本人特有の言葉にしなくても察してよ!というものではなく…)
日々いろんなことを心で感じ、生きている自分でありたいものです。
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