達人に学ぶ
どの世界にも達人といわれる人はいるものですねぇ。天才や秀才というと「ただ知識があるだけ」「突拍子もなく能力がある」のが印象ですが、知識や能力を凌駕したところに「達人」の領域があるように思います。
名人ではないんですね、達人は。名人は名人芸といわれるように、どっちかというと「芸事」にからんでいわれるように思います。達人は「技の世界」にピッタリきますね。
では、達人は最初から達人であるのか……そんなわけはなく、達人になっていくプロセスがあり、「磨かれて達人となる」という表現がもっとも近いのでしょう。
プロスポーツの世界でも、瞬発力に優れ、並みいるライバルの中でも抜群の身体能力をもっているのに、試合に弱い、大舞台に結果を出せない人はいます。ケガで泣く選手も多いでしょう。
心の部分が弱くて脆いために、いざという時に動揺して迷いが生まれてしまう。苦労を乗り越える「試練の経験値」が低いのかもしれませんね。
「努力も才能」といわれる所以も、このあたりにありますね。愚直に一徹にやり続けることで、とんでもないレベルになってしまう。棟方志功の原画の前に立つと、震えるような感動を覚えてしまうのは私だけではないと思います。
さて相談援助職で「達人」と感じる方はいるか…確実にいますね。そう感じさせる人は、一生懸命やっているなぁという印象でなく、「この人はちょっと違う」「独自の視点をもって切り込んでくるなぁ」「洞察力が深い。よく考えている」という微妙な違和感をもっていますね。
話していると「借り物」の考え方や喋りでない。厚労省の文書も世相も、オリジナルな発想で解読してしまう人というか。
では、達人は成功体験だけでつくられるのでしょうか。むしろ数えきれない失敗体験や後悔の体験をしてきている人だったりするのではないでしょうか? 常人と異なるのは、失敗にフタをすることなく、失敗から逃げずに直視し「学べる人」…それが達人といえる人なのでしょうね。
そういう意味で「失敗よありがとう」「苦情よありがとう」と言える人が達人なのでしょう。
月刊『ケアマネジャー』2009年6月号の特集「失敗から学ぼう」は、おなじみの先生方や現場で相談援助に携わる皆さんの「失敗の知恵」が溢れています。
共感できるのは、パート3「失敗を糧にした経験」です。皆さんの「身を切るような失敗談」はいずれも火を噴くほどの恥ずかしさや後悔の数々であり、惜しみなく紹介されています。
その一つひとつを、ベテランといわれる今でも「宝」のように大切にされ、いまもご自分の「矜持」とされている謙虚で真摯な姿勢に胸を打たれます。
苦労を糧にできる…すばらしい言葉ですね。
ムロさんの写メ日記
相模原市の地域包括支援センター職員現任研修「地域ケア体制の構築~地域ケア会議の組み立て方~」での演習の発表の様子です!
今回の研修会を準備された(向かって右から)大内美佐子さん(保健師)、喜早美和さん(社会福祉士)、鈴木恭子さん(保健師)のかしまし娘!(^^)!の皆さんです
わが事務所の前に「祭り提灯」が!そして通りを入ると、祭り袢纏のいなせな若衆と女衆が!!! 下町気質が新宿にもあるんですねぇ。うれしくなっちゃいました
東京都世田谷区のM下ケアマネジャーさんからの街の「おもしろ写メ」です。今回は歩道橋です。いやぁ、これはユニークですね。
「階段の上下に合っている、波打つ手摺りのデザインが素敵! 使ってみて、手の感触にも“握っている”実感があります」(M下ケアマネジャー)
今週のメールマガジン「元気いっぱい」第178号は「がんばって、がんばって」です。ケアタウン総合研究所の公式HPではバックナンバーまで見ることができます。
コメント
今週末前に3日間、一人の利用者さんに日に3回の訪問をして、在宅→ショートスティ→在宅の調整をしてグッタリしました。
「一歩進んで二歩下がる」調整でしたが、疲れながらもだんだん、その方の本音や環境が見えてきて、苦しいながらもなんだか楽しんでいる自分がいて…ちょっとうれしい限りです。
アドレナリン大放出され、勢い?で「何十年ぶりの東京」の研修に参加(ムロさんの)メールを送りました。
ケアマネの仕事が苦しくとも楽しいのは、なぜかな? と考えて見ることがあります。たぶん「好奇心がなにより先立つ」知りたがり家の性分からだからでしょうか?
苦労を糧に出来る…
なんて深い言葉なのでしょう。ついつい、苦労を恨んでしまう自分がいます。
「なんでこんな苦労をしないといけないのか」なんて、恨み節を口にしています。
いつもいつも前向きに元気にとは行きませんが、でもやっぱり、糧にできるように考え方をチエンジしていきたいものです☆
N.H サッポロのネコ派さんへ
アドレナリン全開の仕事ぶり、文面からよく伝わってきます。
「こうあればいいのに」という支援のイメージはあっても、利用者(家族)の事情や本人の意向を尊重すると「2歩下がる」ことが、苦渋の決断だったりすることはあると思います。
人生、暮らしを支えることの「正解のなさ」を、仕事のおもしろさとしてとらえられることは、柔らかさでありしなやかさだと思います。
人への興味が尽きないのも、私は相談援助職の大切な「才能」と思います。
東京セミナーで、アドレナリンいっぱいのネコ派さんにお会いするのを楽しみにしています。
Norikoさんへ
なんで私がこんな苦労を…ついつい漏れてしまう言葉ですね。小生も前職時代に、私のせいではないけれど、気がついたら責任をとらなくちゃいけない羽目にはめられていて(笑)、渋々やったこともありました。
でもそんなときは案外と冷静で事にあたれていたりするものなんですね。
苦労も考え方次第…大切なのは自分の中の納得感です。
ただ前世の悪い呪いがたたっている、なんてなるとまずいですけどね(^_^;)。
報われないときこそ、誰かに何かに「報いること」を優先してみてください。たぶん、それは朝の挨拶、「お疲れ様でした」の一言から始まるのかもしれません。
すると、何か道が開けてくるから驚きです!(^^)!。
「苦労を糧に」ですか…
介護の世界に入って2年目だった時、車いすからベッドへの移動時、フットレストに利用者さんのすねが当たり裂傷になったことがあります。
処置をした後「ごめんね」という私に、「私の足がいけんのよ」と一言。利用者さんに大きく育てていただいてると感じる出来事です。
今は兼務でケアマネにも携わっていますが、愚痴が多くなっている気がします。なかなかポジティブな気持ちになれない今日この頃です。
あーー まだまだ修行が足りないなー
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