美しい人
今日、朝の電車での珍事。3人掛けの椅子の端に座っていると、隣に35歳くらいの髪も乱れたOLが、ドンッと腰を下ろしました。走ってきたのでしょう。
「ふ~、ふ~、は~、は~」
荒い息が伝わってきます。すると、やおらバッグから道具? を取り出し、何が始まるのかと思えば、化粧を始めるではないですか!
横目でも十分視界に入ります。鏡に向かって肌に押し込むようにファンデーションを広げていきます。さらに眉を描き、シャドーを入れ、唇にルージュを引いて。
その時間、ほぼ10分程度でしたか。これをどう理解すればよいか、しばし戸惑った高室さんでした(^_^;)。
今回のタイトルが「美しい人」なのに、のっけから妙な例を出してしまいました。
さて今回は、「きれいな人」とはしませんでした。「きれい」は「綺麗」とも書きます。きれいな部屋というと「整頓された部屋」「飾りこまれた部屋」など人工的な匂いがします。だからきれいな人は、ある様式美? にのった顔立ちや服装を「評価」しているように思えるからです。
では、「美しい」とは? どのレベルなのでしょうか。美しい部屋というと、多少整頓はされていなくても、使いこまれた品々が整然と溶け込んでいる京の町屋を想像していただければ、私が伝えたい意図がおわかりいただけるのではないでしょうか。
ところが、世間でいわれる「美しさ」は、とてもうつろいやすいように思います。
まず、美しさの基準は時代によって移り変わるといわれます。たしかに、平安時代の細目の容姿と現代の「デカ目」メイクには相当な開きがありますね(^_^;)。それに、見る本人の価値観や好み(目が大きい、鼻が高いなど)によっても違いがあります。また、年齢によっても変わりますしね。
それに性差も。まず、美しいという用語は主に女性に使われがちですが、男性にも使ってもよいのではとも思います(決してオネエマンズに使いたいというわけでは、もちろんありませんがね)。
要するに、これまでの美の基準が「外見」重視なのかもしれません。でも「見た目の美しさ」という表現があるように、内面にもかかわり「美しく」なければならないという共通認識は、確かにあります。
数年前に「百歳万歳!」という写真集を見る機会がありました。全国の百歳を撮り続けた写真の数々です。どれももちろん幾重にも皺が刻まれ、けっしてきれい? という基準では語れないのですが、どの方にも「いとおしい輝き」がそこにありました。
その達観した微笑みを「美しい」と思ったのは私だけではないと思います。
「歳月」が美しさをつくる。
「歳月」によって美しくなる。
屋久島の杉たちには雄大さだけでなく、自然と時間がつくりあげる美しさがあります。
百歳だけではありません。いくつであろうと、その人の存在に「生きている輝き」を感じる時、私は「美しい」と素直に思えます。
ケアマネジャーのみなさんにも、そんなたくさんの出会いがあるのではないでしょうか?
ムロさんの写メ日記
ケアタウン総合研究所主催「超できる!文書と記録の上達術」〈4月11日(土))の様子です
3回シリーズの第1回目です。教室いっぱいの受講生のみなさんに「文章力判定実力テスト」(簡単なもの)にチャレンジしてもらっています
桜の梢の下の赤いポスト…いずれも引き立つ光景です
ケアタウンの公式HPをお願いしているY.Tさんが「よかったらいかがですか?」と事務所に届けてくれた「手作りケーキ」。バナナと胡桃の感触が心地よいしっかりとケーキです。スタッフみんなで「マイウ~!!!」と歓声を上げました!(^^)!
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