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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

人はどうして生きているのだろう?Part4

 さてこの「なぜ生きているのか?」という根本的な問いの答えも、実は分かっている。おそらくは「何でこの世に来たのかは、考えても分からないことだ」と言うのが答えだろう。まるで回文のようだし、禅問答のようでもある。

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 生きているから、とくに自殺する強い理由やきっかけもないままに、生きてしまっているだけだ。誰かを傷つけて加害しないと、生きることはできないとは分かっていても、命が惜しいから進んで死ぬようなことはない。人を傷つけながら生き続ける。できるだけ傷つけたくはないと思ってはいても、人を傷つけて生きる。だから逆に誰かから傷つけられることだって、日常的でありふれた話だ。全く理不尽なのだが、みんな心の中に傷のかさぶたをいっぱい持っているはずだ。じゅくじゅくに膿んだ傷が、苦しい人だっているのだろう。
 ぼくには思い詰めるほど、若く一途な気力もなくなった。統合失調症が寛解したことで、身軽になり過ぎ、ぼくの闘病の一生は終わってしまったような気がしている。だから余った命を生きている、余分の生を生きているような気がしている。幻聴が消えたことと引換えに、孤独感を感じているのかもしれない。どっちにしろ「損な病気だな」とは思う。孤独のよいところと言えば、相手に期待が少ないだけ、腹を立てることが減ることだろうか。余裕を維持できれば、トラブルだって楽しめる。
 前向きに生きている人が、とてもうらやましくも見えることもあるけれど、「老ける」あるいは「余生を過ごす」と言うのは、かなりこういう消極的な、死を待つモラトリアムなことなのかもしれない。
 歳をとって思うのは、精神年齢がだんだん下がってくると言うことだ。「老人になると子どもに戻る」とも言う。最近まるで中房の頃のような、「純情さ!?」と「バカっぽさ!」を持ち合わせるようになった。ぼくも順調に老いているように思う。さらにもっと歳をとったなら、赤ん坊にまで戻るのだろう。どんどん人の名前とか忘れてきている。ムゲンの人の名前を思い出せないこともある。性欲も落ちてきた。おじいちゃんやおばあちゃんが、汚物を壁に塗りたくったり、欲望のままにふるまう様子を、「老醜」と呼ぶのはあんまりだと思う。赤ん坊がおしめの中の汚物を踏んづけて遊ぶのと同じことなのに。
 歳をとると、自分の無力、無価値を思い知る。子どものように無力なバカになり、ワガママを言うしかなくなる。しかし「周りに無力なワガママをして、少しぐらいは現実に引っ掻き傷くらいはつけたいものだ」とも思う。美術館で、絵の具を塗りたくった油絵の絵の具を引っ掻いて、取ってみたいと思うのは、ぼくだけだろうか?

 死はすべての人に非情にも平等に訪れる。まるで地図上で道が行き止まって消えているように、歩んできた道から存在が消えてしまう。それは街の中の行き止まりなのか、山の中の行き止まりなのかは分からない。海中深く消えるのかもしれないし、宇宙のチリとなるのかもしれない。さて葬式やお墓参りは「死んだ人を悼む場」なのではなく、「自分が死の当事者でないことを確認して、安堵する場」なのかもしれないと思う。
 いや~、全くもってたそがれた、後ろ向きなぼくのうだうだ話に、年頭から付き合わせて、大変申し訳なかったとは思っている。最後は連想ゲームをしよう。
 「辰」と言って思い浮かぶのは、「立つ瀬がない」とか、マイナス思考だ。「経つ鳥跡を濁さず」とか、死んでしまいそうで。そうじゃなくって! そうそう「ムゲンが建つ!」のです。その建物が全貌を現すのは2月末です。「ぼくも理事長としてしゃんとしてやっていこう」と言いたいところですが、たぶん今までどおりに、今年もだらだらと過ごすことでありましょう。

 ということで「皆様方にあっても、今年がとてもよいことのいっぱいある年で、ありますように!」と願っています。


コメント


 佐野さんは、もともと情熱的な面を持つ性格の方なのだと思います。誰かを傷つけて加害しないと生きることはできない、というのは、情熱的でリーダーになれる人の発想のような気がします。私のように、根っからのおっとりさんで、リーダーのあとにくっついていくタイプの人間には、そういう発想はないです。でも、傷つけあうことが避けられないことだったとしても、いたわりあうこともできます。
 老人は確かに子供に戻りますね。昔、いじわるばあさんって、青島幸男がテレビでやっていました。私は小さくて記憶はおぼろげなのですが、たしか、さんざん人にちょっかいを出して、みんながあきれるようないたずらを繰り返しても、結局はどうしても憎めないばあさんというものだったと思います。ばかばかしいようで、奥の深い話しだと思います。老人になるのがこわくなくなるような気がします。ウィキペディアを見ると、原作は長谷川町子で、私立の中学入試になったことがあるようです。
 「ムゲンが建つ!」楽しみですね。ドーム型のしゃれた作業所は、日本中探してもほかにないでしょう。佐野さんのセンスの良さがうかがえます。


投稿者: 金太郎の妻 | 2012年01月26日 16:38

傷つけたな!しまった!とおもうのは人を怒らせたときです。口から出た言葉は取り戻せないし、あやまっても取り返せないです。本音を言うときには、本当に慎重になる必要があると感じています。でもとっさに出てしまうこともあります。
老人になると、かわいげがあると、愛されますね。敵を作ることにはやぶさかではないですが、身近な人からは好かれたい願望はあります。
新しいムゲンは、喫茶店が建つのですか?と聞かれることもあります。


投稿者: 佐野 | 2012年01月29日 12:44

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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