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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

人はどうして生きているのだろう?Part2

 今までずっとムゲンは手応えのある現実としてやってきたし、子どもにだって夜中にいつも起こされたりしながら、手応えのある現実として育児をした。しかしムゲンも子どもも、自分の手をほとんど離れている近頃は、自分の思いどおりにならない現実を、積極的に避けているような気がする。ムゲンで昼寝ばっかりしているのがその証拠だ。
 トラブルに出合うことにも慣れてしまって、「トラブルさん、いらっしゃ~い。ウェルカム、トラブルズ!」だ。別にお祭り男ではないし、やけくそになっているのでもない。その場を凌げれば、現実逃避して、トラブルを忘れられる術も身につけてしまった。面倒に慣れてしまって、かわしたり、切り替えたりが、じつに早くなった。
 「現実にこだわることがとても少なくなって、ロマンチックになった」と言えば聞こえはいいけれど、嫌なことを避け、現実逃避しているだけだろうとも思う。「逃げちゃダメだ!」(by Eva)
 人と出会っても、「人は別れるために出会うのだ」という冷えた確信も持ってもいる。「人との出会いに感謝!」などと素直にも喜んでいる人を見ると、「幸せな感性だなあ!」と思ってしまう。ぼくはたぶん疲れて、自分の中に引きこもっているのかもしれない。一人になれる時間がとても好きだ。一人の人と長く一緒にいると、無性に一人になりたくなる。でも一人になると、時に寂しい。自分は孤独の王国の王様だと感じるときもある。
 ぼくにはもともと発達障害があったのだが、「歳をとって子どもの精神年齢になって、発達成長する前に戻ってしまった結果、発達障害が強く出ているのかもしれない」とも思う。ぼくはずっと主観的なADHD型であって、客観的なアスペ型ではないことは、分かっている読者さんもいるだろう。

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 さて、自分は何しにこの世に来たのか? 今は、生きがいになる天職を見つけたり、生きる幸福を見つけたりできないでいる。過去には見つけたと思った頃もあった気もするが……。偶然、この世に生を受けてしまって、「何で生きているのか分からない」と思っている。「生きていても、もうこの世では何の役割もない」気がする。だから「お母さん。ぼくを産んでくれてありがとう」などとはとても思えない、バチ当たりなヤツでもある。親孝行を疑いなく信じている人がうらやましい。まあモラ母に虐待されて育った、成れの果てか、果ての成れか……。
 若くして死んだ知り合いも何人もいるし、親に堕ろされた赤ちゃんだって無数にいるのだろう。「胎児はまだ人ではない」という人だっているだろう。でも彼ら彼女らは生きていた。いったい何のためにこの世に生を受けたのか? 何しにこの世へやってきたのか?

(Part3に続く)

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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