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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

ムゲンはサービス業part3

 昔のムゲンでは「自立」について「病院や施設の悪」について、しばしば議論したものだった。気持ちも食事も何でも、みんなで共有する患者会でもあった。ムゲンの歩みは患者会に始まり、いまはサービス業へと変貌してきた。「施設臭さ」を嫌いながらも、立派に施設として進化して行った。大きな施設を持つ法人は県や市の役人の「天下り先」にもなっているとも聞く。法内施設とはこういうものだ。施設を批判して地域に設立したものが、23年の月日を経て、自分自身が地域で施設になった。ホントに皮肉な現実と言う他はない。ぼくが現役でいる間は、「決まりをなるべく作らない」とか「面倒な事態を拒絶したり、トラブルを恐れたりしない」とか「敷居を低く」とか「こちらからはなるべく関係を切らない」とか「効率性を重視しない」とか、ムゲンから施設臭を一つひとつツブしていくのが、ぼくの仕事だと思っている。そんなとき自分がいっぱいいっぱいだとまわりの人に厳しくなって、傷つく人もでるので、目一杯楽をして余裕をためようとも思う。「他の作業所でやっていけない人でも、ムゲンでならやっていける居場所」でありたい。

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 ずいぶん前に身体障害者の青い芝の会が施設を否定する運動を過激に展開したり、精神の業界でも反保安処分の闘いが繰り広げられた。当時これら障害者の運動への対応にずいぶん苦慮した福祉業界と政府も、今では反対勢力も法内に取り込んでしまうことに成功して、施設に闘いを挑む障害者などほとんどいなくなってしまった。しかし施設の持つ問題は今もなくなったわけではない。精神科病院は伝統的に入院している精神病者を固定資産として、儲けてきたけれど、退院政策で少し退院すると、空いたベッドには認知症高齢者を入れて、変わらず入院者を固定資産としている。あれほど反対運動の盛り上がった保安処分施設も、池田小事件であっさりと法律ができて、今ではしっかりと司法体制に組み込まれて運用されている。

 「施設ではなく地域で生活を!」というむかしから叫ばれてきた障害者運動のスローガンは、地域に施設を増やすことではなかったはずだが、若干施設の居心地がよくなってしまって、いまでは正面切って闘う障害者はいないのが現状だ。以前、一部身体障害者が施設を出て地域でアパート暮らしをするようになった影響で、施設側も入所者へのサービスに努めるようになり、施設の暮らし向きもずいぶんと良くなった。少しばかり障害者にやさしい民主党だって「障害者総合福祉法」ができるまで政権にいるのかどうかも分からないし、先立つものもないようだ。
 地域施設がぽこぽことできているが、かつての「施設から地域へ」というスローガンの中途半端な実現だ。山の中の施設で外出もままならなかった頃に比べれば、ずいぶんとよくなった。むかしは将来、当事者会、患者会が地域の中核になるはずだと思われていた。しかし現実に運営されている地域施設の多くは、専門家たちが設立して、専門家たちが主導している。「こんなはずじゃなかった!」と歯ぎしりしている障害者はマコトに少ないのも現実だ。多くの障害者は現状に順応して、何も語らなくなった。「就労支援にのって就労したい!」とも言っている。あるいは専門家主導のピアカンとかにも参加している。「これが新しい流れだ」と言われれば、どうしようもない。もちろん当事者会、患者会だって、ボスもいればトラブルメーカーもいたし、いまの地域施設でも同じだ。人が集まれば、争いと権力構造ができてしまうのは、ある意味仕方ないことだ。
 障害者のヘルパー制度も、高齢者の介護保険に合わせて、自然にできたものだと思っている人もいると思う。しかし身体障害者のアパートでの自立運動でボランティアで介護者を集めて、介護者が約束どおりに来ないで、車いすを汚物だらけにしたりしながら、介護保障を求め続けてきた、長い運動の成果なのだ。今の若い専門家たちはきっと知らないだとうけれど、弱者は声を上げ続けないと、自分たち向けの制度は、決して作られないものだ。

(Part4に続く)

コメント


 こんにちは。
 深い話ですね。昔の青い芝の会の人がバスの前にふさがってバスの乗車権利を勝ち取った話を聞いたことがあります。昔自助活動はマイナーでしたが、そのぶん、何か深いつながりと安心感があったようにも感じています。
 昔の身体障害を持っている人はひどい差別の中がんばって勝ち取っていった生活ですが、今は施設が病院に囲い込まれていって普通のアパートでの生活がしにくいところもあるのでしょうね。昔より制度が整ってきているのに、なぜ、昔のようなやり方を偲ぶ人がいるのかと思います。佐野さんならわかるんでしょうね。お嬢さんは施設からずっと離れて生活しているんですよね。
 昔佐野さんからお嬢さんの話を伺ったときにはわかりませんでしたが、佐野さんと波津子さんがとても苦労して今の生活を勝ち取って、そしてお嬢さんや息子さんを育んでいらしたのだと最近思います。波津子さんの写真をリリー賞の授賞式のときに拝見しましたが、佐野さんとお似合いだと思いました。佐野さんと波津子さんが苦労して作り上げたムゲンがこれからものんびりした居場所としてのよさを維持して、ムゲンらしくあってほしいと思います。ムゲンに一度行ってみたいと永年思っていますが、なかなか機会がなくて。
 佐野さんとも長い付き合いになってしまいましたが、佐野さんがなんだか最近疲れているようにときどき感じます。
 いろいろあるのでしょうが、昔ひろんさんやようこさんやいいちこさんと話していたときの佐野さんの勢いと言うか元気なヤンチャっぽい話をもう一度お聞きしたいです。
 佐野さんが精神保健福祉士をがんばって取ったのにもかかわらず、やめていった背景などももう一度今考えてみると頷ける気もします。起こった出来事も再度年月を経て振り返ると違う見方もできるとよく思います。今のこのブログや今起きていること、ここに今私が書いていることもきっとそうなんでしょうね。
佐野さんにはなかなかお会いできませんが、ネット越しに長いお付き合いをさせていただけたことに感謝します。
 またなかなか掲示板に書くこともできなくて、ご無沙汰していますが、みなさんお元気ならと思っています。元気になった方の話を聞くととても勇気付けられています。
 最近はなかなかお電話もできませんが、元気にいい年末になりますようにお祈り申し上げます。


投稿者: とも | 2011年11月21日 00:12

 ひろんさんやいいちこさんやようこさん、懐かしいですね。ぼくはお気に入りの女の子から酷い嫌われ方をしたりして、ずっと孤独を味わっていました。年が変わっても時々孤独です。なんかあらゆることから醒めた気持ちになって。どうでもいい、が口癖になって。疲れているかもしれません。でもストレスから再発しなかったのは、晩年寛解しているのだと思います。でもムゲンではギャグしか言わないです。ハイになって夢中になることもなく、どこかでいつも冷静になってしまいました。でも死ぬまでロックスピリットは忘れたくないです。
 娘はだいぶ言葉で感情が言えるようになりました。波津子が毎日2時間じっと話を聞き続けてきました。
 またお会いしましょう。


投稿者: 佐野 | 2011年11月21日 19:59

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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