ムゲンはサービス業part1
ムゲンが就労継続支援B型になって2年になる。メンバー間のトラブルはよくあるが、話を聞いて何とか解決しようとひたすら愚痴を聞く。もちろんメンバーと職員とのトラブルや、職員同士のトラブルだって起こる。自分がトラブルの当事者になることだってある。メンバー同士の対立で、両方に味方できないときには、しかたなく以前からいるメンバーの側に立つことがある。しかしぼくや職員に対立してしまったメンバーは、やり場のない怒りや攻撃を周りに向けて、ますますメンバーに傷が広がる場合もある。こちらが頭を下げて、攻撃をやめてもらうように謝罪をしたりもする。病者を敵に回した場合に、「病者の立場に立つ」とは、いったいどういうことだろうかと思う。しかしこちらにも限界があって、「人格障害!」などと思わずつぶやいて、ひたすら沈静化するのを待つことにもなる。こちらの全面敗北である。ムゲンの現実はけっして理想郷でも何でもない。
毎日お昼ご飯を作っている。もちろん「なるべく美味しいものを」と思って、予算とにらめっこしながら、スーパーの安売りをフル活用もしている。おかげでおおむねメンバーや職員に好評で、「美味しい」とよく言ってくれるし、楽しみにしてくれてもいる。朝早くにきて、作業したりして、お昼ご飯を楽しんで終われば、お昼で帰っていくメンバーも多い。
最近は長期入院していた病院から退院して、アパートからムゲンに通っている人もいる。アパート周辺の地理が分からないので、車で送り迎えをしている。遠くからバスで乗り継いできていた人も、車で送迎したりもしている。ひきこもりでなかなか出られない人の送迎もしている。送迎している人も毎日来るとは限らないので、運転手は雇わないで、職員が交代で車を出している。しかしせっかく退院しても、長期入院者は生活を楽しむすべを知らなかったりする。なるべく楽しみを引き出すように気を配ってはいるのだが。
ムゲンは10年前に援助金をもらうようになり、無認可作業所となった。いわゆる法外施設だ。法外ということは、行政も「お情けで援助してやっている。いつ援助金が切られても文句はいえない」ということだ。やがてNPO法人になり、地域活動支援センターになった。これでムゲンも自立支援法の法内施設となった。
援助金をもらえなかった頃から無認可作業所の時代には、ぼくと波津子がムゲンの世話係(無給だったから職員とは言えないだろう)だった。地域活動支援センターになって、デザイナーを1人入れて職員は3人になった。この頃から古着物をリサイクルして、洋服などの自主製品作りを始めた。やがて、織り機をまず2台入れて、裂き織り製品も作りはじめた。ぼくはこの頃、「居場所だし、そんなに働かなくてもいいのに」と思っていた。「生活保護だっていいじゃないか」とも思っていた。
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