ムゲンはサービス業part4
さて障害者の自立が真剣に議論された時代は、とりまく現実がとても過酷で、一部の障害者が清水の舞台から飛び降りるような決心をもって、行動的にならざるを得なかった時代だったのかもしれない。いまは地域施設やヘルパー制度や訪問看護も整備され、支援者の力が強くなって、相対的に障害者の力が弱まり、福祉業界も研修会を通じてリカバリーだとかアドヒアランスとか難しい言葉を普及させることが、重要な関心事になってきている。ぼくのような頭の古い人間には、専門家の開催する「研修会」や「フォーラム」ではなく、当事者の開催する「勉強会」や「抗議集会」がしっくりくる。「パレード」ではなく、「デモ」だよ! 「アウトリーチ」ではなく、「往診」だ。
ムゲンはサービス業part3
昔のムゲンでは「自立」について「病院や施設の悪」について、しばしば議論したものだった。気持ちも食事も何でも、みんなで共有する患者会でもあった。ムゲンの歩みは患者会に始まり、いまはサービス業へと変貌してきた。「施設臭さ」を嫌いながらも、立派に施設として進化して行った。大きな施設を持つ法人は県や市の役人の「天下り先」にもなっているとも聞く。法内施設とはこういうものだ。施設を批判して地域に設立したものが、23年の月日を経て、自分自身が地域で施設になった。ホントに皮肉な現実と言う他はない。ぼくが現役でいる間は、「決まりをなるべく作らない」とか「面倒な事態を拒絶したり、トラブルを恐れたりしない」とか「敷居を低く」とか「こちらからはなるべく関係を切らない」とか「効率性を重視しない」とか、ムゲンから施設臭を一つひとつツブしていくのが、ぼくの仕事だと思っている。そんなとき自分がいっぱいいっぱいだとまわりの人に厳しくなって、傷つく人もでるので、目一杯楽をして余裕をためようとも思う。「他の作業所でやっていけない人でも、ムゲンでならやっていける居場所」でありたい。
ムゲンはサービス業part2
そしてムゲンは、就労継続支援B型になった。A型じゃないのは、A型はメンバーに最低賃金を出さないといけないからだ。「最低賃金をもらえるほうがいいんじゃないか?」と思うかもしれない。しかし最賃を出すために、A型ではメンバーは2時間だけ来る、4時間だけ来る、という勤務になり、来ている間は必死に稼がないといけない。
ムゲンの設立当時の目標は「誰もが好きなときに来れて、好きなだけ交流して、好きなときに帰れる、当事者設立の作業所」だった。A型では短時間勤務や在宅勤務になって、メンバー同士ゆったりと交流ができないのだ。作業所でだらだらとできない。もちろん働いた分のお金に対しては、たとえ最低賃金を守れなくても、それなりにきっちりと保証もしたい。だから就労支援を掲げながら、だらだらしてもかまわない施設として、B型にした。一見矛盾する要求を同時に満たすことが、現在のムゲンの目標であり、微妙なバランスだ。しかし生活保護で暮らしていても、できるだけムゲンで働いて給与をもらって、生活保護額の方を一部返還している人だっている。働くことが一つのプライドになっているのかもしれない。
ムゲンはサービス業part1
ムゲンが就労継続支援B型になって2年になる。メンバー間のトラブルはよくあるが、話を聞いて何とか解決しようとひたすら愚痴を聞く。もちろんメンバーと職員とのトラブルや、職員同士のトラブルだって起こる。自分がトラブルの当事者になることだってある。メンバー同士の対立で、両方に味方できないときには、しかたなく以前からいるメンバーの側に立つことがある。しかしぼくや職員に対立してしまったメンバーは、やり場のない怒りや攻撃を周りに向けて、ますますメンバーに傷が広がる場合もある。こちらが頭を下げて、攻撃をやめてもらうように謝罪をしたりもする。病者を敵に回した場合に、「病者の立場に立つ」とは、いったいどういうことだろうかと思う。しかしこちらにも限界があって、「人格障害!」などと思わずつぶやいて、ひたすら沈静化するのを待つことにもなる。こちらの全面敗北である。ムゲンの現実はけっして理想郷でも何でもない。