理由なき反抗part2
クリスちゃんとぼくは丸イスに座って、冷たい麦茶をごくごくと飲んでいる。
ばび「さてぼくの若い頃には学生運動というものがあったんです。ぼくも18歳で東京に出て行ったときには、目を見張り、機動隊への投石に加わったんです。他のデモの参加者から「もっと大きな石を投げろ!」と注意されて、拳より大きな石を拾って、思いきり投げたものです。機動隊からは石が当たって、ゴツッという音と、反動でひるむ姿が見えていたよ。相手は完全防備だから、イタくないんだろうけれどね。三里塚へも行ったし、何度か知り合いの活動家からセクトへのお誘いがあった。オルグって言うんだけれどね。オルグって「オーガニゼーション(組織化)」のことで、活動家と差し向かいで、何時間も説得を受けるんだ。公安のスパイが潜り込むこともあったから、オルグのときにはセクトの人間も慎重だったよ。弾圧を繰り返す既成権力と戦うために、反抗する側のセクトも組織化をして小権力だった訳ですよ。既成の社会組織のハグルマになるのがイヤで、反抗していたのだから、セクトの一員になることにも抵抗があった。いろいろな組織からお誘いがあったけれど、結局どの組織からのオルグも断ったよ」
クリスちゃん「ふ〜ん。な~るほど」
ばび「活動家の生活は「滅私奉公」というか自分の時間もないほど、セクトという組織のハグルマに見えたから、そういうのには入って行けなかった。その緊張感はまるで戦争中だったのに、今にして思えば、セクトの本部はなんだか子どものときの基地ごっこのようだった。活動家はかわりばんこに、自炊をしながら24時間、本部の防衛に当たる。子どものときの泥だんごの代わりに、鉄パイプが置いてある。ぼくの若い頃にはすでに内ゲバの時代になっていて、セクトの活動家は他のセクトから襲撃を受けて命を狙われている状態だったから、恐ろしかったよ。ぼくは臨戦態勢の緊張感にもとても耐えられないと思ったよ。叛旗派の集会に行くと、「今日は戦旗派と竹竿でやりあうから!」といきなり言われて、「え、なんで?」と問い返すこともできなかったよ。ホントの敵権力と戦わずに、味方と戦う理不尽に思えたんだ。大学ごとにセクトの縄張りがあって、他のセクトの大学ではビラ配りもできなかったし、敷地内にも入れなかった。面が割れていたらぼこぼこにされるからね。むかし「理由なき反抗」というジェームズ・ディーンの映画があったけれど、映画で描かれたチキンレース、あれ一種の内ゲバだよ。ヤクザ同士の抗争みたいな。まあぼくは発病することによって親の敷いたレールから完璧に外れてしまったけれど、発病前には、親の敷いたレールに反抗ばかりしていたのですよ」
クリスちゃん「ふ~……。なんかそう言う青春もあったのですね。想像できないです」
ばび「セクトの活動家にせよ、イギリスの暴動を起こしたワルにせよ、怒りの底には「傷つき」があります。挫折感というか。理不尽に傷ついた怒りをどこに向けていいのか分からない。希望も夢もなくしても、生き続けるしかないんだよね。でも生きてさえいれば、楽しいことだってあるし」
クリスちゃん「そうかもしれません」
ばび「ま、実際人生なにやってもアリだよ。たとえどんなに社会的に許されない犯罪行為をおこなっても、共同体から追放されても。息苦しく辛い刑務所や精神科病院での暮らしだって、何かいいことも見いださないとやっていけないよ」
クリスちゃん「……」
ばび「でも自分が犯罪行為をやったとして、相手が傷つきトラウマを抱えてしまうことがあれば、またその被害者はその理不尽に怒り、行動を起こすかもしれない。そしてまた傷つく人が出る。人生は複雑に絡み合って負の連鎖を繰り返すのですよ……」
どよーんとした空気の中、クリスちゃんは黙ったまま、エンジェルフィッシュの赤ちゃんの水槽の方を、ぼんやりと見ていた。ばびは「それじゃまた来ま〜す」と努めて明るく言って、丸イスから「よいしょっ」と立ちあがって外に出た。タバコを出して火をつけると、入道雲が広がっていた。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。