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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

孤独を生ききるpart4

 本の話に戻る。サルトルと言えば、僕らの世代には「知性の代表」として光り輝いていたけれど、今の若い人たちにはあまり知られていないかもしれない。アンガージュマン(政治参加)を唱えて、パリ5月革命に大きな影響も与えた。ぼくは高校時代にサルトルの「嘔吐」という著書に挑戦したけれど難しくて全く読めなかった記憶がある。
 同時に「第二の性」でフェミニズムの立場から「女性は社会的に作られる」と主張したボーヴォワールも、サルトルとの、お互いの性的自由も許した、籍を入れない結婚を一生貫いた。今の若い女性はとても結婚願望が強いようだが、僕らの世代には、理想的なカップルの形として、憧れていていた人たちは多い。 
 ぼくたちも息子ができてからも、実は籍を入れていなかった。籍を入れたのは、「ぼくが思い詰めた末」としか言いようがない。波津子は「どちらでもいい」と言っていたから。
 サルトルが66歳で最初の発作を起こしてから、レストランで失禁してしまう話や、ボーヴォワールの部屋でも失禁して肘掛けイスにしみをつけた話などを、ボーヴォワールは冷静に自身の著書に記している。

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 寂聴さんはサルトルが61歳のときに来日した際、座談会で二人(サルトルとボーヴォワール)と話をしている。ボーヴォワールはその頃、フランスで重罪だった堕胎について、「『産まない権利』のために戦っていたことを積極的に話していた」と寂聴さんは語る。
 もちろん産むか産まないは、国家が法律で決めるべきことではなく、女性に全権を委ねられるべきだが、判断の権利を手に入れた女性にはぜひお願いしたい。どんな赤ちゃんであれ産まれる前に殺さないでほしい。その後たとえ虐待されたとしても“生きる”ということが大切だと思う。

 さて老いたサルトルは尿失禁を十分に自覚していた。サルトルも無神論者だったから、自分の意志だけをたよりに、運命を受け入れなければなかった。障害の受容という深い諦めだ。さらにサルトルはボケて、いつも面倒を見てもらっているボーヴォワールのことが分からなくなって、目も見えなくなり、傾眠も始まった。かつての知の巨人もここまでになって、やがて亡くなった。
 その後冷静だったボーヴォワールもすっかり堪えて、病人になって6年後に亡くなった。
 ぼく自身も例えばムゲンからの引退とか、何が引き金になってボケたりするのか、尿失禁が始まるのか、車いす生活になるのか、全く分からない。人生、一寸先は闇である。

(part5へ続く)


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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