孤独を生ききるpart5
田山花袋という明治生まれの私小説の作家がいる。「布団」という作品をぼくは読んでいないのだが、そのうちに読もうと思っている。何しろぼくのうちには積読している本が10冊以上あるのだ。おまけに遅読だ。青空文庫にも出ているようだ。ウィキペディアによると「布団」は、女性の弟子をとった中年作家が弟子に去られたあと、女性の弟子の寝ていた布団に顔をうずめて匂いを嗅ぎ、泣くというストーリーのようだ。
孤独を生ききるpart4
本の話に戻る。サルトルと言えば、僕らの世代には「知性の代表」として光り輝いていたけれど、今の若い人たちにはあまり知られていないかもしれない。アンガージュマン(政治参加)を唱えて、パリ5月革命に大きな影響も与えた。ぼくは高校時代にサルトルの「嘔吐」という著書に挑戦したけれど難しくて全く読めなかった記憶がある。
同時に「第二の性」でフェミニズムの立場から「女性は社会的に作られる」と主張したボーヴォワールも、サルトルとの、お互いの性的自由も許した、籍を入れない結婚を一生貫いた。今の若い女性はとても結婚願望が強いようだが、僕らの世代には、理想的なカップルの形として、憧れていていた人たちは多い。
ぼくたちも息子ができてからも、実は籍を入れていなかった。籍を入れたのは、「ぼくが思い詰めた末」としか言いようがない。波津子は「どちらでもいい」と言っていたから。
サルトルが66歳で最初の発作を起こしてから、レストランで失禁してしまう話や、ボーヴォワールの部屋でも失禁して肘掛けイスにしみをつけた話などを、ボーヴォワールは冷静に自身の著書に記している。
フクシマ
愛媛県でも原発事故がニュースになる。輸出した愛媛県産のシソから、シンガポールで放射性物質が検出された。知事はカメラの前で「他県のシソが混入していた」と言った。「他県」と何度も繰り返すので、気になっていたら、ネットで「福島県産」だと分かった。どうせあとでバレるならあっさりと「福島県産」だと言えばいいのに。言えば知事は正直者というプラス評価になったのに。
また4月6日には愛媛県で、大気中からセシウムが検出された。政府はデータを出さないけれど、ドイツの気象局発表のデータで放射能は沖縄までも飛んでいることが分かっている。
日本は、世界に誇るSPEEDIという緊急時に放射能の広がりを予測するシステムを持っている。枝野さんが一度だけ公表したが、その後は発表されていない。ちっともスピーディじゃないと言われている。細かな地点の予測は困難だということだが、それ以上に政府がためらっているのは、パニックを恐れてのことだろう。しかしここまでくれば、ほとんどの国民も腹をくくっていると思う。政府は国民を信用しなさすぎだろう。がんの告知にも似ている。家族はがん告知を本人にするかどうか悩む。しかし告知を受けた本人はおおむね、告知を受けなかった場合より、よりよい生き方をすると言われている。
欲しがりません、勝つまでは
東京都の石原都知事は東日本大震災発生後、「今頃、花見じゃない。過去の戦争のときにはみんな自分を抑え、こらえた。あのときの日本人の連帯感は美しい」などと語った。この災害を利用して、彼の好きな滅私奉公、民族主義を鼓舞したいようだ。花見でもうけて、生計を成り立たせている、小さな酒屋や弁当屋の姿は、彼には見えていないようだ。
またこの間、テレビでは「た〜のし〜い♪ な〜かま〜が♪ ぽぽぽぽ〜ん♪」というCMを公共広告機構が流し続けた。耳につくCMだが「ぽぽぽぽぽ〜ん」というのが、1号炉から4号炉までが順に水素爆発する様を連想させると言うのを聞いて、思わず笑ってしまった。緊張も限界を越すと笑うしかないのかもしれない。