巨大地震、みなさん大丈夫ですか?
3月11日の朝、リリー賞の授賞式に審査員として、出席するために、飛行機で東京に行った。東京駅側のビルが会場だった。今年の受賞はグループが岡山マインド「こころ」さんが、個人は榎田伸也さんが受賞した。岡山マインド「こころ」さんは、ビールの醸造機をいれて、当事者のビール職人を養成することが評価された。榎田さんは、いろはカルタとJRの障害者割引の運動を続けていることが評価された。
リリー賞授賞式は午後の1時間で終わり、続いて研修会が始まった。その途中だ。1分以上にわたって、ぐらぐらとビルが揺れた。窓の外では、線路上にJRの電車が停車していた。これはただ事ではないと思って、一緒に来ていた波津子と荷物をまとめて、会場を後にした。会場では研修会が再開されていた。
その夜は箱根のホテルを予約していたので、とにかく東京駅まで歩いて行った。電車は全面的に止まっていた。小田急線の出ている新宿に出ないといけないので、タクシーを探したが、なかなか捕まらない。周りには、途方に暮れて道に座っている人たちで一杯だった。波津子がずっと手をあげ続けていると、目の前でお客を降ろすために一台のタクシーが止まった。「やったー」と乗り込んだ。道も一杯で新宿まで3時間くらいかかった。途中、たくさんの人たちが、とにかく歩き続けていた。タクシーは止められて、相乗りを頼まれもしたが、反対方向だったりした。新宿に入るとこんどは「身内が上野の病院に運ばれた」という人が相乗りして来た。新宿西口でぼくたちは降りたが、小田急線の復旧は望めないので、「とにかく泊まるところを探そう」と、目の前のサンルートプラザホテルに飛び込んだ。ロビーには数百人の人があふれていた。もちろんみんな泊まれるあてはない。「まあ、ここなら追い出されることもないだろう」と、ロビーで夜明かしする覚悟を決めた。それで自分たちの座れる椅子を確保した。
本当に電気が止まらなくてよかった。照明と暖房が点いている。トイレと喫煙室もある。近くの牛丼屋で夕食の牛丼を確保しようと並んだ。マックとともに牛丼屋には、帰宅難民たちのすごい数の人が並んでいた。もちろんコンビニには食べ物はなく、飲み物しか残っていなかった。牛丼は1時間くらい並んで、入手できた。ホテルの椅子にすわって、牛丼を食べた。いかにも汁を水で薄めた味だったが、こんなときに暖かいご飯にありつけることに、涙ぐんでしまった。波津子は、携帯で連絡をとろうとしているが、まったくつながらなかった。
ぼくのiPhoneはネットにもつながらなくなった。メールだけがときどき通じた。ホテルの固定電話には長蛇の列ができている。
ホテルが、娯楽室を開放して、水と珈琲とテレビを用意した。これで多くの人が座れるようになった。しかし、大理石の床や階段に新聞を敷いて、横になっている人が圧倒的に多い。戦争での難民の群れとはこんなものだと思った。JRが今夜いっぱい止まることを、テレビが発表したときには、一斉に落胆の声が上がった。携帯の充電器の貸し借りが、あちこちで行われていた。
ぼくはいつもの夜の薬を飲んで、ボストンバッグを横にして立てて、足を乗せて、椅子で寝の体勢に入った。夜中過ぎに小田急線が復旧して、人が殺到していることが伝えられた。とにかく朝まで寝ようと、1時間くらい眠った。
みんなざわざわと話し込んでいたが、パニクっている人はいなかった。眠っている人は少なかった。余震が何度かあった。
5時前になって、「よし、小田急の駅に行ってみよう」とホテルを出た。駅は人であふれていた。ロマンスカーの予約券を解約して、とにかく来た急行に乗った。ぎゅうぎゅう詰めで、ずっと立っていた。町田でトイレが我慢できなくなって、降りた。やっと携帯が通じて、箱根のホテルと連絡がとれた。「とにかく来れるところまで来てくれ」とのこと。次に来た各駅停車に乗って、やっと小田原に着いた。さて小田原からホテルのある箱根湯本までは、登山列車だが、ちょうど登山列車が復旧したとのこと。やっと箱根湯本に着いた。ロマンスカーなら新宿から箱根湯本までふだんは1時間半だが、4時間近くかかった。駅前でタクシーに乗って、ホテルに向かった。ホテルに着いて、午後まで寝続けた。あとは1泊して予約したとおりに飛行機で、松山まで帰れた。
波津子は予約をキャンセルして、一刻も早く帰りたがったが、あとは余震だけだろうし、原発もみんな逃げられないわけだから、落ちついたほうがいいと、キャンセルはしなかった。
さて授賞式に来ていた、東京より北に帰る人たちはまだ、今も多く帰れていないのだろうと思う。テレビでは、被災地での障害者や精神科病院の情報が、いっこうに報道されないことに不安を感じている。
《以下、お知らせ》
☆被災地の精神科病院の情報を求めています☆
http://assertivecommunitytreatment.jp/ph/
地震情報のなかで精神科病院の情報が皆無です。閉鎖病棟がある病院も多くあります。
人手の少ない精神科病院で避難がどのように行われているのか全く不明です。何らかの手立てが必要です。
被災地域の精神科病院の状況を把握し、関連機関で共有することが急務です。
どうかこのページを多くの人と共有してください。
特定非営利活動法人 地域精神保健福祉機構(コンボ)
http://comhbo.net
〒272-0031
千葉県市川市平田3-5-1 トノックスビル2F
TEL 047-320-3870 FAX 047-320-3871
info@comhbo.net
コンボお知らせメール便 担当:宇田川健
コメント
生々しいですね、その時々の状況判断と、行動の重要性が文面から読み取れました。東京を直撃していたらと考えると、なおさら引き締まる思いです。神奈川では、いまのところ、生活物資が品薄なものの、精神科の処方薬はあるようです。
とにかく、冷静さを失わないで、浮き足立ったりしないことだと強く感じました。松山だって、南海大地震はかなりの確率でくるといわれています。関西と北海道が稼働して、助けることだと思います。
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障害者救援本部です。
特設サイト
http://shinsai-syougaisya.blogspot.com/
なお、本部はJIL事務局内に開設予定ですが、専用回線、口座の開設のほか、
専従の人材の確保等、本格的可動までには数日を要するため、
当面は大阪の「ゆめ風基金」の方で、問い合わせ対応を担っていただくことに
なっています。
賛同団体の皆さんにお願いしたいことは、以下になります。
①被災した障害者団体の復興のために、募金活動をお願いします!
みなさんの地元で街頭募金や寄付活動をとり組んでください。
⇒寄付金は、まずは「ゆめ風基金」、「DPI」へ!・・・チラシ、HPをご参照
救援本部の口座は来週中には開設予定です!・・・開設次第、公表します!
②救援本部ならびに現地活動スタッフを緊急募集!
⇒被災地に入って支援活動をしてくださるスタッフ
八王子の緊急本部活動スタッフを募集します!
被災地に「被災地障害者センター」を数カ所設ける計画です。
ここで、介助や事務所の運営などいろんな活動をしてくださる方などを募集し
ます。
ある程度まとまった期間(数ヶ月)働ける人です。
そういう人がいらっしゃったら、ぜひ、ご連絡ください。
PTSDをふせぐ。
http://archive.mag2.com/0000235312/index.html
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