ホントウのものとニセモノpart5
ばび「さてヒトの社会にホントウに正しいことなんか、どこにもないというのがぼくの自論です。比較して、より正しいかどうかです。少しでもましかどうかということですね」
ふーさん「確かにそうかもしれん」
ばび「強いて言えば、欲望のままに自分が幸せに暮らせれば、それでぼくは満足です。エゴの奴隷です。他のみんなだってそんな自分と地続きだろう、たいして違いなどないだろうという確信が、ぼくにはあります。人生の終わりに『楽しかった』と言って死ねれば、それだけで本望です。骨も何も残らなくていいです」
ふーさん「はっはっは! みんな煩悩の塊だしな。まったくそのとおりじゃ。楽しまないと人生じゃない。ビートたけしだかがテレビで、『人生とはもともとつまらないものだ。だからせめて楽しく過ごそう』って言っていたぞ。でも骨くらいは家族と同じ墓には入りたいもんじゃな」
ばび「なーるほど、もっともですね。『天才は1%の才能と99%の努力だ』とばかりに、いま世界と格闘して、頑張っている人たちもいます。ぼくが言っている内容は、そんな人たちから見れば、単なる頭でっかちな、現実に負け続けて戦う気力をなくし、ファンタジーの世界に引きこもってしまった、負け犬の遠吠えにしか聞こえないと思います。『お前がニセモノだから、みんなニセモノに見えるのだろう』『口ばっかりで、試行錯誤を繰り返して技術を身につけた職人にもなれないし、自信家の戦う男にもなれない』という声が聞こえてきそうです」
ふーさん「それは幻聴だよ、幻聴! 職人さんなんて10代ぐらいで入門してなきゃダメだろう。それにそんな戦う男なんてのも滅多にいるもんじゃないし。オレだって負け犬のひとりじゃな」
ばび「もちろん。そして今日言ったことは、ぼくというニセモノの言ったことだから、ぜ〜んぶニセモノですよ」
ふーさん「ぶぁ〜っはっはっはっは」
ばび「統合失調症の妄想の世界にいるヒトを、まわりのヒトたちは『それはニセモノだ』と説得しようとするけれど、まわりのヒトの住んでいる世界だって、実はニセモノなんです。まわりのヒトが本物だと信じているものは、実は中身のないニセモノなんです。目くそ鼻くそなんです」
ふーさん「中身がない! わ~っはっはっは」
ぼくもふーさんもしばらく笑い転げた。
ふーさん「あぁ、きょうは楽しかったな」
ばび「体も十分に暖まったことだし、そろそろお開きとしますか」
ふーさん「そうするか」
ふーさんは汚れたスニーカーを、ぼくはサンダルを履くと、二人そろってよろよろとトイレに歩いていった。
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