少数派であること(part3)
冷や奴が3皿とビールが運ばれてきた。クリスちゃんは相変わらずホッピーを、ぼくは焼酎をちびりちびりやっている。
ふーさん「豆腐をショウガ醤油で食べると、本当にうまいな。豆腐を作った先祖に感謝!」
クリスちゃん「わたしもお豆腐、超好きです」
「冷たくておいしいですね。ところでさっきのお話ですが、少数派と居直ることで強く生きている場合も多いです。孤独だった少数者が自分と同じ少数者との出会いを分かち合い、絆になる時期があることも知ったし、満たされて、卒業していくことも知りました」
ふーさん「そういえば、君は昔、患者会を立ち上げてから、作業所を作ったんじゃったな」
クリスちゃん「たしか20年前とか」
「そうです。ぼくがまだ30代の頃立ち上げました。こんなにぼくが少数派にこだわるのは、やっぱりどこか孤独なところがあるんだと思います」
ふーさん「誰でも多かれ少なかれ、子どもも大人もみな孤独じゃがの」
クリスちゃん「わたしは孤独というか、『さみしい〜!』ってしょっちゅう感じます。結婚したらさぞ幸せだろうなあ!」
「そうかなあ。結婚しても、残念ですが普通は厳しい現実の前に、次第に寂しさは戻ってきますよ。ぼく自身は小さいときからの親の虐待によって、人間関係に対する基本的信頼感の育ちが未熟なためかもしれないと思っています。基本的に血のつながりも信じていなくて、親戚付き合いなどもほとんどしていないです」
ふーさん「確かに親戚付き合いはとても面倒くさい。年中行事など放っておいてくれればいいのに。親戚付き合いなども、先ほどの多数派意識のなせる技だろうて」
クリスちゃん「わたしも親戚って超苦手〜! 法事とか超退屈!」
「でも、誰だって多数派でいたいものでしょう。それでも少数派で生きようと思うときには自分の支えとして、多数派に拮抗できる自分なりの生活史、強いストーリーが必要だと思うんです。ぼくのもそうですが、ネットには告白調のブログが数多く存在しているけれど、書くことによって自分史ストーリーをどんどん強固に構築していって、多数派に対抗できるようになることが、結局自分語りの目的だろうと思っています」
ふーさん「うーん、自分語り。ネットの普及で確かに流行っておるようだなあ」
クリスちゃん「わたしが不登校だった時代には、『何で自分だけ学校に行けないのか?』と、自分を責めてぐるぐるでした。日記には苦しさてんこ盛りです」
「なるほど。まだ若いと自分史を書くどころじゃないよね。障害者の場合は就労の有無にかかわらず、自分の中で自分史が構築されて、初めて少数派として『自立』できるのだと思います」
ふーさん「それは一種の『思い込み』だな。でもみんなかなり思い込みだけで生きているようなもんだけれど。確か、『誰でも一生に一度、自分を主人公にした小説が書ける』って聞いたことあるなあ」
「過去って、思い出すたびに少しずつ記憶が書き換えられていくって聞いたこともあります」
クリスちゃん「そうそう。思い出って、よいことのほうが残っていますね。幼稚園の頃とか楽しいことばっかりだったとか」
ふーさん「ふ〜む。思い出は美しすぎて、か…」
「でも、年を取っていき『認知症』にもなって、記憶や思い出は徐々に消えていく」
ふーさん「わしも後何年生きられるのかなあ…」
クリスちゃん「何言ってるんですか! おふたりともまだ全然お若いじゃないですか!」
「クリスちゃんがそう言ってくれるとうれしいなあ」
ふーさん「まったくそうじゃな」
ふーさんは残っていたビールを一気に飲み干した。「お兄さん! ビールもう一杯!」
コメント
私も自分史、書いてみようかなぁ。でも、過去を振り返るのって、つらいことも思い出さなきゃならないから…。というか、つらいことばかり浮かんできそうで、怖い。「過去は過去。今を楽しくのんびり生きよう!」の方が好きだなぁ。ビール、飲みたくなってきました。
ぼくも晩酌にコップ一杯の焼酎の水割りを毎日飲んでいます。
辛いことでも書いて、人に読んでもらうと、客観視できて、気持ちが楽になることってあります。
もちろん生きているのは、現在しかありませんから、今をいかに機嫌良く過ごせるかが一番大切なんだと思います。
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