少数派であること(part2)
前回から引き続き、居酒屋でふーさんとクリスちゃんと盛り上がっています。
「ぼくも納得するまでやってしまうから、仕事は遅いよなあ」
クリスちゃん「そうなんです! 私も自分が納得できるところまでしないと気持ちが悪くて」
「ぼくは30歳のときにプログラマーのきつい仕事の末、統合失調症が再発して1年間入院することになって、多数派になることを諦め、積極的に病者であることを認めて生きようと、そのとき障害年金を取得しました」
ふーさん「ほう。病気であることと、病気を自分で認めることとは違うのか?」
「違いますね。調子のいいときには健常者並みに働けますから。そして自分で障害を認めると、それまでの多数派の中にいたいという気持ちの裏側に貼りついていた他人、多数派へのコンプレックスがまったく消えてしまった。マイペースでいいんだって」
ふーさん「多数派に入りたい自分の中の同調圧力に屈せず、少数派であることを受け入れて、はじめて豊かな人生を送れるのだな。わしなど会社をリストラされて熱帯魚の道に入ったときに、『趣味で、好きなことで食っていけるのか?』と、とっても不安で孤独だったよ」
クリスちゃん「わたしも、以前は将来の仕事について考えると不安の塊だったですぅ」
「『自分は少数派だ』と居直って暮らしていると、世間の人はみんなどこかしら少数派意識をもっていて、多数派だと自分で思っている人なんてどこにもいないんじゃないかと気づきました。みんなどこかで病気したり不幸になったりして、いつしか少数派へと転落している」
ふーさん「そうそう、実は世間というものは、少数派という弱点をもった、時として孤独な人たちの寄せ集めじゃよ」
クリスちゃん「結婚して子どもがいても孤独を感じるんですかぁ?」
ふーさん「そうじゃな。うっとうしいときもあれば寂しいときもある」
クリスちゃん「なんか夢がないなあ…」
ふーさん「誰でも死ぬときにゃひとりじゃからなあ。付き合ってくれる人なんかいやしない。寂しいもんじゃ」
「だから今夜は盛り上がりましょう!」
クリスちゃん「気分を変えて!」
ふーさん「クリスちゃんは自分の娘のごとくにかわいいぞ!」
クリスちゃん「ビール、もう一杯お願いしま〜すっ!」
「それから冷や奴、みっつね!」
(part3に続く)
コメント
ふーさんの「そうそう、実は世間というものは、少数派という弱点をもった、時として孤独な人たちの寄せ集めじゃよ」という言葉に共感しました。
「そうなんだよね、まったり、ゆったり暮らせばいいじゃん」って、思うのだけど、現実には、そうできずに無茶苦茶もがいている自分がいるのです。どうしても頑張っちゃって、「ストレスぅ、こっちにおいでよぅ」みたいな生き方になってしまうのです。心に余裕を持つのって難しいです。遊び心が足りないのかなぁ。
世間には真面目な人の方が圧倒的に多いですから、よっぽど心がけないと、手をぬいて、さぼってということは難しいことでしょう。ただでさえストレスは向こうからやってきますから、自分に優しくならないと、ストレスがたまっちゃいますね。完璧を目指すなんて、とても人間わざとは思えませんね。ぼちぼちでいいとおもいますよ。それほど、自分もみんなも大したことありませんから。
遊び心というのも、余裕ができると、自然についてきます。真面目に生きていると難しいのが、まずは自分のことを、笑えることですね。ダメな自分って思ったら、悩みこまずに笑ってみてください。ぼくも昔は生真面目だったので、気持ちはよく分かりますよ。
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