卒業(part2)
クリスちゃんは、先ほどから仕事の手を休め、ぼくの話に聞き入っている。
「人によって違うけれど、数年経つと自然にムゲンから足が遠のくことをぼくたちは『卒業』と呼んでいます。しかしムゲンとまったく縁が切れるのではなく、月に一回発行する次の月の行事予定表の発送で、つながっていたりする。来る予定はなくても、『予定表だけは送ってくれ』という元メンバーが何人もいます。今は来ていない20名くらいに送っています」
クリスちゃん「そうなんですか〜」
「来ようと思えば、いつでも来れる。縁が切れたわけではない、という関係が大切なんだと思うよ」
クリスちゃん「うちの会でも、まったく来なくなる人もいますが、たまの大きな行事にだけ来てくれる先輩もいますね」
「自助グループに入ったばかりのときには、依存して癒されて、また傷つけ合ったりしてすっかり馴染んでいても、ある日『行くのが面倒くさい。どうでもいい』と思うようになる時期が来るようです。これが卒業の時期なのだと思います。それでグループから自然と去っていって連絡もとれなくなる人もいれば、留まって後輩の世話役に回る人もいます。似ていて思い出すのが、精神科に入院したときの退院の時期の見定め方です。病棟が『退屈になる』のが退院の時期です。病状が悪く余裕がないときには退屈しません」
クリスちゃん「そうですか。入院していたことがあるとは聞いてましたが」
「誰にでも『孤立の疲れを癒すべき時期』というものはあります。十分甘えたらいい。卒業の時期が来れば、自然に次のステップへと進むことができると思います」
クリスちゃん「『デュラララ!!』というアニメで、『世界はあなたが考えているほどひどくないから』というセリフがあるって、オレンジの先輩から聞いたのですが、最近就職して、『なるほどなあ』と実感することがあります」
「はあはあ、なるほど。外は、とても出て行けないほど、ずいぶんひどい世界だと思っていた時期があったのですね」
クリスちゃん「不安で絶望的でしたね。いまでもときどき怖さは感じますが」
「それが人に言えるようにまでなったのですね。ひきこもりからの『卒業』ですかね?」
クリスちゃん「わからないけれど。そうそう『卒業』と言えば、昔の映画でありますよね。DVDで見たことあります」
「ああ、サイモンとガーファンクルの主題歌で大ヒットしたんですよ。映画が公開されたのは、ぼくが高校生くらいのときかな。主演はダスティン・ホフマン!」
クリスちゃん「わたし、サイモンとガーファンクルの『サウンドオブサイレンス』や『ミセスロビンソン』の曲好きです」
「ミセスロビンソンというのは、年上の女性なのです。年頃の男の子にとって、年上の女性はまぶしくて、特別の魅力があるものです。『卒業』では、最後はダスティン・ホフマンが好きな若い娘の結婚式に乗り込んで、さらっていくのですね」
クリスちゃん「そんなドラマチックな恋がした〜いですぅ!」
「ははは」
クリスちゃんはやっとベタを入れる水槽を洗い終わって、フィルターを敷きはじめた。
ベタは、夏場なら水を入れたワイングラスの中に1匹だけで飼うこともできる。インテリアとしてもおしゃれだ。またツガイで飼えば、水面に泡でできた巣をつくって、雄が卵から子育てまでをするさまを楽しむこともできる。ベタの産卵は情熱的だ。雄が雌のからだに巻き付いて、雌のからだから卵がこぼれ落ちたところに受精させる。その後、2匹で失神して沈んでいくけれど、雄が先に我に帰り、底に沈んでいく卵を口で拾って泡巣へと入れ込む。一回に数個の卵を、雄と雌が何度も何度も抱擁をかさねて、産んでいく。
ベタはまだビニール袋に1匹ずつ小分けされ、隣の袋同士で、どぎつい原色のひれを大きく広げて威嚇し合って、美しく輝いていた。
ぼくは『ベタの雄、赤に緑が入ったの1匹買って帰ろうかな?』と思って眺めていた。
クリスちゃんはフィルターを敷き終わって、「うんせうんせ」と敷きつめる砂を運んできた。
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