卒業(part1)
今日は、ふーさんの熱帯魚店である「マットグロッソ」に来ている。ブラジルのアマゾン川上流の熱帯魚の宝庫である地名からとったそうだ。よくもあのふーさんがこんなシャレた店名をつけたものだと思う。ふーさんは留守で、最近入った店員のクリステルちゃんが留守番をしていた。かわいい顔をしていて、年齢不詳だ。黄色いエプロンをして、水槽の水換えをしている。ぼくはホースを水槽に突っ込んで背伸びしている足下の赤いミュールから浮いたりくっついたりしている彼女の丸く小さいかかとを見ていた。何でも、ふーさんによると、彼女はひきこもりの自助グループに入っていて、元不登校だったようだ。彼女は水槽の隅を、力を入れて何度も何度もこすっていた。
「クリスちゃん。そんなに…」
クリスちゃん「ちょっとストップ! 何で日本のお話なのに、クリスっていうネーミングなの?」
「クリスちゃんは、父親がフランス人で母親が日本人のハーフという設定だからさ」
クリスちゃん「筆者がファンの、滝川クリステルから取ったのがミエミエじゃない! 不自然!」
「まあ細かいことにはこだわらないで。じゃ、改めて。クリスちゃん。そんなにきれいにしなくても、十分きれいになっているよ」
クリスちゃん「完璧にきれいにならないと、自分で納得できないんですよ」
「そうなんだ。ところで自助グループのほうは行っていますか?」
クリスちゃん「今日ベタが10ツガイ入荷して、水槽を準備しているの。仕切りで分けないとケンカするから。ああ、オレンジの会のほうへは月一で行っていますよ」
「タイでは、ベタを戦わせる競技がありますね。ところでぼくも統合失調症の患者会を昔からやっていて、今のムゲンという作業所へと発展していったんだよ」
クリスちゃん「そうなんですか。自助グループの大先輩なのですね」水槽の隅をこする手を休めずに返事をした。
「患者会を、いったい何人の会員が通り過ぎていったことか。膨大な人数ですよ」
クリスちゃん「うちの会でも来なくなる人が実に多いです」
「居着いていても数年経つと何となく離れていく人もいますよね」
クリスちゃん「先輩で会を卒業していくみたいな人いますね」
「こころに問題があると自分で思っている人は、孤立していて甘えの足りていない人が多いよね。だからうちのムゲンではメンバーをできるだけ甘やかすようにしているんです」
クリスちゃん「それいいですね~!」
「できるだけ何でも本人の言うとおりにして、要求があればできるだけ叶えてあげることにして、甘えてもらう。そうするとその居心地のよさにムゲンを居場所として過ごしてくれる。そこが厳しさを要求する就労支援型の作業所とムゲンと、決定的に違うところです」
クリスちゃん「あまり福祉のことには詳しくないんですが」
「そうだよね。そんなぬるま湯的環境に浸かっていると、いつまでもお湯から上がれないのではないかと思いませんか?」
クリスちゃん「う〜ん? 厳しさも大切な気もします」
「実は人とは不思議なもので、甘えが満ち足りると自然に次のステップへと進むことができるようなのですよ。だから子どもを育てるときにも、しつけなど厳しい対応はまったく必要ではなく、ひたすら甘やかすと自然に自分で自立に向かって歩き始める。ぼくの息子もそうやって育ちましたよ」
クリスちゃん「そうなんですか! 将来のお勉強になりますぅ!」
クリスちゃんは働く手を休め、こっちを向いたまま答えた。
(part2に続く)
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