加藤智大を抱きしめたい
秋葉原事件の加藤智大被告の公判が開かれ、マスコミでも注目されている。ネットでは産経ニュースが詳しく取り上げているので、ぼくも読んでみた。
母親から食べるのが遅いと食事をチラシや廊下にぶちまけられ、それを必死に食べた。風呂で九九を間違えれば、湯船に沈められた。切っているキャベツにいたずらしたら、2階の窓から落とされそうになった。サウナのように暑い屋根裏部屋に閉じ込められた。小学校高学年でおねしょをするといって、オムツをさせられた。絵や作文に母親が手を入れて、自身の作品とはいえなくなったものを提出して、よく表彰された。服も自分で選んだものは禁止され、着せ替え人形のようだった。中学時代、豪華で量の多いお弁当をもたされイヤだった。机の中の女性からの手紙を見つけられ、「付き合いをやめないと転校させる」と言われた。
ぼくと瓜二つな育てられ方で、思い当たることばかりだ。
彼は車で自殺しようとしたが、縁石にぶつけ、走行不能になった。9月28日の自分の誕生日に特急に飛び込もうと思っていたが、人身事故で中央線が止まってしまい実行できなかった。自分は精神がおかしいと思って、母親に「精神科に行きたい」と言ったが、「意味がない」と即答された。
女性と夜をともに過ごすこともあったが、何もしなかった。
メールをくれた女性が、1年半後なら会おうというので、絶望した。振られた。
オフ会で会い、一緒に泊まることになった女性のお腹に抱きつくと、激しく拒絶された。
18〜19歳の時の大学浪人時代の底知れない寂しさと怒りのなかで、ぼくも彼とまったく同じ体験をしている。
携帯サイトで知り合った女性は、彼のことを「寂しくてかまってほしいタイプ」と表現した。ぼくも当時、本当に誰でもいいからかまってほしかった。しゃべってくれる人がいたら、ずーっと黙って後をついて回ったことも多かった。
掲示板で嫌がらせをしてきた人たちに、「怒り、嫌がっていることをわからせたかった」という事件の引き金も、コミュニケーション能力のない、幼さだ。
浪人時代、普通に友人をつくれなくて、ぼくも寂しくてたまらなかった。こころの底には育ちへの怒りがあった。虐待を受けると大人への成長が止まる。虐待も時に「大人にならせないよう」にという意図をもって行われる。
彼は警察に捕まったときに、警察署ではしゃいで警官に甘えたという。ぼくは発病して、九大の精神科に入院して、孤独が解けてとても楽になり、周りに甘えまくった。それまでは安心できる居場所がなかった。彼も警察署ではなく、精神病棟で甘えればよかったのに…。
ぼくは精神科を退院して結婚し、子どもも育てた。彼にはすでにそういう未来は閉ざされている。今すぐに行って、とても他人とは思えない彼を抱きしめてやりたい。ぼくの青春時代を力一杯抱きしめてやりたい。
コメント
加藤被告が不幸にしてこのような大事件を起こしてしまったことが不憫に思えてきます。
犯行前の彼と同じ心境にあった人は他にも結構いるみたいですね。
本来それほどの悪人とは思えないのですが、母親の自己中心的な子育てが原因して人間性の発達が未熟となったのでしょうか。
犯罪者となってしまうかどうかのわかれ道がどこかにあって、運よく未然に防げればよかったのに、救いが得られなかったことは不幸で残念なことだと思います。
佐野さんのような方との出会いがあれば、救いもあったのではないでしょうか。
起きてしまったことですから、仮定の話は分かりませんけれども。
加藤被告の母親も母性愛の強い人だったようにおもいます。それで子どもを独占して、しつけなら何やってもいいと思ったのかもしれません。不幸な愛情です。子どもの主体性をのばすようにしないと、発達障害のように育ちますね。
※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。