男はカマキリのように(part3)
「焼きなす、遅かったですね。焼くのに時間がかかりますよね。皮を剥くのも熱いし」
ふーさん「熱いまま剥くのは、一苦労じゃよな」
「ところで今までぼくは、病者であり弱者であり少数派であることを生きるアイデンティティーにして生きてきました」
ふーさん「ほう、アイデンティティーときたか」
「調子を崩してまで必死に電気ショックに反対したり、生活保護削減に反対したり、就労支援に反対したり専門家を批判したりしてきました。病者の一人として、病者アイデンティティーを生きる支えとしてきたことの動機は、単純な正義感で、ある意味幸せにやってこれたのかもです」
ふーさん「なるほど」
「病者が病者の自立と権利獲得のために働くことは当たり前で、悩まなくてもよくて、その足下が揺らぐことはなかったです。あれほど普通になりたくて、渇望していて、望みどおり晩年寛解してやっと『普通の人間』、つまり、多数派になりました。少々の強いストレスが連続してかかっても、もう幻聴は再発しないし、調子を崩すこともないことがわかりました。でもいざ普通になってみると、自分のよって立っていた、病者としてのアイデンティティーを失って、価値の喪失、やるべきことのなさ、喪失感、寂しさ、孤独感を味わっているのです。中井久夫という偉い医者が『単に幻聴をとればいいというものではない。そこには幻聴を失う喪失感がある』と言っていました。それはロマンチックともいえる幻聴から、現実に『醒める』寂しさです」
ふーさん「一気にしゃべったな。でも何となくわかるような気がするよ。わしは前の会社をリストラされて、趣味だった熱帯魚で食っていけないかと思った。若かったよなあ。好きで長く飼っていて知識はあったから、行きつけの熱帯魚屋で仕入れ先まで教えてもらえてラッキーだったよ。今では流行のアクアマエストロなんて、訳のわからん横文字で仕事をすることもある。大企業や医者は大のお得意さんじゃ」
「それって、一生の仕事ですか?」
ふーさん「いや趣味•••じゃ」
「ははは」
「ぼくも、今からスタート地点に立って自分の一生の『仕事』を探し始めるにはもうすでに年を取り過ぎです。56ですから。でもそのこころは、悩みの内容は、まるで人生初期の思春期そのままですよ。性的にも思春期に戻ってしまった心境でもあります。年取ると子ども返りをするようです」
ふーさん「好きな女の子の縦笛をこっそりなめたり、とか」
「あははは、気持ちはわかりますよね」
ふーさん「おまえはそういうタイプだ! わしゃツッパってたから、ナンパに精出したけど」
「でも最近、『今までの一生はムダの連続だった』という思いにも取りつかれました。あまりにも長く自分の生きづらさにかかずりあってしまった思いですよ。時々、醒め切った孤独に襲われます」
ふーさん「そう暗くなるな、生きやすい人などいないものじゃ。趣味こそすべてじゃよ」
「そうなんですよ。残りの人生は、『趣味』に生きようと思っています。今のぼくには家庭も居場所もあり、そこそこの友人もいて、悠々自適に見えるかもですが。その実、死んでいくのも一人だとつくづく思います。たぶん今後も癒されることもなく続く気がします。主治医は、育ちに問題のある人は一生涯孤独を引きずると言いました」
ふーさん「誰だって、孤独になるときはあるさ。深刻になるな」
「それほどまでに幼いときの傷は癒えにくいのかな?」
ふーさん「わしの育ちは極貧だったし、親父とお袋はいっつもケンカしていた。身もこころも傷だらけだったよなあ」
「大変だったんですね」
ふーさん「わしゃいい加減だからな。深く悩まずこころの病気にもならなかった。お前、時々生真面目になるからなあ。生きているだけでモノだねじゃねえか」
そう言うと、ふーさんはビールを一気にあおった。
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