男はカマキリのように(part2)
ふーさんは枝豆にビールだ。ぼくも枝豆をつまみながらイモ焼酎の水割りをちびちび飲んでいる。
「すべての人間がカマキリのようであったら、と夢想しますよ。カマキリなら、交尾を終えたオスはいないことになる。世のオヤジは存在しなくなり、オヤジたちが必死に守っている『今の秩序そのもの』が存在しなくなる。縄張り意識の少ないおばさんたちの天下が訪れ、世の中はずいぶんと平和になるでしょう」
ふーさん「アリの社会がそうだよな。女王アリと少数のオスアリと大多数のメスの働きアリの、一種のユートピアだな」
「オスアリに紛れ込みたいものですね」
ふーさん「あははは」
「会社ではOLと女性社長ばかりに、政治家も女性だけになる。今の男性社会に比べれば、平和なユートピアですよ。実際、ミクロネシアだかの民族は、男性はお化粧したりぶらぶらして遊んでいて、女性が働いて、子どもを育て上げるらしいです」
ふーさん「男性の役割はそのくらいがちょうどいいのかもしれないな。わしも家では、粗大ゴミ扱いだからな」
「戦争中に赤紙が来て急いで祝言をあげて、数回のセックスをして戦地に赴き、戦死。そのときにできた子どもは、別に何の不都合もなく育つ。本当に男の役割はこの程度のものかもしれないですよ」
ふーさん「昔は、『ひも』とか『髪結いの亭主』とかあったよな。交尾して役割がなくなっても生き延びたなら、男性は遊んでいるだろうな」
「当然、すべての女性から、『ダメ男だ』と否定されるでしょうね。でも男性の多くは、『ひも』という生き方に憧れるだろうなあ」
ふーさん「わしも、若いときにモテていれば、『ひも』になりたかったなあ」
ふーさんの皿が空になり、「焼きなす一皿! それからビール!」と注文した。ビールは即座にきた。
「デキる男性や働き盛りの男性は、自分に自信があり、自分の一生をかけるべき『仕事』に情熱があり、彼らからすると、オスカマキリ説などは『何それ?』でしょうね」
ふーさん「わしゃ、仕事は趣味。生きるのも趣味じゃけれど」
「仕事も人生も遊びみたいなものですね。ふーさんもご存知のように、ぼくの半生は精神病の療養でした。歳とってやっと『普通の人』らしくなったけれど、若いときから一生を『仕事』に賭けられる人は、幸せだと思いますよ」
ふーさん「そういうヤツは普通、結構ワガママじゃぞ」
「でも世間的には、評価される立派なオヤジですよね」
ふーさん「いやいや。こころの中では疲れて、密かに『ひも』に憧れをもつかもしれないぞ。わっはっは」
「そういうオヤジの中には、しんどい仕事の現実にキレて、働けない障害者やひきこもりなどの弱者に当たり散らすこともありますよ」
ふーさん「ははは」
「キレない人はうつになる」
ふーさん「そうじゃなあ」
「大昔に、人類が生まれて足だけで二足歩行を始めた理由は、食物を運ぶには、手を、歩くことではなく運ぶほうに使うのが効率がいいから、という説を聞いたことがあります。メスが子育てをしてオスが食べ物を運んでいるときに」
ふーさん「ほお、詳しいな」
「洞窟に住んで、女性は昔から働きながら子どもを育ててきました。女性にはとてもかなわないですね」
ふーさん「まったくじゃ」
ふーさんはやっと運ばれてきた焼きなすをうまそうにほおばっていた。
(part3に続く)
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