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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

人の一生は子ども時代に決められる…、ようだ(part1)

 ぼくの性的嗜好はマゾだが、マゾの本質は「母親に叱られる子どもでいたい」という重度のマザコンではないだろうか。
 これまでも何度か、ぼくが母親から虐待されて育ったことを言ってきたけれど、思春期になって性に目覚めた後も、母親の顔色をうかがって暮らしていたので、性の欲望が叱られることに結びついて、マゾになったのだと思う。性に目覚めた頃は、普通に裸の女性が好きだったのに、段々それでは満足できなくなっていった。

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 思春期に初めて精通があって朝起きたらパンツを汚していたときに、恥ずかしいので母親に見つからないように、洗濯物の一番下に隠していたのだが、母親に見つけられた。パンツを目の前に突きつけられて、「これは何!」と怒りあざけった母親の勝ち誇った顔は忘れられない。
 しかし、不思議なことに老境の入り口にいる現在、ぼくは思春期の性に目覚めたときのような純情な心境が戻ってきている気がする。女性を見るときも、裸より服を着ていても見える、髪の毛やくるぶしが気になったりする。それも虫に刺された痕などは、妙に印象に残る。それとともに、思春期以来の孤独感も強くなってきている。主治医の言うことには、小さいときに育ちで孤独を感じていた人は、一生孤独を引きずるものらしい。

 ぼくは電気ショックや強制医療に激しく反対して、厳しく医療穏健派と対立したりして調子を崩すこともしばしばだった。国家権力に殺される死刑囚に感情移入して、死刑囚と面会して死刑廃止を訴えたこともあったし、障害者の家族や施設に反発して障害者の自立運動にかかわったこともあった。
 これらはすべて、虐待・抑圧された子ども時代のトラウマにスイッチが入っての「怒り」の行動だったと、今では理解している。

 ぼくは21年前に、みんながいて癒されるような雰囲気の作業所、ムゲンを仲間とオープンした。これも、親との縁が切れて根無し草になってしまっていた、ぼくのこころの拠り所がほしかったのだろうなあと、今ではわかる。
 長く、ボランティア精神で人に尽くすことを生きがいにする共依存だった(今も多少残っているが)のも、虐待の後遺症による自分の無価値感をはじめとする不全感があったからだろう。そもそも仕事は、不本意にも人のためになることをしないとお金をもらえないから、休日は人のためになんか全然ならない、模型趣味に思い切り喜びを見いだしたりもする。
 母親のことは基本的に好きだから、ぼくはいつまでたっても母親を許しきることができない。他人にはどんなことをされてもいつかはこころも癒され、たとえ身内が殺されるようなことがあっても、一生をかければ許せるだろうと思っている。最後まで許せないのは親だろう。それほどに全身全霊で子は母親が好きでたまらなかったのだ。
 でも、母親だっていつも怖いわけではなくて、普段はとても優しかったと思う。よくぼくも甘えていた。しかし母親は、ぼくが悪いことなどをしたら、突然「しつけ」のスイッチが入り、徹底的にぼくたち兄妹を痛めつけた。それも、父親のいないときに。いつスイッチが入るかぼくたちにはわからなかったので、いつ頃からか、母親の目をうかがうようにもなった。空気を読む訓練だ(笑)。母親は「世間体」を何より重んじる人で、親戚や他人と話すときにはとても気を遣っていて、いつも笑顔だった。思い返してみると、母親はぼくたちに完璧を求めていたから、悪いことをするぼくたちが許せなかったのだろう。
                                (part2に続く)


コメント


 「母親の目をうかがうようにもなった。空気を読む訓練だ(笑)。」
 このコメント、私の子どもの頃にもありました。
 家は商売をしていて、父親も母親も当時仲が悪かったので、そのとばっちりがこないよう家の中では、相当気をつけてもいたし、子どもなりに横暴な父親に我慢している母がとてもかわいそうに思えて、これ以上母親に心配をかけさせてはいけないと勉強もがんばり、母親の希望に沿った子どもになれるよう努力したものです。
 反面、小学生の頃、真剣にこの生活はいつまで続くのだろう、生きていくのがしんどいと悩み、死んだら楽になれるかなと真剣に考え、でも親が悲しむし、何より死後の世界を信じてる私にとって地獄はいやだと言う恐怖心もあり、無事死なずに大人までたどり着くとが出来ました。
 ただ、20代の頃、親のしいたレールがいやになり、親の願いであった看護師になる為、看護学校にも入っていたのにあと一年を残し、自主退学しその後10年も家を飛び出したりもしました。今は、両親をかなり客観的に見ることが出来るようになり、だいぶ心が楽になりました。
 今、子どもを育てながら、自分は子どもの成長にどんな影響を与えるのだろうとしみじみ感じることがあるけれど、怖くなりすぎては育児も出来ないし、出来るだけ、完璧ではないありのままの母親をさらけ出し、私も出来ないことはたくさんあるし、私と違う意見を持ってもいいのだと伝えています。


投稿者: たんぽぽ | 2010年06月25日 11:29

 そうそう、完璧にしようとすると子どもの方は息が詰まって、どこかで息切れると思います。
 あと子どものプライバシーはぼくは大切だと思います。子どものことが何も分からないと、不安にもなりますが、子どもを信じている、というメッセージを出すようにしたほうがいいと思いました。


投稿者: 佐野 | 2010年06月25日 20:37

「子どもを信じている、というメッセージを出すようにしたほうがいい」…同感です。でも、これが意外と難しいと感じるまだ、未熟な母親です。がんばります。


投稿者: たんぽぽ | 2010年06月26日 23:35

 あと子どもを信じているけれど、期待しないということもいいかな、って思っています。親が期待してレールを敷くと、たいてい子どもはそれて反対の方になります。うちは、子どもに期待せず、成績が悪くても、勉強しろと、一言も言わなかったので、自立が早く勝手にいい大学にも行きました。


投稿者: 佐野 | 2010年06月28日 17:50

なるほど・・・。子どもっておもしろいですね。


投稿者: たんぽぽ | 2010年06月29日 11:39

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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