結婚帝国―女の岐れ道(part2)
前回に続いて、『結婚帝国―女の岐れ道』(上野千鶴子、信田さよ子著、講談社)を読んで思ったことを書いてみる。
本の中で、娘が援助交際をやっている家庭を例に出して、信田さんは言う。
「近代家族の理想を実現していると思いながら、実はものすごく傷つけ合っているような夫婦よりも、空洞化はあるんだけれど、非常に距離をとって傷つけないで最大限共存していくほうが、害は少ないと思います。『機能十全家族』なんてないんだもの」
距離をとるって、今のぼくの家庭のことをいっていると思いながら読み進めた。距離をとれば、確かにトラブルが起きることはとても少ない。たまに密なコミュニケーションをとると、対立に至って、不快な気分になることもある。結婚しても生計を一つにしないで、経済的な分離をすることもトラブルの回避になると思う。
さらに、引用の続き。
上野さん「害が少ないというよりは、子どもの方でサバイバルの知恵を身につけるんでしょう」
信田さん「あとやっぱり、ある種の人間関係のスキルは学べる」
上野さん「逆に言えば、人間関係に対する基本的な信頼感を失うこともあるでしょう。人間関係にシニシズム(冷笑主義)を持つようになるとかね」
この発言、ぼくが育った家庭だったなあ、と思った。母親は、「他人は信用するな、信用できるのは血を分けた家族だけだ」という信念だった。ぼくは今ではいろいろな人の中で、母親を一番信用していない。
信田さん「だって、スキルなんてシニシズムの裏側にあるものじゃないですか」
上野さん「あ、そこまで言いますか?」
信田さん「言いますよ」
ここまで読んで、「それは本当のことだけれど、口に出しちゃ、人間関係終わっちゃうよ」と思った。「コミュニケーションスキルを磨く」という言葉があるけれど、本当にコミュニケーションのうまい人は、言葉を繰り出すときに、本来のコミュニケーションの目的である「信頼し合う」ということを少しも信じていない。コミュニケーションスキルの高い人ほど、人をだますのがうまく、人を上手に傷つけいじめることもできるし、プライドをズタズタに引き裂くことだってできるのだ。普通は場の空気を見てそこまではしないものだが、家庭内とかの密室ではどうだろうか。
「コミュニケーションスキルを磨きましょう」というときの最終目標は、実は相互に信頼をつくることではないのだ。程度の問題かもしれないのだが、とてもシニカルなことが現実だ。小説は、いかにうまく人をだませるかがテーマだ。そして「私を理解してほしい」という邪念を捨てた言葉が、多くの場合、相手のこころに響くことも経験的に知っている。
ぼくは、「嘘をついたり人をだましたり、人をいじめたりすることにコミュニケーションスキルを使うのはなるべくやめておこう」と、自分で「禁じ手」にしている。いじめたりしそうなときには、うまくジョークにつなげようと努めてはいる。もちろん毒舌がジョークにならずに、ストレートないじめで終わってしまうこともあるのだが…。多くの場合、ムゲンでぼくが面白がっていじめている最大の犠牲者は、実の弟である…。傍目にはとても仲のいい兄弟にとしてうつっているようなのだが。
あと、全然関係ない話題に飛ぶのですが、COMHBOのリリー賞のホームページに、ぼくとムゲンの取材が紹介されました。リンクしますので、読んでみてください。
http://www.comhbo.net/modules/news/article.php?storyid=35
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