麻薬脱出(part2)
今回も、『麻薬脱出―250万依存者の生と死の闘い』(軍司貞則著、小学館)を読んでの感想。本の要約をして紹介する。
女もシャブにはまると厄介だった。真面目な人間ほど深みにはまる。最も怖いのは薬物を使いながらのセックスだ。これを覚えるとより深みにはまる。自殺を何度も図る、と近藤は言う。ぼくのLSD経験を振り返っても、性欲亢進はとてもよくわかる。もっとも、当時は女性とのおつきあいなどまったくなかったのだが。薬物をやっていると集中力がものすごい。いやらしいことを考えると、一瞬で性欲の世界に飲み込まれ、一気に興奮する。
ぼくは、酒井法子さんを思い出した。事件報道は過熱したが、薬物の危険性とリハビリの大変さを取り上げた番組は少なかったと思う。いたずらに興味をあおっていたように思う。彼女には、啓発のためにも自叙伝を書いてほしいものだ。
さて、アルコールのミーティングに出続けることで、近藤とロイの付き合いは続いた。ロイは札幌に24時間ケアが可能な「アルコールリハビリセンター」を作るために廃品回収をやっていた。近藤は専属運転手と修理やペンキ塗りをやった。アルコール依存者も薬物依存者も超エゴイストだ。他人に役のたつことが、どんなに充実感があるか、近藤は学んでいった。そしてロイから「札幌MAC(メリノールアルコールセンター)の所長になってください」と言われた。
札幌MACは古びた木造2階建てで、15部屋あった。施設はオープンすると、瞬く間にアルコール依存者で埋まった。近藤のところに近所から苦情がくる。住民についていってみると、酔っぱらって玄関で寝込んでいる、スリップしたMACの住人だった。立ち退きを要求されてもMACは続いた。
ムゲンでも暴力を振るったメンバーがいて、夜パトカーを呼んだことがある。メンバーのお母さんにも来てもらって話し合いをしていた最中の出来事だ。お母さんは来た警官に障害者手帳をかざして「障害者ですから! 障害者ですから!」と連呼していた。ぼくは「障害者だったら許されるのか!?」とちょっと情けない気持ちになった。近所ではそれほど問題にはならなくて、苦情などはこなかった。思えば、ムゲンを20年やっていて苦情らしい苦情がきたことはない。松山でも大きな精神の施設を作るときには住民から激しい反対運動が起きた。ムゲンは小さくて運がよかっただけだろうと思う。ムゲンがぼくの育った町内にあって、近所の人にも顔が知られていて、ぼくが統合失調症をカミングアウトしていたこともプラスに働いただろう。
昭和60年、近藤はクリーン5年目、44歳のときロイの協力で薬物依存者専用のハウスができた。全身が桜吹雪の小指と中指のない男や、現役の暴力団で、覚せい剤の売人、暴走族あがりのシンナー少年たちがやってきた。これが「DARC」の始まりだ。Dはドラッグ、Aはアディクション、Rはリハビリテーション、Cはセンターだ。スリップして逃亡する者もいた。病院で大量吐血して死んだ者もいた。家族に骨を届けると、「厄介者」が死んで、ほっとしていた。入寮者は絶えず誰かがラリっていた。
あるとき近藤は「みんなの保護者役」をやっていることに気づき、「DARCなんかもう放り出したい」と思って、「おい、みんな。オレは今日からおまえたちと一緒の薬物依存者の仲間として振る舞うぞ。規則は全部やめた。門限もなし。掃除当番もなし」と宣言した。
ぼくもこの21年間、ムゲンを何度やめようかと思ったかわからない。そのたびに「ぼくも無理のきかない統合失調症者のひとりだ」とメンバーと同じように楽することを覚えて乗り切った。わがままに振る舞うことはいいことだと気がついたことは、ぼくの「お世話し依存」の共依存体質から抜け出すことにもつながった。お世話することが生き甲斐になっていたぼくは、自分というものがなかったが、徐々に人のことより優先する自分というものを取り戻していった。世間の親子では、母親による「お世話し依存」が普通に行われているが、それが病的な依存症であると、今でははっきりとわかる。
近藤をシャブの世界に引きずり込んだのが、元暴力団の岩井だ。彼に新しく作った結城ダルクを任せることにした。近藤は岩井に言った。
「オレもダルクを6年くらいしかやっていないのでよくわからないけど、依存者を治そうと思ったらダメだ。やめる場を作って、きっかけになる人と出会わせること。そういう仲間を作ること。これがうまく調和すると勝手によくなっていく。自分が回復して欲しいと思う人間が死ぬんだ。逆にこいつはどうにもならないという奴が回復したりするんだ。依存者をコントロールしようと思うなよ。他人は変えられないと思え。自分が変わるんだ。それにダルクにくる連中をワル扱いするなよ。奴らは中学くらいからワルのレッテル貼られてワルぶることで自己防衛してきた。お前もそうだろう。奴らにはここではワルを演じる必要がないんだよ、ということをさり気なく教えてやれ。そうすると変わり始めるかもしれない」
「結局、依存に陥るのは楽しいからではない。居場所がなかっただけだ」と語る薬物依存者もいる。ミーティングでは「どんな異常な経験を語っても、同じ仲間に受け入れてもらえる」という安心感があるであろうダルクは、本当に居場所として機能しているのだと思う。ぼくは「ムゲンは働く場というより居場所だと20年間言い続けてきたのは、間違ってはない。誰もが居場所さえあれば、大変なことにはならない」という思いを強くした。
(part3に続く)
コメント
居場所づくり・・・私も地域でそれをつくりたいと思っています。
私には、子どもが8歳と4歳の子がいます。だから、特に障害者や子ども、高齢者が気軽に集える場が作れたらいいなと思い、それを目標にがんばることにしています。
先日、娘が通っている学童保育で何かそういう連携は取れないものかと、運営委員会で提案しましたが、助成金を受けているので、あまり、NPOというものに関わるわけにはいかないと丁寧に断られました。
学童保育を卒業した子らは、親は働いているので、忙しい親の子ほど、それも低所得者の子ほど、居場所がないのが現実です。なんか、みんなが集える場所が欲しいです。
頭が固いですね。連携もとれないとか。奥さんはおばあちゃんになったら、近所のおばあちゃんが集えて、お茶を飲む居場所を作りたいって言っています。
やはり、佐野さんはじめ奥様もすごいですね。実は精神保健福祉士の資格と同時に社会福祉士の資格も取れたのですが、どうやってネットワークをつくろうかともがいている状態です。
取り合えず働かないといけないので、4月末から介護職員として働き始めました。私は、松山出身ではないし主人も愛知出身なので、人脈のないところからのスタートですが、がんばります。
子ども(特に虐待)関係ならチャイルドオレンジネットワークというのを知っています。コンタクトを取りたければ、メールをください。
mugen@joy.ocn.ne.jp
ご好意、ありがとうございます。
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