幸子さんと私(part3)
『幸子さんと私』(中山千夏著、創出版)を読んで思ったことの続き。今回が最後だ。
昔のことを書いているうちに、新たに思い出したこともある。ぼくと妹がまだ小さい頃、うちにはチイちゃんという歳取ったおばさんがお手伝いさんとして来ていた。ぼくはチイちゃんが家庭の一体の異物のように思えて、無視していた時期があった。今で言う「シカト」だ。妹にも呼びかけて、チイちゃんが来るといつも横を向いて無視した。チイちゃんは「たいそうつらい」と言っていた。
母はというと、「牛乳が腐っているかどうかわからないから、チイちゃんに飲ませてみよう」というようなスタンスだった。かわいそうなチイちゃんだった。一番下の弟もチイちゃんのことを知っていたから、他人を一切信用しない母の元で、結構長い間働いていたようだ。
多くの被虐待児は、子どものときに手ひどいトラウマを受けても、その後のさまざまな友人関係のなかで、暴発しがちな攻撃性が癒されていった場合も多いだろう。ぼくは波津子との出会いで癒されていった。千夏さんは、芸能界の多くの年上の先輩たちによって癒されていったのが読み取れる。不倫を繰り返したのも癒しの過程だったのだろう。
また、多くの被虐待児は、自分が愛されるに値するとなかなか納得できず、たとえ愛されても愛された実感を得ることができない。繰り返し愛されることで徐々に癒されていく。ぼくも波津子の愛を試すようなことばかりしていた時期があった、と波津子に後で聞いた。不安に駆られていた。
さて、昨今の社会的抑圧が減った社会になってきて、多くの母たちは自分の子どもに対する殺意を語り始めている。「わが子を手にかけてしまいそうになる」と。
身内の絆やご近所の絆がどんどん希薄になっていく社会で、世間の母親たちは孤立して、子育ての大変さのために虐待が増えているということはよく言われている。それを補うように、子育て支援のNPOや行政サービスができてきてはいる。しかし追いつめられた母親は世間体など捨てて、罪悪感で思いつめたりしないで、とにかくさまざまな人間関係に援助を求めて楽にならないと、子どもに対する「殺意」は消えないだろうと思う。虐待された子どもを救うには、虐待する者が救われることによってのみ可能だ。
ぼくの主治医はぼくを診て、「怒りを向ける相手は母親ではなく、「世間体」だとか無形の抽象的な相手に純化していかなければならない」と言う。「罪を憎んで人を憎まず」というわけだ。もっともな話だが、なかなか到達するのが難しい境地だ。ぼく自身、母親の「愛」を求めて得られなかったことで一生をかけて憎むことになった。子どもだったぼくは、それほどまでに母親を愛していた。
こんなぼくの文章を読んで、多くの人は「なんて親不孝な息子だ」とあきれるかもしれない。しかし親孝行というものは親への依存であって、動物として自立していない証ではないかと思う。大人になっても親へのこだわりを捨てきれないのだと思うが、どうだろう。
精神科医の斎藤学氏が書いていた「子どもを親孝行に育てたければ、虐めて育てよ」という言葉を思い出す。子ども時代に安心安全な環境で十分に子どもをやれなければ、大人になっても欲求はいつまでも親にこだわり続け、親孝行をするのだろう。
「自立」とは、例えば友人関係をはじめとして生活保護とかの行政サービスも含めた「他人」に自在に依存できることかとも思う。もちろん「あらゆる人が(ぼくの言う)自立を目指さなければ」と思っているわけでもないのだが。やはり乗り越えるべきは「世間体」の高いハードルだろう。
ぼくは自分の子どもにも親孝行は特に期待していない。しかし反抗期のなごりか、子どもがあまりに厳しい言葉で接してくると、「感謝などしなくてもいいから、たまには優しい言葉をかけてほしいなあ」と弱気になることもある。
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