幸子さんと私(part1)
『幸子さんと私―ある母娘の症例』(中山千夏著、創出版)という本を読んだ。
著者は、ご存知、あの中山千夏さんである。子役から始まったタレントとしての姿を知る人が多いだろうが、後年国会議員にもなった。マスコミから姿がなくなって久しいので、若い人では知らない人が多いかもしれない。ぼくなんか子どもの頃、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」を毎日見ていたから、優等生「博士」の声優をしていた時から知っている。幸子(ゆきこ)さんとは、彼女の母親のことである。
さて、この本の帯には「率直に言う。生まれてこのかた「母に会いたい」と思ったことがない。」とある。なかなかに刺激的だ。
内容は、いかに我執が強く自意識過剰の母に苦しんだか、ということであり、母の死を契機に一気に書き上げたようだ。努めて客観的な記述の行間から、怒りが立ち登っている。「死んだ人を悪く言ってはいけない」などという社会通念などおかまいなしで、ぼくのように母親にさんざん苦しめられた人間にとっては、痛快ですらある。
「仕事をめぐって」「経済をめぐって」「恋愛をめぐって」の3章に渡り、具体的な話ばかりだ。特に人にはなかなか言えない、「経済をめぐって」での家庭内の金をめぐっての確執は、読み応えがある。常に、「周りからそうさせられた」というストーリーを作って、幸子さんは自分で責任を取らなかったようだ。それでいて、娘のすべてを支配したがった。『一卵性母娘な関係』(主婦の友社)、『母が重くてたまらない―墓守り娘の嘆き』(春秋社)(どちらも信田さよ子著)の成れの果てのように感じる。
「幸子さんはおじょうさんだ」あるいは「ヒットラーだ」という周りの人の評価が書かれているのを読んで、「ああ、ぼくの母と同じだ」とため息をついた。
「世間が許さない」「天知る地知る我知る」という幸子さんの信じている、ことわざに込められた自分の価値観を、どれほど横暴に暴力的に娘である千夏さんに押しつけたか。千夏さんは「私にも依存心はあった」とは書いてはいないけれど、幸子さんの生きている間、幸子さんと暮らした。ぼくがやっているように、ある時を境に「必要最低限以外、一生口をきかない」ということもできたはずだが。若い時には幸子さんが強くて逃れられなかったかもしれないとしても、しかし幸子さんが歳を取って、母娘の力の逆転が起こっても、千夏さんは母を捨てなかった。優し過ぎたのだろうか、エネルギーが足りなかったのだろうか。
年老いた幸子さんはやたら褒めてもらいたがった。圧倒的に力の差があっても、自分の怒りの根源を「褒める」というのはなかなかできないものだ。しかし幸子さんの晩年、千夏さんはなるべく自然を装って「褒めた」。しかし幸子さんの所業に、千夏さんが「感謝」を述べたことは一度もないという。自分を振り返って、母を褒めることができるだろうか。できないし、感謝など論外であるぼくは、途方もない親不孝者である。
千夏さんはこの本を書いて「母に会わねば」という強迫から開放されて、ほっとしている。いや正確には、自己カウンセリングのおかげで、ほっとする自分に向けられる自責の念から解放されて、ほっとしている、と書いている。『シズコさん』(新潮社)という、ある意味とてもよく似ている本を書いた佐野洋子さんは、「書き終わったらどっと疲れた。心底疲れた。そして私は幸せになった」と書いている。
自己カウンセリングをして、「文字にして書く」ことが、どれほど重い荷物を下ろすことになるのか。ぼくも母の悪口をさんざん書いて発表して、どれほど楽になったことか。怒りを文字にすることは、親に苦しめられているすべての人に勧めたいと思う。冷静になれ、カタルシスが得られる。
(part2に続く)
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