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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

ADHDが先か虐待が先か

 ADHDという発達障害をご存知だろうか? 注意欠陥・多動性障害というもので、注意力が散漫で(目標に走って行って、足元を見ずに転ぶとか)、落ち着きがなく面白いことにすぐに心を奪われる。整理能力が乏しく部屋は散らかっている。時間を守れない、感情的などの特徴がある。発達障害だから人よりこころの成長が遅い。
 ぼくと主治医の三好先生とで書いた『こころの病を生きる』(中央法規出版)の中で、「ぼくの小さい頃はADHDのような子だった」と書いた。たぶんそうだったと思う。

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 『めざせ!ポジティブADHD』(あーさ著、書肆侃侃房)というマンガを読んだ。どうADHDに苦労し付き合ってきたかというなかなか感動的な本だ。このなかでの著者の工夫に、3種の神器として、メモ、アラーム、カレンダーがある。
 「今」を生きるADHDの人は用事を忘れっぽい。だからメモだ。すぐ夢中になって時の経つのを忘れるので、アラームだ。計画の目標を忘れないためにカレンダーだ。ぼくも同じようなことで気をつけているなあと思ったが、一般の人にも結構役立つ知恵ではないだろうか。ぼくもなくしやすくて後から探しまわるような小物(腕時計とか髪をくくるバンドとか)は、決まった枕元以外には置かないようにしている。
 でも実は、何かに夢中になって用事を忘れるのを防ぐためのアラームは、ぼくには要らなくなったかもしれない。大人になって歳を重ねてから、夢中から醒めやすくなった。ふと我に帰る瞬間が多くなったのだ。これはあまり「グルーブ感」全開のADHDっぽくない。ムゲンでギャグをやる時には結構自分の演技に夢中にもなるけれど、大人になってADHDフレーバーも薄まった感じもする。今も片付けるのは大の苦手で、パソコン周りは惨憺たるありさまだ。それに若い時には人より成熟が20年以上も遅く、晩年になってから大人になったと思っている。母から「とにかくうろちょろする落ち着きのない子どもだった」と聞かされたこともある。振り返って実に多くのADHDに関する思い当たる節があった。

 さてこの本のなかで、著者のあーささんも書いているのだが、ADHDとトップクラスに紛らわしいのが、虐待の結果による発達障害だ。ADHDは前頭葉でドーパミンが出にくい障害で、多くの場合には遺伝もする。二次障害として色々な精神病になる。ではぼくは、虐待の結果としての発達障害がベースで統合失調症になったのか? それとも、生まれつきのADHDフレーバーの結果としての二次障害で統合失調症になったのか? 振り返ってみるに、たぶん両方だろうと思う。
 セカンドオピニオンで有名な笠陽一郎先生なら、統合失調症の診断からぼくを外すかもしれない。本当の統合失調症なら、そう簡単に寛解しないだろうということで。だから笠先生から統合失調症だと診断されると、かなりしんどい状況かもしれない。知り合いで50歳を過ぎても何のストレスもなしに毎年再発している人がいる。なかなか自分を客観的に見ることができない統合失調症は、簡単には晩年になっても寛解してくれない場合も多いのかもしれない。
 
 人格障害(パーソナリティ障害)という診断を認めるとすれば、原因は乳幼児期の母子アタッチメントの失敗だといわれている。母がいなくなってもすぐ戻ってくるという繰り返しが、乳幼児の見捨てられ不安に安心感を与える。見捨てられ不安が「人に嫌われたくない」などの性格を発達させる、あらゆる人間関係の基礎だ。この最初で失敗した乳幼児、育児放棄などのネグレクトなどの虐待を受けた子どもは、大人になってもトラウマは容易に癒えずに、人間関係での生きづらさを抱えるといわれている。一方、「虐待によって発達障害になることは、脳の異常ではない」と主張する人もいる。すると、人格障害も発達障害の一つの症状と見ることもできる。この辺を整理して誰か説明してくれないものだろうか。

 ADHDフレーバーで多動で落ち着きがなく、注意力散漫な子どもだったぼくは、神経症で強迫的にキチンとしていないと気がすまない完璧主義の母から見れば、折檻してでも世間で通用するように矯正しなくては我慢のならない子どもだったのだろう。おまけに母には初めての子だった。そんな不幸な出会いが、ぼくが一生をかけて母親に反抗するほどの、虐待による心の傷を生んだ。もともとあったADHDフレーバーに加えて、虐待が余計にこころの発達を遅らせて、統合失調症の病前性格を作った。18歳で無理な自立をしようとして幻聴妄想の発病を迎えた。今ではそう考えている。
 父の父、父親、そしてぼくや兄弟を見ても、佐野家には自閉症フレーバーがあると感じる。母にも神経症なのか自閉症なのか、「後ろからは声をかけながら近づかないと、パニックのように驚く」という性格がある。統合失調症のなりやすさはある程度は遺伝するというよりも、ぼくの場合、元々の一次障害として発達障害的なところがあってそれが多分遺伝したのだろうと思う。子ども時代から思春期までの虐待と、青春期の過度のストレスが重なって兄弟でぼくだけに統合失調症が発病したという訳なのだと、今では理解している。何か自分のルーツを探り当てたような満足感がある。


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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