幸子さんと私(part2)
『幸子さんと私』(中山千夏著、創出版)を読み進めて、最後のほうでとても気になる記述に出合った。千夏さんが幸子さんのことを回想する記述だ。
ちょっと恐ろしいけれども、こんな想像が浮かんだ。殺そうとした、とは思わない。しかし、赤ん坊がいなくなればいい、と願ったことはあったのではないか。子どもが病気になった時、このまま死ねばいい、と無意識に願ったことがあったのではないか。子どもが手元から離れた時、このままいなくなればいい、と願ったことがあったのではないか。だが、いつも子は生還した。なかなかにしぶとかった。頑健だった。しぶといな、頑健だな、という無意識の感想が、「叩いても死なない」子という思い込みを生んだのではないだろうか。
幸子さんと私(part1)
『幸子さんと私―ある母娘の症例』(中山千夏著、創出版)という本を読んだ。
著者は、ご存知、あの中山千夏さんである。子役から始まったタレントとしての姿を知る人が多いだろうが、後年国会議員にもなった。マスコミから姿がなくなって久しいので、若い人では知らない人が多いかもしれない。ぼくなんか子どもの頃、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」を毎日見ていたから、優等生「博士」の声優をしていた時から知っている。幸子(ゆきこ)さんとは、彼女の母親のことである。
ADHDが先か虐待が先か
ADHDという発達障害をご存知だろうか? 注意欠陥・多動性障害というもので、注意力が散漫で(目標に走って行って、足元を見ずに転ぶとか)、落ち着きがなく面白いことにすぐに心を奪われる。整理能力が乏しく部屋は散らかっている。時間を守れない、感情的などの特徴がある。発達障害だから人よりこころの成長が遅い。
ぼくと主治医の三好先生とで書いた『こころの病を生きる』(中央法規出版)の中で、「ぼくの小さい頃はADHDのような子だった」と書いた。たぶんそうだったと思う。
一緒にいてもひとり(part3)
今週も、『一緒にいてもひとり』(カトリン・ベントリー著、東京書籍)を読んでの感想。今回が最後だ。