精神病とモザイク(part3)
映画『精神』と『精神病とモザイク』(中央法規出版)の感想。今週で最後だ。
「ロジャースという人がね、「人間の本質として、孤独に対する力が弱いと。他者と共にあるということが、人間の本質してあるんだと。孤立すると、ある人はうつになると。またある人は攻撃的になると。どれかの反応、混ぜ合わせた反応が、人間の普通の反応だ」と言っているのですが、それは当てはまっているような気がするんです」
映画の舞台となった「こらーる岡山」の山本医師の発言だ。
これを読んで、自殺の問題にしても、秋葉原事件にしても、非行にしても、結局は孤独だったんだ。孤独に耐えきれなかったんだ。ぼくがこだわっている虐待にしても、結局子どもは寂しかったんだ。孤独に追いやられてしまったんだ。孤独がトラウマになって、大人になってから本人を蝕んでいるんだ。すべての問題は「孤独」というキーワードでつながっているんだ、という思いを強くした。
山本医師の話は、「共にあることこそ大事」という話から、人間の“精神”のありように移っていく。以下、本の中の対談から。
想田:先生の目からみて、精神鑑定がなされるような犯罪を犯した人は皆病んでいるのですか。
山本:不健康ではあると思います。しかし我々とどの程度ズレているのかということになると、量的な問題であって、全然違うことではない。
想田:残念ながらジャーナリズムでは、事件を犯した人は怪物のように描かれますよね。非常にセンセーショナルな見出しが躍って、「こんな怪物が我々の社会のなかに潜んでいた。なんとか排除して我々を守らなければ」というようなメッセージを感じる。今回映画「精神」のなかでも、藤原さんがお子さんを自分の手で結果的に亡くしてしまったことを告白されています。僕がその話を聞いたときには、「自分も同じ状況だったら同じことをしてしまったのではないか、それにはいろんな理由があって背景があって、やむにやまれずそうなってしまったのではないか」と感じたんですが、社会では結果だけが取り沙汰されて、凄くセンセーショナルに煽られがちです。でもたぶん秋葉原事件を起こした人だって、よくよく話を聞いてみれば、感情移入できるというか、「分かるな」ってこともあると思います。「犯罪はいけないことなんだ」というメッセージなんて、当たり前過ぎて意味がないですよね。「癌を取り除けばいいんだ」っていうような発想を感じるんですね。
山本:結局犯罪も、すっきりしたいという気持ちで起こっていることだと思います。…スピードがある人の方が、自殺しやすいと思いますな。僕は映画を観させていただいて、ウチは汚いところばっかり(笑)。べたべたいろんな物が張ってあったり、整理整頓がされていない。しかしそれが安心なところでもあり(笑)。「精神」を観て、“精神”を表現されていると思ったのです。きちーっと片付けられていることなんてないですよ。職場の景色と“精神”ということは、よく似ていると思って観てたんですよ。
「そういえば、ムゲンも汚いよな」と苦笑した。きれい好きの波津子がいながらも、相当な散らかり具合だ。散らかっているから安心だ、というのはまったくよくわかる。こういうありようは、多分「ゴミ屋敷」にも通じるもので、散らかり具合が孤独の深さに重なって見える。「汚い」こらーる岡山だからこそ、「山本医師は信頼されているな」という思いを強くした。患者さんたちが山本医師を慕う気持ちがよくわかった。この後も山本医師の哲学が全面的に展開されていくのだが、興味を持たれた方は、本を読んでもらいたい。
この『精神病とモザイク』では、想田監督の撮影裏話ばかりではなく、こらーる岡山の山本医師と監督の対談とか、精神科医の斎藤環氏との対談とか、盛りだくさんな内容で、面白い本だった。
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